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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.7.5] ■■■
[5] 蛇の性譚
🐍「今昔物語集」巻二十九は「本朝 付悪行(盗賊譚 動物譚)」である。欠文1つを含め全40譚と力が入っている巻と言えよう。

ここの動物譚は極めて特徴的。
これを読むと、どうしても「酉陽雑俎」を思い出してしまう。インターナショナルな文化交流の拠点で豊かな生活をしていた唐代随一の本の虫でもある著者が1,500譚も丹念に情報を集めて編者した本のこと。在家仏教徒であり、仏典逍遥は小さい時からで、知の対象はそれにとどまらず、天竺、ソグドから日本まで、民俗から動植物まで幅広い。
もちろん、著者によるフィクションは一切無し。そのパトスには敬服。
勿論、こんな類書は見当たらない。

「今昔物語集」も1,000譚を越えておりそっくりな印象あり。
そんなこともあって、この著者はおそらく自由に行動でき、サロンで馬鹿話をして談笑しながら、活発な議論ができた高僧と読む訳だが。

ところが、一般には、「酉陽雑俎」は怪奇話等を集めた奇書とされており、「今昔物語集」は仏教説話集と見なされる。
小生の感じ方とは全く異なる。マ、日本とは、そういう社会なのであろう。そこに住む以上、それに従うしかない訳である。

ただ、「今昔物語集」には、「酉陽雑俎」と違って、突き抜けた感を覚える話を収載しているので、そこらについて触れておこう。

と言うことで、蛇の性話2譚を取り上げておこう。蛇は性欲の煩悩の象徴なので、仏教説話になると言えなくもないが、およそ仏教倫理について語るにしては突拍子もない。
このような話を収録する必然性がどこにあるのか考えさせられる。
鳥獣戯画的な様相であるのは間違いないから、誰かを指した面白話かも。

 【本朝世俗部】巻二十九 本朝 付悪行(盗賊譚 動物譚)
  [巻二十九#39]見女陰発欲出穴当刀死語
  [巻二十九#40]見僧昼寝𨳯呑受死語

#39は、ガイストを用意しなくとも、題から他愛もない話であることはすぐにわかるだろう。蛇が女の陰部を見て性欲を起こしてしまい、穴より出てきて刀に当たり死んだのである。
説話として扱わねばならないらしいから、そうなると、女性はしゃがんで小便をする時は場所をわきまえるように、ということか。そんな説話をわざわざ書籍化するものかネ。
マ、尿意が迫っていたので、止むにやまれずということで。
夏、近衛大道西の宗像明神北側の小一条でのこと。
【注】宗像明神とは、現在、京都御苑内裏鬼門にある宗像神社。795年に藤原冬嗣が桓武天皇の勅命を貰い、平安京東西両市の守護神として自邸東京第(小一条第)に勧請したもの。(内蔵頭従五位上藤原朝臣安方向太政大臣東京第社@865年)1131年に藤原家忠が相続し花山院家邸となる。

南側の築垣に向かって小用に相成る。急いでいて、そこに蛇穴があることに気付かなかったようだ。その若い女が、蹲ってしまったままいつまでも立ち上がらない。どうしたものかと思案しているところに、通りがかりの男が馬から下りて対処してくれたのである。
塀に描く「⛩」マークを思わせる話だが、仏教だから無関係。それに、なんとなく、小馬鹿にしたような筋である。

#40は、見てわかるように、これと対になっている話。
蛇が昼寝している僧侶の性器(𨳯:まら)を見て、精液(婬=淫)を呑んで死んでしまう。若くして出家していると夢精もありうるが、それはとんでもないことだゾということか。
しかし、蛇が男性器のシンボルでないというのもナンダカネである。名目的には男しかいないのであるから、男色を意味するのだろうか。
頃は夏の昼時、場所は三井寺の広間の閑散とした場所でのこと。本人は、やんごとなき僧のお伴でそんな場所で昼寝などした結果と考えたようだが。
尚、三井寺とは俗称で、正式には長等(ナーガ)山園城寺。巳神の寺という意味ではなかろうか。梵鐘の音は全国的に知られるが、近在の若者が琵琶湖の蛇を助ける蛇女房譚民話が付随している。(目を失った龍神に打鐘で子の無事を知らせる訳だ。)

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