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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.7.7] ■■■
[7] 孔子
「酉陽雑俎」を読んでいれば、「今昔物語集」で孔子がどのような扱いになるかは、実は、読まなくても想像がつく。
以下3譚を取り上げよう。・・・
 【震旦部】巻十 震旦 付国史(奇異譚[史書・小説])
  [巻十#_9]臣下孔子道行値童子問申語
  [巻十#10]孔子逍遥値栄啓期聞言語
  [巻十#15]孔子為教盗跖行其家怖返語

官僚組織を維持するためには、儒教的倫理を持ち込んで「合理的」運営する必要があるのは当たり前。しかし、それは宗教としての儒教とは関係ないのである。
何故、仙人的な隠遁生活に魅力があるかといえば、それはそこに精神的自由があるからだ。貧困生活を是としているのではなく、そのような生き方を自分で選べる点が嬉しいのである。
儒教とは、このような感覚とは相いれない。官僚組織運営の論理を個人の精神の領域に持ち込む宗教だからだ。
当然ながら、精神的自由を愛するタイプのインテリは孔子を毛嫌いすることになる。

●#10譚がその特徴を一番よく示している。
道教とも言える「列子」第一天瑞編に登場する「知足自樂」の隱士、榮[前571-前474年]から来た話。モトネタでは、の野で鹿裘帶索して琴を鼓して歌ふのは榮期で、孔子が先生の樂となす所以を尋ねる形で印象はかなり違う。
と言うか、「今昔物語集」はいかにも孔子揶揄版なのだ。
弟子を連れて車で琴を奏でるのは孔子。それを聞きにくるのが船でやってきて上陸した榮期。そして孔子の弟子に尋ねるのだが、この質問がふるっている。
 「弾いているのは、
   国王かネ?」・・・「違う。」
  「大臣かネ?」・・・「違う。」
  「官僚かネ?」・・・「違う。」
    「只、国ノ賢キ人トシテ公の庁ヲ直シ、
     悪キ事ヲ止メ、善キ事を勧める人也。」
 それを聞いて、期嘲笑う。
  「ソリャ、馬鹿者の極致。」
 そして乗船して去ってしまった。
 弟子からそれを聞いた孔子は、賢人だから呼び戻せと。
 そして、今度は、孔子が何をしているのか尋ねるのだが、
  「気晴らしで船に乗る老人じゃ。」と。
 さらに、孔子のしていることは愚かなことと語る。

大勢の子分を引き連れ、琴を弾き聴かせているので、えらく変わった御仁であり、国王の真似でもしているのかと皮肉たっぷりな質問を浴びせた訳である。
マ、皆を引き連れて歩きたいから、大臣にでもなりたいと思っているのかと、さらに一発。
どうせそこらの官僚だろうに、そんな阿保な輩にブル下がっているのかイと弟子に語っているのだが、そんなことが通じる人達ではない。
ここまで虚仮にされても、孔子は平身低頭の最上級の敬意をもって臨んだのである。二度も深く礼。そして、棹の音が聞こえなくなるまでその姿勢をとったのである。

●さて、#9譚だが、"孔子 v.s. 童"であり、これも儒教を笑いモノにして喜ぶ話。
と言っても、そうは感じない人も大勢いるだろうが。

いくつかの話からなるが、何と言っても冒頭が素晴らしい。孔子には卓越した能力があり、大勢の弟子を擁し、国中、皆、際限なきほど貴んでいるのだゾーとくる。
そんな人の話だが、矢張り素晴らしいものを感じさせられるネー、と言うのだ。
孔子が車に乗って移動中のこと。
城を作って戯れ遊ぶ童によって道が塞がれていた。そこで、道からどいて、降りて我らの車を通してくれと言う。すると、童の一人が、車が通るから城よ去れと言うとは、逆は耳にするが、と言う。
孔子、道理であると。
・・・「今昔物語集」は、震旦では、7〜8歳の子供が孔子の師とされている、と記載しただけのこと。(「大項生七歳為孔子師。」@「史記」列傳卷七十一 樗里子甘茂列傳第十一"甘羅")

場面は続くが違う話である。
童に姓名を尋ねると、姓はあるが、八歳なので字はまだ無いと。
すると孔子はくだらない対応。
樹木に枝無し、牛に犢無し、馬に駒無し、夫に婦無しあるいは女に夫無し、山に石無し、水に魚無し、を考えればわかるように、人に字無しがあるのかい。
童はすかさず答える。
枯れ木に枝無し、土牛に犢無し、木馬に駒無し、仙人に婦無しあるいは玉女に夫無し、大山に石無し、井の水に魚無し、空城に人無しだヨ。小児に字無しなのだ、と。
これほどくだらぬ会話も珍しいが、そこで孔子が一本とられたと考えるのだから呆れる。
そして、孔子は、再び、この童只者ではないゾと評価。
マ、普通の神経なら余りに馬鹿々々しくて聞いていられないようなストーリーである。だからこそ、この話は面白いのだが。

この程度で終わりにするかと思うと、さらに続く。(ネタは「列子」湯門の"孔子東游・・・"。)
童達が登場して互いに正反対のことを言い争う。
 「日の始めて出づる時は日近し。
  日中に至りては、日遠し。」
 「日の始めて出づる時は日遠し。
  日中に至りては、日近し。」
さらに
 「日の出る時は熱くして、湯を探るが如し。
  日中に至ぬれば凉し」
 「日の出る時は凉し。
  日中に至ぬれば熱くして、湯を探るが如し。」
さあ、孔子はどちらに軍配をあけるかとなるのだが、裁定できなかったのである。
当然ながら、二人の童は嘲笑。

