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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.5.30] ■■■
[附 17] 書籍選定
小生は、古文・漢文の類は、大学受験用に最低限の知識を暗記しただけなので、浅学と言えるレベルにも到達していないが、平然と「今昔物語集」を読んでいる。

コレ、もっぱら、パソコンのお蔭。
タブレットや電子ブック類は全く使用しなくなってしまった。検索入力しずらく、表示画面不足の上、不適合なネットリソーシスだらけでどうにもならないからだ。

しかし、紙本から遠ざかった訳ではなく逆。
小生からしてみれば、そちらがメイン。ただ、使用時間で見れば極く僅かでしかない。ざっと、目を通してから、パソコン利用に移行するからだ。

こんな習慣がついたのは、段成式[今村与志雄 訳註]:「酉陽雑俎[5分冊]東洋文庫/平凡社 1980年のせい。
読み始めた切欠はくだらない。時に出典で名前を見かける程度の本だったが、美麗で誰も読んでいないような本が図書館で廃棄処分になり、貰って来たとの話を読んで、興味本位で眺めてみただけ。
当然、頭から読み始めず、興味があった動植物編から。それで中身が気に入ったということでもない。ソファでの手持ち肌感覚が何故かしっくり来たのである。
珈琲飲みながら、コリャ読めるぜ、ということ。しかし、原文が無いので、パソコンで眺めると、漢字の知識がある程度あれば一目でなんとなくわかるし、今村が指摘したいことがあることにも気付いたのである。
要するに、"今村与志雄註"を鑑賞し、その刺激で本文に触れているというのが正確な表現である。

しかし、「今昔物語集」は同じようにはいかない。
問題は2つ。

先ず、「酉陽雑俎」とは違って、書籍は何種類かある点があげられよう。どれかを選ばなければならないが、選択眼がある訳がなく、定番とされている書を選ぶしかない。しかし、それはいかにも本文重視な体裁。読みたい註に割かれるスペースは極めて狭い。もちろん現代文などない。こうなると、註にザッと目を通して得た問題意識を頭で整理し、絞った上でパソコンで色々当たるという手がなかなか難しい。
しかも、原文のテキストベースが無いから、パソコン利用に移ると面倒なことこの上ない。
不満だらけだが、もともと、そのような読者を想定していない本だから致し方ない。

もう一つは、これに関係するが、本が重く、手持ち読みが難しい点。はっきり言って嫌いだ。
ついつい、大学受験勉強時代のハードカバーの愛読書を思い出してしまう。薄くて軽いスミルノフ高等数学教程と重くて大きい和辻の全集。受験にはからきし役に立たないが大いに楽しんだ。前者は寝ながら、後者は机で正しい姿勢で。
今は、そんな読書スタイルとは無縁。

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