→表紙 | 2013.8.28 |
| 土偶の意味を探る土偶は、北海道から九州まで約15,000点が出土しているそうだ。大量に出土する遺跡が結構あるということでもある。しかも100%破壊されバラバラに散布されたらしく復元が困難なようだ。 もっとも、比較的整った形状で出土している場合もあるから、一律的に「破壊用」とみなすのはどうかと思う。 出土品の年代はあてにならないが、全体の流れとしては、以下の順序と考えて間違いなさそう。 (1) 小型で板状平面的 (2) 中型で立体的 (3) 独特な形状/顔や大型品 筒形 ハート顔・山形/三角顔 ミミズク目・遮光器装着風目 残念ながらインターネットリソースでは、15,000点がどんな分布かはさっぱりわからず。どこもここも人気モノのご紹介だらけ。それらが、はたして代表的な「作品」と見なせるかはわからず。しかも、地域特質ありとされているから、素人にはなにがなにやら。まあ、素敵な作品の鑑賞だけで我慢しろということなのだろう。 → 「土偶(103秒)」 NHK ともあれ、出土品の写真を眺めることで、どんなデザインの土偶がひときわ注目を浴びているかだけは、知っておいた方がよかろう。 →「遮光器装着風」[出土]つがる市 亀ヶ岡 1,000B.C.-400B.C. →「遮光器非装着類似形態」[出土]室蘭市 輪西 1,000B.C.-400B.C. →「叫び顔十字形板状」[出土]青森県 三内丸山 →「三角顔厚手板状」[出土]青森県 野辺地 →「八頭身」(通称:縄文の女神)[出土]山形県 西ノ前 4,500B.C. →「ハート形顔」[出土]群馬県 吾妻郷原 →「ハート形縁取り顔」(通称:縄文のビーナス) + 「三角形板状仮面」(通称:仮面の女神)[出土]茅野市 →「奇怪顔半身」[出土]山梨県 御坂上黒駒 3,000B.C.-2,000B.C. →「合掌しゃがみ込み」[出土]八戸市 風張 3,500B.C. →「蹲りポーズ」[出土]福島市 上岡 →「みみずく顔」[出土]さいたま市 岩槻真福寺 2,000B.C.-1,000B.C. →「大型立像」[出土]函館市 著保内野 人によって、印象は違うだろうが、小生は、これらを一つの見方で無理やりくくるのは無理ではないかと感じた。 ただ、それぞれ全く別なものとも思えないから、そこが悩ましいところ。だが、それこそが日本の特徴では。 要するに、新しいものに飛びついてすぐに一色に染まるが、その実、古いものも習合させる体質というだけの話。従って、必ず、雑炊状態の文化になってしまう。これを解きほぐして、基層文化を探るといっても、何層もの融合のことがあり、簡単に分析してわかるようなものではない。 従って、自分の感性に忠実に、解きほぐしてみるしか手はなかろう。 と言うことで、小生の感じたことをまとめておこう。ご参考になればよいのだが。 まず、直感的に、これは除外した方がよいと思うモノが1つある。「八頭身」である。逆に言えば、小生には、それ以外の「作品」には、それほどの違和感が湧かないということ。 もちろん、そうは言っても、初めからそう見ていた訳ではない。よくよく眺めていれば、そうなるということ。その切欠は「奇怪」とされている顔を眺めたから。つり上がった切れ目、三ツ口、刺青的な彫物といった土偶。この手の顔は、確かに滅多にお見かけしないが、有りうる姿では。創造した訳ではなく実在人物だと思う。 そう考えれば、遮光器土偶にしても、この手の顔立ちで、体躯は寸詰まり、丸々とお肥りの女性像でしかない気がしてくる。目を閉じ、眼球が回ってトランス状態に陥ったりする様子を描けば、こうなるかも。それに、髷はもとより、着衣やアクセサリーを見ると、いかにもそれらしき感じだし。漫画的ではあるが、特徴を描いた「写実的な」作品とは言えまいか。要するに、特別な人のヒト形ということ。 それが、もっとはっきりするのが、片目が喪失しているのか、ともかくなんらかの身体的異常があることを示す土偶の存在。想像上の信仰対象なら、わざわざ片目にする必要はあるまい。おそらく、これはシャーマンである。シャーマンになるための儀式というか、試練で片目を失った姿と考えるのが自然である。 そう考えると、「みみずく顔」という表現はドンピシャかも。