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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.7.15] ■■■
[15] 仏陀波利三蔵
天竺僧だが五台山に入山し一生をそこでささげた三蔵法師、仏陀波利/覚護を取り上げてみたい。
  →"仏陀波利三蔵"像@東京国立博物館

現時点では名前さえ知らない人が大多数を占めているが、「今昔物語集」では重要な僧侶として登場しているからだ。

と言うことで、どんな風に扱われているかから。
【震旦部】の冒頭、巻六震旦 付仏法は中華帝国での仏教渡来〜流布に関する話を48譚集めたもの。
全体構成としては、このようになっている。
 《渡来状況》
[_1]天竺僧渡来⇒弾圧@秦始皇
[_2]仏法渡来@後漢明帝
 《祖師》
[_3]達磨[5世紀後半〜6世紀前半]
[_4]康僧会三蔵[n.a.-280年]
[_5]鳩摩羅焔…鳩摩羅什[344-413年]の父
[_6]玄奘三蔵[602-664年]
[_7]善無畏三蔵[637-735年]⇒胎蔵界曼陀羅
[_8]金剛智三蔵[671-741年]⇒金剛界曼陀羅
[_9]不空三蔵[705-774年]⇒仁王呪
[10]仏陀波利(三蔵)[n.a.-683年-n.a.]⇒(仏頂)尊勝真言(陀羅尼)
 《背景》
[11〜30]仏像
[31〜48]経典
譚のタイトルは"仏陀波利尊勝真言渡震旦語"である。

この真言/陀羅尼は現代でも頻繁に使われているそうだが、経典は異本が多いそうだ。[大正蔵#967]宋本、明本、高麗本でも少々違うという。その上漢訳者も、仏陀波利/覚護だけでなく、不空、義浄、杜行、地婆訶羅と数が多い。以下に引用した「仏頂尊勝陀羅尼経」序文を読むと、翻訳経典には細かい相異が色々出るとのことわりがある。

「今昔物語集」はこの陀羅尼経訳が生まれた経緯について記しているのだが、出典はこの序文なのだろう。ただ、後半はカットして短くしているが。

何故に、この陀羅尼だけ重視しているかは自明である。776年に詔書下達があり、仏僧は毎日21遍誦尊勝咒となったからだ。日本でも、860年に、清和天皇が同様な勅令とか。
ちなみに、ご利益は、滅惡業、離地獄、摯泅謔轤オい。日本での解説ではそれ以外が多いようだが。
この陀羅尼は87句から成り、偈は、
  西域尊者往東來,
  卻被文殊化引開;
  東土若無尊勝咒,
  孤魂難以脱塵埃。

序は流石に長いが、わかりやすいので引用しておこう。
志静撰:《仏頂尊勝陀羅尼経序》
仏頂尊勝陀羅尼経者、
 婆羅門僧仏陀波利、儀鳳元年[676年]従西国[天竺]来至此士、
 到五臺山次、遂五体投地、向山頂礼日、
  「如来滅後、衆聖潜霊。
   唯有大士文殊師利、於此山中、汲引蒼生、教諸菩薩。
   波利所恨、生逢八難、不韻聖容。
   遠渉流沙、故来敬謁。
   伏乞大慈大悲普覆令見尊儀。」
言己、悲泣雨涙、向山頂礼。
礼已挙頭、忽見一老人従山中出来。
遂作婆羅門語調僧日、
  「法師情在慕道、追訪聖蹴。
   不徽励労、遠尋遺跡。
   然漢地衆生多造罪業、出家之輩亦多犯戒律。
   唯有"仏頂尊勝陀羅尼経"、能滅除悪業。
   未知法師頗将此経来不。」
僧日、
  「貧道直来礼謁、不将経来。」
老人曰、
  「既不将経、空来何益。
   縦見文殊、亦何必識。
   師可倒向西国[天竺]、取此経来、流伝漢土、
   即是遍奉衆聖、広利群生、挺済幽明、報諸仏恩也。
   師取経来至此、弟子当示師文殊師利菩薩所在。」
僧聞此語、不勝喜躍。遂裁抑悲涙、至心敬礼。
挙頭之頃、忽不兇老人。
其僧驚樗倍、更虐心繋念傾誠。
廻還西国[天竺]、取"仏頂尊勝陀羅尼経"、
 至永淳二年[683年]廻至西京[長安]、具以上事間奏大帝[高宗]。
   (注:唐朝の法律上、皇帝の承認が必要)
 大帝遂将其本入内、請日照三蔵法師、
 及勅司賓寺典客令杜行顎等、共訳此経。
 施僧絹三十匹、其経本禁在内不出。
 其僧悲泣奏日、
  「貧道揖躯委命遠取経来、情望普済群生救抜苦難。
   不以財宝為念、不以名利関懐。
   請還経本流行、庶望含霊同益。」
帝[太宗]遂留翻得之経、還僧梵本。
其僧得梵本将向西明寺@長安、
 訪得善梵葬叩漢僧順貞、奏共翻訳。
帝随其請。僧遂対諸大徳共貞翻訳詑。
僧将梵本向五臺山、入山於今不出。
今前後所翻両本並流行於代。
 小小麺叩有不同者、幸勿怪焉。
至垂拱三年[687年]、
定覺寺主僧志静、因停在神都魏国東寺、
 親見日照三蔵法師、問其逗留、一如上説。
 志静遂就三蔵法師諮受神呪。
法師於是口宣梵音、経二七日、句句委授、具足梵音、一無差失。
佃更取旧翻梵本勘校、所有脱錯悉皆改定。
其呪初注云最後別翻者是也。
其呪句梢異於杜令所翻者。
其新呪改定不錯井注其音詑。後有学者、幸詳此焉。
至永昌元年八月、於大敬愛寺見西明寺上座澄法師、問其逗留、亦如前説。
其翻経僧順貞現在住西明寺。
此経救抜幽顕爪脇議、藤学者不知故、具録委曲以伝未悟。


要するに、五台山は全アジア的に文殊菩薩の聖地としての地位を確立していたのである。この陀羅尼が渡来し、その名声はさらに高まったのは間違いない。仏陀波利は当然ながら文殊菩薩の眷属とされていくことになる。

仏頂尊勝陀羅尼の験力で鬼の難を遁ることができたとの本邦譚も収録されている。 [本朝仏法部] 巻十四本朝 付仏法(法華経の霊験譚)  [巻十四#42]尊勝陀羅尼験力遁鬼難語
陀羅尼を身に付けたので、百鬼夜行を避けることができたのである。

但し、本来的には出典は以下の書。ここらについては、稿を改めて。
  非濁[n.a.-1063年][撰述]:「三寶感應要略

(参考) 下野玲子:「唐代前期の仏頂尊勝陀羅尼」人間学研究論集 1, 2011年

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