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2014.1.1
 

歴史で感性を磨く

馬信仰の話

「この国に牛馬、虎豹、羊鵲なし」だったにもかかわらず、神社には絵馬がかかる。馬の意味を尋ねると、神や祖霊がお乗りになる「神馬」だからという答えが必ず返ってくる。
神がいても馬はいなかったのに、ソリャおかしくないか。その理屈から言えば、現代なら自動車か飛行機になってしまうがネ。

「神馬」とは、お社から巷に御霊を移動させる際の乗り物ではないのか。その習慣が、下々にまで行き渡り、お盆の胡瓜の馬になったりはするが。
そのように考えれば、祈願あるいは成就謝礼として、「貴重品」たる馬の代替品の「絵馬」が奉納され続けてきたと見るのが自然と言えよう。

その貴重な馬だが、古墳時代は小形馬だったとされる。出土の馬具を見れば、それは頷ける。(古墳も初期は南洋の貝とそのレプリカ石加工品だらけで、馬を示唆するものは無いから、この頃に渡来したのだろう。)現代で言えばポニーのようなものか。
朝鮮半島から渡来したと思われるが、半島の馬は小型だったのである。それを想定させるのが、対馬で飼育されている和種の「対州馬」。中型馬だが、雄の体高は127cmと小振り。
多摩動物公園の蒙古野馬と似た体格である。狭い運動場で飼われていた時は見物人にちょくちょく愛想をふりまいたりしていたが、広い場所で群れると、結構乱暴者のようだ。そんなところを見ると、古代の小型馬も割りと気が荒いタイプだったかも。強引な推定だが。

そんなことをついつい考えてしまうのは、南部馬系と比較してみたくなるから。
純血種は絶滅してしまったのでなんともいえぬが、こちらの特徴は体格のよさ。大きく頑丈そうで立派な印象を与える馬だったと言われている。
そのため、平城京の時代、貴族垂涎の馬だった模様。
ただ、人気を博したのは、そんな見かけだけではなく、ヒトに懐く気立ての良さもあったに違いないと思う。証明のしようがないが。
義務教育で習うから、誰でも知っているように、この辺りの馬は曲がり屋(母屋と馬屋がL字型に一体化)でヒトと同居している。従って、大切に育てられていたから、そんな気風になったとも言えそう。しかし、もっと古くからそんな性格ができあがっていた可能性もあるのでは。
寒冷な森林地帯に接するような地域では、狼から守ってくれるヒトと一緒の生活は、馬にとっては有り難い筈だからだ。南部馬はその気風を維持して来た種と見る。

ともあれ、大和朝廷が制夷にご執心だったのもよくわかる。単なる覇権という面子だけで動くとは思えないからだ。どう考えても、この馬の魅力は絶大。それは、朝廷が利用したいというより、戦乱に明け暮れる朝鮮半島への輸出品として活用したかったから。気の荒い小型馬より、御し易い大型馬が戦闘では圧倒的優位になるのはわかりきったことだし。しかも輸出し易い。馬は、目隠しして触れ合いを絶やさなければ、船舶運搬が極めて容易だからだ。

ここで、よくわからないのが南部馬の由来。朝鮮半島からの渡来の筈がないし、日本には馬はいなかったからだ。考えうる唯一のルートは渤海─野代湊。寒冷地こその大型馬ということでも理屈に合うし。

そう思って、今に残る馬のお祭り「チャグチャグ馬コ」を眺めてみると、さもありなんという気になる。
「蒼前様」という、出自がよくわからない信仰が存在しているからである。
このお祭りでは、滝沢村の鬼越蒼前神社から盛岡市の八幡宮まで13キロの道のりを100頭ほどの馬が行進する。育てた馬を、戦馬として出立させるというシーンそのもの。従って、「蒼前様」から頂戴するのは、その「お力」ということになろう。
つまり、蒼前神社とは馬神を祀っている訳ではなく、名馬を育て上げる神様が存在する場ということになる。馬への尊崇ではない。
それでは、「蒼前様」とはなんなのかとなるが、名馬を育てる力があった藤原宗善を祀っていると言われている。それなら、「宗善様」になりそうなもの。そうしてこまることなど考えられまい。
そうなると、渤海からの渡来神と見た方がよかろう。どのような神かはさっぱりわからぬが。
ともあれ、この「蒼前様」は今でも南部藩一帯に残っているらしい。

その沢山存在する「蒼前様」だが、元締めは水沢市の駒形神社ということになるらしい。馬で関係がありそうだから、その理屈はわからぬでもないが、納得感薄し。
駒形神社信仰は全く違うものとしか思えないからである。但し、神社のヒエラルキーを作る際に、朝廷がこの地域で駒形神社を最高位に指定したから、そういう言い方は間違いとはいえないが。
水沢市の駒形神社も含め、駒形神社には普通は神山という御神体があるもの。古来からの伝統的信仰と言ってよいだろう。たまたま、その山の形が馬を連想させるので、駒形と命名されたにすぎまい。馬の神様を祀っているとは思えないのである。ただ、神馬感覚と習合し、馬崇拝神社の態になることはあり得るだろうが。

ついでながら、馬信仰では馬頭観世音菩薩もある。仏教と共に伝来してきた訳だが、この像はそれほど普及しなかったようである。(廃仏運動で消滅の憂き目にあった可能性もあるが。)
神仏習合だったとはいえ、こちらは、仏教だから基本的には馬の冥福を祈ることが基本となろう。馬頭観音を拝むことで、飼っている馬の健康が保たれるというご利益が期待されることになる。

(参考) 南部馬にまつわるエピソード20 『蒼前さま』信仰@南部馬の足跡を訪ねて THRC(十和田乗馬倶楽部)
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