鳥トーテム部族のシャーマン表現と見ることもできそう。関東や東北南部の森際で暮らす人々なら、十分ありえる話。もともと、そういう思想だったということでなく、流入してきた鳥信仰を自分達に合うようにしたのだと思われる。そう言えば、「奇怪」土偶の手の指は3本。日本的な「龍」類表現かも。(中国の「龍」とは異なる。日本では、鳥の羽は3指構造と知っていたからだろう。細かなことにこだわる体質だから、空を飛ぶなら3本の筈となったに違いない。) さらに付け加えるなら、円盤やハート形の真っ平の顔とは、普通は、みみずく/梟の顔を描いたもの。それが感覚的にわからないなら、日本の鳥ではないが、メンフクロウとカラフトフクロウの正面から撮影した写真を見るとよかろう。 ご参考に、過去記載→ 「フクロウ文化について」 [2013.8.6] こんな風に考えると、霊と交流することで超人的な力を発揮するシャーマンによるご託宣が籠められたものが、板状土偶ということではないか。結果がでれば土偶は破棄される。ご託宣通りに推移しないと、シャーマンは殺されかねないが、土偶の完全破壊でそれを避けたのかも。それに、能力あるシャーマンは数が少ないだろうから、その威光が発揮できる地域はかなり広く、周回する訳にもいかないから、一種の「護符」的なものとして配布された可能性も感じさせる。 そんな状態が原初土偶と考えると、その後、様々な発展形態が見られることは、驚くべきことではなかろう。蛇信仰的な超能力リーダー信奉思想や、鳥信仰というかあの世観、等々が次々と加わり重層化していくのだから、様々なものがあって当然だからだ。 なかには、一種の「骨壺」的信仰が絡んでいるとしか思えないものもあるが、ありそうな話。 →「容器用足省略座像」[出土]神奈川県 大井町 さらには、よく知られる岡本太郎型「太陽の塔」の土偶[出土: 神奈川県 稲荷山貝塚] になると、丸平面顔が先細り円柱上部についているだけであり、実在人物としてのシャーマンイメージには程遠い。現代でいえば、まさにオブジェ。明らかに練りに練って抽象化したシンボルであるのは間違いあるまい。従って、そんな点に注目して土偶の全体像を眺める手もあろう。 まあ、一般的には次のように見るらしいが。 →PDF「勝坂縄文展」[神奈川歴博]平成24年度かながわの遺跡展 話はとぶが、土偶ならぬ11cmの石偶「ヴィレンドルフのヴィーナス」[出土 オーストリア 24,000B.C.-22,000B.C.] は多産・豊穣を祈った、旧石器時代における地母神とされる。日本の土偶はコレと同様なモノとみなす意見もある。肥満体というか、豊満な肉体の女性の姿から、どうしてもそう考えがち。だが、あちらは、脚はあっても足が無い。立ち置できないのだ。それに、肝心の顔を欠く。土偶とはコンセプトが違いすぎる。 古事記では、スサノオが斬り殺した大宜都比売の目、耳、鼻、陰部、尻から作物が生まれるから、地母神偶像破壊儀式を想定したくなるのだろうが、顔に刺青を施したり、三ツ口にする必然性はなかろう。頭の形状や、頭髪の整え方も、色々あるのも腑に落ちぬ。そこから蚕が生まれることを意識しているようにはとうてい思えないからだ。そもそも、粟や稲にしても、それぞれの魂が実りをもたらすと考えていたに違いなく、「地」の神の恵みとの発想とは相当な隔たりがあろう。 小生は、土偶は、倭人の「魂」表出状態状況を表現したものと見る。その基本形は、「宝貝的な目+鼻筋のみ+開放丸口+刺青+三角突起状頭髪」かナ。ただ、偉大なシャーマンや特異能力を有する人の場合、基本形では物足りなかろう。必要に応じて変わるし、それが一般化することもあろう。 例えば、こんな人々から「ご利益」を期待したということでは。今も昔も、体質はたいして変わっていないと見ての想像だが。 目が大きく丸くて、眼球が回っていそうな状態。 −−−シャーマン。 広い額の三角/ハート顔。顎は尖った状態。 −−−博学的知恵者。 開放丸口で、鼻穴前面向き状態。 −−−カリスマ的リーダー。 以上、冗談半分に書いてみただけ。 歴史から学ぶの目次へ>>> 表紙へ>>> |
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