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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.7.19] ■■■
[19] 王昭君
美女で名高い王昭君を取り上げておこう。
 【震旦部】巻十震旦 付国史(奇異譚[史書・小説])
  [巻十#5]漢元帝后王昭君行胡国語

王昭君が胡に嫁ぐ悲劇は同情感を引き起こしたと見え、中華帝国では普く知られる。ところが、「今昔物語集」はママでそれを伝えたくはなかったようだ。

 天皇も、王照君を恋ひ悲び給て、
 思ひの余りに、彼の王照君が居たりける所に行て、見給ければ、
  春の柳、風に靡き、
[鶯]、徒然に鳴き、
  秋は木の葉、庭に積りて、檐
[軒]の□[しのぶ]隙無くて、
 物哀なる事、云はむ方無かりければ、弥よ悲ひ悲び給けり。


どう見ても、これは日本的情緒表現。
だからこそ、日本でも王昭君話がアッという間に広がったのではないか。
本邦で人気の漢詩は白楽天作だったようである。
  「王昭君 二首」 白居易
 滿面胡沙滿鬢風,眉銷殘黛臉銷紅。
 愁苦辛勤憔悴盡,如今卻似畫圖中。
 漢使卻回憑寄語,黄金何日贖蛾眉。
 君王若問妾顏色,莫道不如宮裏時。


この一部が「和漢朗詠集」下 王昭君に引かれているからだが。
 "愁苦辛勤盡,如今卻似畫圖中。"…白居易(上記引用)
  「王昭君」 
大江朝綱[886-957年]
 翠黛紅顔錦繍粧 泣尋沙塞出家郷
 辺風吹断秋心緒 隴水流添夜涙行
 胡角一声霜後夢 漢宮萬里月前腸
 昭君若贈黄金賂 定是終身奉帝王


そして、この漢詩は一世風靡したようだ。・・・

漢帝が北夷の国へおつかわしになった宮女の琵琶を弾いてみずから慰めていた時の心持ちはましてどんなに悲しいものであったであろう、それが現在のことで、自分の愛人などをそうして遠くへやるとしたら、とそんなことを源氏は想像したが、やがてそれが真実のことのように思われて来て、悲しくなった。源氏は
 「胡角一声霜後夢」
と王昭君を歌った詩の句が口に上った。
  [與謝野晶子[訳] 紫式部:「源氏物語」須磨]

情緒だけならホホウ〜で終わるのだが、内容的に気になる点もある。
賄賂についても記載している訳だが、現代的な罪の意識が感じられぬ書き方の点。ある意味、それは、中華帝国の事情をよく知っていたということでもある。
官僚に命名されても、職掌によるが、収入は自分で稼ぐ必要があったりするから、賄賂と当然のお礼の間の線引きは恣意的なものでしかない。
それ以上に、どういうことか、インターナショナル感を毛嫌いする言葉があがっている。
 「此の胡国の者共の来れるは、国の為に極て宜からぬ事也。」

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