→INDEX ■■■ 今昔物語集の由来 [2020.7.30] ■■■ [附 23] 印度仏教消滅原因[1] わからなかった大きな理由の一つは、バラモン教とヒンドゥー教を分離して考える思考回路ができあがっていること。 先ず、そのあたりから。 簡単に言えば、神道を、高天原教と出雲教に分けてどれだけの意味があるかというようなもの。土着信仰ということで見ればバラモン教とヒンドゥー教は、神道を形成するいくつかの流れよりも近しい関係にあると考えるべきだと思う。 そんな見方で、神道に対応させて命名するなら"ベーダ経典教"が一番似合う。すでに何回も使用して来た語彙だが、ヒンドゥー教はそれには当たらぬから間違いと感じた方が多かった筈。ヒンドゥー教が依拠するのは、ベーダではないし、経典ではなく神話というか叙事詩だからその通りだが、その見方を突き抜ける必要がある。 ベーダにしても、その基本は叙事詩だからだ。この宗教は、神話口誦で成り立つのであり、信仰者はそのストーリー性に酔うということ。しかも、特定の神ありきではないから、口誦者がその気になれば、異なる神話をいくつも束ねることもできるし、さらに一歩進めてアバターの手法で繋げることさえ可能である。 ここで忘れてならないのは、その口誦者は婆羅門であり、聖なる祭祀者や宗教修行者として"階級"として確立済である点。 そもそも釈尊の出自が婆羅門ではなく、婆羅門による祭祀を外道として否定する立場の仏教が優位に立つということは、婆羅門という存在を否定することになる。 それを実現するには、すでに定着している様々な祭祀から婆羅門を排除するしかなく、暴力的な強制力無しには無理だし、排除しても一過性に終わるとしか思えまい。 つまり、パラパラと婆羅門から仏教帰依者を獲得する以上のことはできないことになる。インドの階級制は細分化された職業と繋がっているから、この身分を無くすことはほとんど無理筋。長期的には、ジャータカが一神話化され、仏教は取り込まれて行くしかなかろう。 (C) 2020 RandDManagement.com →HOME |