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2009.2.12 |
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日本の古代史本を眺めて…学校で習った日本史は、今思えば、えらくいい加減なものだった。意見が割れるような話には滅多に触れない。現代史は時間切れにしてカットされ、古代は曖昧な話で終始した感じだった。 それに、○○時代という区分名称のつけかたも、理解しにくくしている原因のひとつ。地名にどんな意味があるのか、わからりづらい。織田信長の頃を鉄砲時代とするならまだしも、出土品の地名や形状で歴史区分する発想もどうかと思う。 これだけでも、まともに歴史を考えさせるつもりがないことがよくわかる。 残念なことに、今、頭にあるのは、こうした教育の残渣だ。これは、いかにもまずい。 最近、特にその思いがつのる。 そう言えば、バリバリの壮年現役のビジネスマンから頂いた年賀状に、神社仏閣に興味が湧くようになりましたと書いてあるのには驚かされた。グローバル経済化が急速に進んでくると、そうなるのだろうか。 海外と相互依存的な経済活動をせざるを得なくなれば、日常生活も統一ルールに従わざるえなくなる。そこで、アイデンティティが欲しくなるということかも。 ところが、そのアイデンティティを支えるべき日本史だが、習ってきたものでは、とても応えられそうにない。こまったものだ。 そんな考えもあり、図書館で、日本の古代史本を、えり好みせず、パラパラと目を通してみた。 その結果、気付いた点。 ・ありそうなシナリオを冷静に並べて検討するような書き方は稀。 結論の正当性を示すために、他の見方の欠点を指摘するものが多い。 →自説に確たる証拠もないのだから五十歩百歩の論争。 ・様々な情報をもとに、一気にシナリオに仕上げるやり方ではない。 概念的なシナリオが提起されたものは滅多にない。 →些細な違いにこだわる論争。 早い話、“歴史観”として、なにを主張したいのかよくわからない著作が多い。あるいは、そんなものは無いのかも。 ・例えば、銅鐸文化圏との決め付け。 用途も規定せずに、出土品だけで、強引に文化圏の議論をする無神経さには唖然。 →文化圏で考えるなら、宗教が違うのか、あるいは、生産物も異なるのか、是非教えて欲しいものだ。 ・限られた出土品のみで、理屈をつくろうとする。 理屈に合わない出土品がでてきたりしても、無視するらしい。 →出土品が例外的なものか判定できる訳がなかろう。 ・科学分析を嫌う学者が多いようだ。 専門家は独断的だとの、意見をよくみかける。 →専門家の説は鵜呑みにしない方がよい。 なかでも奇異に感じるのは、古事記の記載や、神社/地名/氏族名として残る伝承に係わることを避けている姿勢。もともと情報が限られているのだから、参考にすればよさそうなものだが、それでは学問にならないのだろう。 せっかくの貴重な情報があるというのに、もったいない話だ。 素人なら以下のように考えるが。 ●情報が古書しかないなら、それをベースに考えるしかなかろう。 ●当然ながら、記載されている文言を勝手に改竄しないこと。 ・史料の一部を、書き間違いとか、考え違いとの指摘は慎むべきだろう。 (古代の専門家の能力は、現代でいえば天才に近い筈。) ・偏った情報で強引な主張をくりひろげる専門家の意見は無視すべきだ。 ●神話と暦年記載書をベースに、他の情報を取り入れ時代変遷を考えたら如何。 ・よくわからぬ内容でも、神話を無視すべきではないと思う。 (何か伝えたいことがあった筈で、歴史上重要な事象だったことを意味する。) ・「教訓」や、意味付けの記載がある古書はできる限り参考にすべきではない。 (なんらかの目的で別途編纂されたものだと思われる。) ●その場合、先ずは、大きな流れの仮説を立てるべきだ。 ・大きな流れを考えず、細部の議論を始めるのは時間の無駄。 ●余程のことがない限り、一般常識に反する仮説は立てない。 ・無理な理屈で新しいシナリオを作らない。 →例えば、渡来王朝が権力奪取したが、言語は変わらなかったという説。 ・日本特殊論は理屈になっていない。 →例えば、日本の墓だけは記銘が無いとの説。 ということで、たいして調べもせずに、独断で歴史を描いてみようかと思う。 →続く[来週] --- 参照 --- (箸墓古墳の写真) [Wikipedia] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Hashihaka-kofun-1.jpg 歴史から学ぶの目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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