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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.3.10] ■■■
[附 9] 削除文の意味
全体を通して眺めてみて、小生はこう確信した。
「今昔物語集」は未完の書ではなく、そうみせかけた書、と。

参画者に方針伝達のために、序にしてもよさそうな内容の書はあったと思うが、著者不詳にしたかったので、序は掲載しなかったと考える。欠巻に至っては、おそらく、草稿自体がもともと無い。
そこを埋めるのは無理と知りながら、全体構想としてはこうありたいということで、設定されたということ。

こんな見方をするのは、本朝王朝史と思しき場所が欠巻になっているから。

この欠巻だが、考証学的に佚文状態ではない。従って、素直に考えれば未完部分と考えることになるが、小生は、作成途中と見せかけたと考える訳だ。

「酉陽雑俎」の著者は、部分的な逸話的"史"をかろうじて書くことができたが、普通は「王朝史」は私的には書けない。どう書こうが、正史があるのに、重複させる試みだからだ。それは王朝断絶の意志をみせたようなもの。まず間違いなく処刑が待っており、作品に限らず、その関係書類一切が葬り去られることになる。
震旦では、それでなくとも、現王朝に不都合な人間と書は即時抹消される運命。血族の了承を得ずに、"史"を勝手に描く人物は正真正銘の敵そのもの。いつかはその一族を消し去らねばならないとなろう。
そんな風土だから、官僚機構の中で凄まじい権謀術数が繰り広げられると言えなくもない。

一方、本朝は、儒教の血族第一主義信仰を取り入れなかったから、(天皇家をOne of them血族にに落とし込み、天命による革命を是とする思想が成り立つ訳がない。)そこまではいかぬだろうが、私的"史"を打ち出す動きに容赦せずは当たり前。
そんな巻を準備していると言う訳がなかろう。(「古事記」が残ったのは奇跡的。)

しかし、"史"を書きたかったのであろう。それが"欠巻"表現として現れたのでは。

貴人名称の"空欄"にしても、同じように考えることができる。
未完と見れば、後から。確認して挿入する筈だったということに。それを否定する根拠は無いから、マ、有りうると言わざるを得ないが、現代で言えば、高校の授業で、一所懸命に勉強すれど、ほとんど赤点すれすれの成績しか取れないレベルの人々が作成した書ということになる。
小生は、その逆で、たいして勉強もせず暗記嫌いのくせにどうしてか、飛び抜けて優秀な成績をおさめるタイプが作った書と見る。

そう考えると、"空欄"文にしているということは、ある意味、闕文の皮肉表現の可能性もあろう。
例えば、尊敬に値しない人物と評価したかも知れぬし、世間で言われているのと別人かも知れぬゾとの指摘だったり。
そんな印象を与えるのは、万人が知るような中国故事でさえ人名が空欄になっているから。史書を読んでいない筈もなく、間違えるとか、忘れるという話ではなかろう。
例えば、皇帝が心底愛していたのは、実は悲劇の女性ではなく、逝ってしまった后の方かも知れませんゾということかも。政治的な配慮から、悲劇を嘆く皇帝イメージを演出し地位確立を狙ったことになる。
芥川龍之介の「侏儒の言葉」的なエスプリを効かせている訳である。

そんなことが楽しい人達のサロンから生まれた書、というのが小生の見立て。エスプリを愛する「酉陽雑俎」の著者とと発想が似ている。

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