広く悟り、知らぬ事無しの御仁とされているが、無知だネー、と。
一方の孔子は、畏れ入り、この童只者ではない、と。

これだけでは何のことかわからぬが、孔子の烏滸/ヲコ振りを笑おうという趣旨だろう。

駄目押し的にもう一つ。孔子が余程お嫌いなのだろう。
孔子は、弟子多数を引き連れて、ただただ道を進む。今度は、子弟との会話。
垣から馬が頭をさし出していたのを、「牛」と呼んだのである。
単純な謎かけで、"牛が首を出している"="午⇒牛"というにすぎず、大人が喜ぶ話では無いと思うが。ある意味、この謎かけに、どれだけ早く対応できるかテストした訳である。顔回、1位といった具合に。
それが孔子の好む智慧のレベル判定方法なのだろう。インテリから総スカン間違いなしかと思っていたが、逆らしい。歌まであり、人気のお話なので「今昔物語集」も収録に踏み切ったようである。・・・
 垣ごしに 馬を牛とは いはねども 人の心の ほどをみるかな
 この歌は、四条中納言の、小式部の内侍のがりつかはしける歌なり。
   [作歌手引書である、源俊頼[1055-1129年]:「俊頼髄脳」]

●#15は、"孔子倒レ"で知られる盗石孔子問答。
「荘子」盗跖第二十九の知識は前提と考えていると見てよさそう。・・・
盗跖とは、賢人とされる魯國大夫の柳下恵/展禽の弟で、大盗賊団の親分。
"從卒九千人,行天下,侵暴諸侯,穴室樞戸,驅人牛馬,取人婦女,貪得忘親,不顧父母兄弟,不祭先祖"
孔子のこと、当然ながら、兄は弟を正すべしとなる。柳下恵は、弟は頭が切れ、説得などできぬと。止せと言うのに、孔子一人ででかけて行く。
盗跖から、「尾生の信」(芥川龍之介作品)、「天道是邪非邪」(伯夷・叔斉餓死)の話を聞かされ、案の定、反論できず帰ってくるしかなかったのである。
もちろん、五徳の有道の盗人。
 ○聖…盗む対象が金になるか十分に吟味
 ○勇…度胸と勇気は不可欠
 ○義…危険が迫ったら仲間を先に逃がしてから
 ○智…盗みが可能な計画を案出
 ○仁…獲得したら公平に山分け
尚、この盗跖譚は、孔子が盗跖に弁舌で負け、尻尾を巻いて逃げ帰る様子を指す、"孔子倒レ"でえらく有名だったらしく、「源氏物語」にも引かれている。
右大将の、いとまめやかに、ことことしきさましたる人の、「恋の山には孔子の倒ふれ」まねびつべきけしきに愁へたるも、さる方にをかしと、皆見比べたまふ中に、 唐の縹の紙の、いとなつかしう、しみ深う匂へるを、いと細く小さく結びたるあり。[『源氏物語』第二十四帖 胡蝶]

話の筋はこんなところ。・・・
"今昔、震旦の□□代に、柳下恵と云ふ人有けり。"
賢人で重用されていた。
その弟 盗跖は、山懐に住み、2000〜3000人の悪党を集め我物顔で活動していた。
道行く人を殺害、凌辱するなど悪事三昧。
柳下恵、たまたま孔子に出会う。
孔子は、
 丁度、出向いて話をしようと思っていたところ、と言う。
 そして、
 そなたの弟に教訓を聞かせようと考えているのです、と。
 それにしても、何故に弟の行為を制止なさらぬか?と問う。
柳下恵、
 弟は、私の言うことなど聞く耳持たずで、
 嘆くことしかできないのです、と。
孔子は、
 それなら私が行って教えることにしましょう。
 如何?、と。
柳下恵、
 止せ、
 従うような御仁ではないから、と。
 行けば
 却って悪いことがおきます、とも。
孔子は、聞かない。
 悪人も、良いことを言えば従うことがあります。
 聞く筈無しとは言い切れません、と。
 まあ、見ていて下さい、と自信満々。

門に到着すると、そこはまさに悪事の舘。
魯の孔子参上と使いが伝えると、返答あり。
 有名だが、諭す人だから、説教か。
 それが、俺の心に合うなら、採用するが、
 合わなければ、腸を鱠にしてくれるゾ。
孔子、庭に入り、盗跖に拝謁し座に着く。
 見ると、盗跖は恐ろしい姿だったが
 説教を始めた。
盗跖、大笑いし、言ってる事は間違いと指摘。
 尭・舜は尊敬すべき帝とされるが、
  子孫には領地の欠片もない。
 伯夷・叔齊は賢人と呼ばれるが、
  首陽山に倒れて飢え死に。
 お前の弟子にしても、学んだところで、
  顔回は短命。
  子路は殺された。
 俺は、悪事で災いなど被ったことはない。
 褒められても、せいぜい4〜5日続くだけで、
  非難されても、同じこと。
 長々と、褒められたり、避難されることなど無い。
そして、言い放つ。
 俺は、心のおもむくまま生きるつもりだ。
 お前など、朝廷を畏れ奉るが二度も追放されている。
  実に愚かしい。
  即刻、走り去れ。
  お前の話で使えるものなど全く無いのだ、と。
孔子、何も言えず。
席を立ち、急いで逃げ帰るしかなく
 馬に跨ったのだが、
 轡を二度も取り外し、鐙も踏み外した。
"此れを、世の人、「孔子倒れし給ふ」と云ふ也となむ、語り伝へたるとや。


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