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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.1.20] ■■■
[附 4] 「宇治拾遺物語」的
「宇治拾遺物語」は「今昔物語集」と並んで説話文学の傑作とされている。その中身は3類からなる。
  仏教説話…僧逸話、発心や往生談
  世俗説話…滑稽、盗人、鳥獣、恋愛、等々
  民間伝承…瘤取り爺さん、雀の恩返し、等々

この点では、両者は似ているし、実際、重出は80譚にも達するそうだ。

しかしながら、「宇治拾遺物語」は、あくまでも上記のような話題の"類聚"。

と言っても、闇雲に入れ込んだのではなく、編纂者のセンスで配列されている。
このことは、譚を選ぶに当たっては、"面白い"とか"珍しい"という観点を重視した厳選版とも言える。逆に言えば、教化・啓蒙といった価値観をできる限り排除することになる。
従って、それに合わせて、余計と思われる文章は削除されておかしくなかろう。

一方、「今昔物語集」は、同じ様な類聚の態をとっているものの、そのような意図で1,000もの話を選んだ訳ではなかろう。
そこには、世界を冷徹に眺めた書物を遺したいとのパトスがありそう。当然ながら想定読者は知識人だが、それは社会的に認知されている職業や教養水準が高い人々という意味ではなく、大乗仏教的な、精神の自由とインターナショナル感を共有できる人々といったところ。

つまり、「宇治拾遺物語」は、収録した素材を、あるテーマを感じながら読んでもらおうとの方針。
これに対して、「今昔物語集」は、個々譚で読者の洞察力を喚起し、一連譚を数多く読んでもらうことで"世の中"の俯瞰観を得てもらおうとの目論見。
雑多な"類聚"を眺めると、突然、歴史観、社会制度観、文化風土観、が生まれてくることを実感させようとの意図が隠されていると見るべきだろう。当然、数は多くなるし、それらの構成には大いに気をつかうことになる。

当然ながら、個々の譚で見れば、両者の編集方針は全く違ってくる。

「宇治拾遺物語」は、テーマで考えているから、それに沿った統一的な編集方針が貫かれている筈。
ところが、「今昔物語集」は見かけのテーマは設定してはいるものの、それを規定する大枠を重視しているから、結構、場当たり的に見える編集にならざるを得まい。いい加減に弄り回しているように映る譚があってもおかしくない。
前者なら、間違いを避けるし、冗長とか余計な部分を割愛するだろうが、後者はたまたま間違ったりすると、訂正しない方がインパクトが大きそうならママ残す可能性もあろうし、冗長にしたりまるっきり簡素にしたりと自由自在。

ただ、他書にみられぬ両者の共通点があり、それは、自由精神の発露を好んでいるところ。

これはなかなかできることではない。
(民話とは、"大衆が創り、大衆が語り合い、大衆が伝えた。"とのドグマにはなんの証拠もない。"伝える"役割は、特定の人々にゆだねられていたと考えるのが自然だからだ。怪奇譚類聚とされる「酉陽雑俎」の著者は、結局のところ、権力公認の史書と小説しか伝承されないと看破し、自由精神の記録を文字として遺しておこうと決意したのである。震旦では、個人の精神を官僚的管理下に置こうとする風土が根強く、血族第一主義社会でもあるため、これと親和性なき民話類はすべて抹殺されて来たからだ。このため、現代中国には神話は残骸しか残っていない。)

 ---「宇治拾遺物語」の文章---
【序】

  世に宇治拾遺物語といふ物あり。
  此大納言は隆国といふ人なり。・・・
  天ぢくの事もあり。 大唐のこともあり。 日本の事もあり。・・・

【巻一】
[#1]道命阿闍梨於二和泉式部之詐一読経五条道祖神聴聞事。
  今はむかし。 道命阿闍梨とて傅殿の子にいろにふけりたる僧ありけり。・・・
  ・・・ 恵心の御房もいましめ給にこそ。
[#2]丹波国篠村平茸事
  これも今はむかし。 丹波国篠村といふところに。 年比平茸やるかたもなくおほかりけり。・・・
  ・・・さればいかにも\/平茸はくはざらんにことかくまじき物とぞ。
[#3]鬼にこぶとらるゝ事
  これもいまはむかし。 右のかほに大なるこぶあるおきなありけり。 ・・・
  ・・・ものうらやみはせまじきことなりとか。


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