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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.10.10] ■■■
[附 33] 熊楠・魯迅・鴎外
三題噺ではないが、3人それぞれの超愛読書を並べてみたい。

南方熊楠と魯迅についてはすでにとりあげたが、森鴎外については触れていなかったので。

現代人にとっては、どれも簡単に読めるような代物ではない。・・・
 【東洋文庫 平凡社】
  段 成式 (著), 今村 与志雄 (訳):「酉陽雑爼」1980〜1981[5分冊]
  永積 安明・池上 洵一 (訳):「今昔物語集」1966〜1980[10分冊]
  井沢 蟠竜 (著), 白石 良夫・湯浅 佳子 (校訂):「広益俗説弁」1989/2005[続編]

3番目が、鴎外がこよなく愛したとされた書籍。2回、熊本に出向いて墓参したほど。

脈絡がなさそうな3つの本だが、小生の感覚からすれば、同じジャンル。しかし、世界広しといえども、この手の類書には滅多にお目にかかれない。

「酉陽雑爼」860年頃はしつこくとりあげて来たが、「広益俗説弁」は初。どうして、取り上げる気になったか、簡単にご説明しておこう。

「今昔物語集」成立は1120年頃と推定されている。保元平治の乱辺りの、院政期ということ。
マ、この推定の妥当性を云々する気は全く無いが、注目すべきはその先である。600年に渡って、一握りの人しかその存在を知らなかった書である。
世に知らしめたのが、肥後藩士 井沢長秀/蟠龍:「考訂今昔物語」1733年(校本:1720年)。武芸者かつ神道の博学的国学者でなんら仏教にかかわりがないお方。従って、"和朝"のみしかなく、抄本的だが、画期的。これ以外に版本はないからだ。
この書籍を見て、おそらく校訂の杜撰さを感じたらしく、紀伊藩家老 水野忠央:「今昔物語」(@丹鶴叢書1847-53年)という本文校閲版が成立することになる。時、すでに幕末にさしかかっている。

この井沢蟠龍だが、なかなか面白い人で、巷間流布するトンデモ通説や伝承奇譚を集め、蘊蓄を傾けて実証主義的に考証検討の上、冷徹な視点で批判を加える書を仕上げている。それが、「広益俗説弁」。当時のベストセラーなのだ。
合理的思考が入ってきて、このような書に人気沸騰ということなのだろう。非合理主義的見方を合理的と考えたい人が多い国だから、それが長続きする訳はないが。

ただ、こうして、3つ並べると、時代の特徴がでていると言うか、スケールがこじんまりとしていく様がよくわかる。
「酉陽雑爼」は、原則、引用譚に対しての意見を述べない。淡々と、"事実"を記載するのみ。
「今昔物語集」は、引用譚を加工することを厭わない。そして、お話には不要な、感想らしき一文を付ける。ご教訓本的体裁にしているのだ。しかし、それには、ほとんど意味が無い。
これに対して「広益俗説弁」は、著者は引用譚に対して、果敢に切り込んで行く。芥川龍之介:「侏儒の言葉」のように、快刀乱麻的。

ある意味、「広益俗説弁」こそが典型的説話集。思想的意図のもと、どう解釈すべきか語っているのだから。

それに比すれば、「酉陽雑爼」は説話集ではない。読者が勝手に考えろと突き放すのであり、肝心の説は読者の裁量にかかっている。そのため、博学的蘊蓄の書と感じたり、志怪本としてしか読めない人も出てくる。著者からすれば、それで結構なのだ。わかる人に対して、社会の本質を探って見よ、と突きつけているだけのこと。思想的意図を表に出さないことを信条としているとも言えよう。極めて限られた読者になっていくものの、その人達の手で必ずしや後世に伝えてくれると確信していたようだ。だからこその凝ったタイトル。

「今昔物語集」は両者の中間。
体裁が説話集的であるに過ぎず、記載しているご教訓や世間の評価は、一種の揚げ足取り。わかる人は、よく読め、と言っているのである。600年間限定読者となったのは、想定の範囲内だろう。

こうして見ていると、「今昔物語集」では、企画当初から、序文無しで進める腹積もりだったのではないかと思えてくる。

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