→INDEX

■■■ 今昔物語集の由来 [2019.7.24] ■■■
[24] 結集時の阿難
釈尊入滅後の結節点は結集。常にお側に仕えていた阿難譚でもある。釈尊かく語りきという阿難の言葉で経典が作られていったのであろう。
 【天竺部】巻四天竺 付仏後(釈迦入滅後の仏弟子活動)
   [巻四#_1]阿難入法集堂語

結集時に阿難がどう扱われたかは、それなりに知られてはいるものの、様々な経典に記されており、どれが元ネタかははっきりしていないようだ。

「今昔物語集」の"結集時の阿難譚"は、注釈書である龍樹:「大智度論」と、玄奘直弟子が書いた師僧伝、慧立,彦[撰述]:「大唐大慈恩寺三藏法師傳」@688年に負うところ大。
結集時に「大小乗」という概念など有ろう筈はないから、明らかに大乗を意識しており、百巻にもなる大部から引いておきたかったと見える。
一方、後者は、玄奘:「大唐西域記」@646年の代わり。

小生は、ズムの素人だが、「今昔物語集」の編者は海外譚の基本出典を「大唐西域記」定めたと見なす。その補足がFONT size="-2">非濁[n.a.-1063年][撰述]:「三寶感應要略」。後者を多用するのは、それが玄奘の「大唐西域記」とその直弟子の「大唐大慈恩寺三藏法師傳」をベースにしている書だからで、しかもそれが当時の最新書籍だったことが大きいと見る。
これでは不十分な感じがした場合は、円行が入唐[834〜848年]して持ち帰った唐写本(日本にのみ現存)唐臨:「冥報記」からも引いたということだろう。

と言うことで、"結集時の阿難譚"を眺めておこう。・・・
今昔、
天竺に、仏の涅槃に入給て後、迦葉尊者を以て上座として、千人の羅漢、皆集り坐して、大小乗の経を結集し給ふ。
【迦葉⇔阿難】
其の中に、阿難の所に過多し。
然れば、迦葉、阿難を糺し、問給ふ。「先づ、汝ぢ、曇弥を仏に申して出家せしめて、戒を許す。此れに依て、正法五百年を促めたりき。其の過が如何」と。阿難、答て云く、「仏の在世に滅後に、必ず四部の衆有り。比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷也」と。
亦、迦葉、問て云く、「汝ぢ、仏の涅槃に入給し時、水を汲て仏に奉らざりき。其の過如何」と。阿難、答て云く、「其の時に、河の上より五百の車渡りき。然れば、水を汲て仏に奉るに能はざりき」と。
亦、迦葉、問て云く、「仏、汝に問給ひき。『一劫に住すべしか、多劫に住すべしか』と。其の答を、汝ぢ、三度答申さざりき。其の過如何」と。阿難、答て云く、「天魔・外道、其れに依て障碍を成すべし。其の故に、答申さざりき」と。
亦、迦葉、問て云く、「仏の涅槃し給ひし時、摩耶夫人、遥に利天より手を延べて、仏の御足を取て、涙を流し給ひき。其れに、汝ぢ、親しき御弟子として、制止を加へずして、女人の手を仏の御身に触れしめたる、其の過如何」と。阿難、答て云く、「末世の衆生に、祖子(おやこ)の悲み深き事を知らしめむが為也。此れ、恩を知て、徳を報ずる也」と。
然れば、阿難の答ふる所、一々に過が無かりければ、迦葉、亦問ふ事無くして止り給ひぬ。

【1】大迦葉言:
 「汝更有罪!佛意不欲聽女人出家,汝慇懃勸請,佛聽為道;以是故,佛之正法五百歳而衰微,是汝突吉羅罪!」 阿難言:
 「我憐愍瞿曇彌,又三世諸佛法皆有四部衆,我釋迦文佛云何獨無?」

【2】大迦葉復言:
 「佛欲涅槃時,近倶夷那竭城,脊痛,四疊多羅僧敷臥,語汝言:『我須水。』汝不供給,是汝突吉羅罪!」
 阿難答言:
 「是時,五百乘車,截流而渡,令水渾濁,以是故不取。」

【3】大迦葉復言:
 「佛問汝:『若有人四神足好修,可住壽一劫,若減一劫;佛四神足好修,欲住壽一劫,若減一劫。』汝默然不答。問汝至三,汝故默然。汝若答佛:『佛四神足好修,應住一劫,若減一劫。』由汝故,令佛世尊早入涅槃,是汝突吉羅罪!」
 阿難言:
 「魔蔽我心,是故無言;我非惡心而不答佛。」

【4】大迦葉復言:
 「汝與佛疊僧伽梨衣,以足蹈上,是汝突吉羅罪。」
 阿難言:
 「爾時,有大風起,無人助我捉衣,時風吹來墮我下,非不恭敬,故蹈佛衣。」

【5】大迦葉復言:
 「佛陰藏相,般涅槃後以示女人,是何可恥?是汝突吉羅罪!」
 阿難言:
 「爾時,我思惟:『若諸女人見佛陰藏相者,便自羞恥女人形,欲得男子身,修行佛相,種福コ根。』以是故,我示女人,不為無恥而故破戒。」

【6】大迦葉言:
 「汝有六種突吉羅罪,盡應僧中悔過!」
 阿難言:
 「諾!隨長老大迦葉及僧所教!」

是時,阿難長跪合手,偏袒右肩,脱革,六種突吉羅罪懺悔。大迦葉於僧中,手牽阿難出,語阿難言:「斷汝漏盡,然後來入;殘結未盡,汝勿來也!」如是語竟,便自閉門。
  龍樹:「大智度論」 第2卷大智度初品總説如是我聞釋論第三

亦、千人の羅漢、霊鷲山に至て、法集堂に入る時、迦葉の云く、「千人の羅漢の中に、九百九十九人は既に無学の聖者也。只、阿難一人、有学の人也。此の人、時々、女引く心有り。未だ習ひ薄き人也。速に堂の外に出よ」と云て、立て曳出て、門を閉づ。
其の時に、阿難、堂の外にして、迦葉に申して云く、
 「我が有学なる事は、四悉檀の益の為也。
  亦、女の事に於て、更に愛の心無し。猶、我を入れて、座に着かしめよ」と。
迦葉の云く、
 「汝ぢ、猶習へる所薄し。速に無学の果を証せらば、入れて坐しめむ」と。
阿難云く、
 「我れ、既に無学の果を証せり。速に入らしめよ」と。
迦葉の云く、
 「無学の果を証せらば、戸を開けずと云ふとも、神通を以て入るべし」と。
其の時に、阿難、匙の穴より入て、衆の中に有り。
然れば、諸の衆、希有の思ひを成す。
此れに依て、阿難を以て法衆の長者と定む。

是時,大迦葉與千人倶,到王舍城耆闍崛山中,・・・
大迦葉入禪定,以天眼觀,今是衆中,誰有煩惱未盡應逐出者!
唯有阿難一人不盡,餘九百九十九人諸漏已盡,清淨無垢。大迦葉從禪定起,衆中手牽阿難出,言: 「今清淨衆中結集經藏。汝結未盡,不應住此!」

  龍樹:「大智度論」 第2卷大智度初品總説如是我聞釋論第三
竹園西南行五六里,山側有別竹林,中有大石室,是尊者摩訶迦葉波於此與九百九十九大阿羅漢,如來涅槃後結集三藏處。
當結集時,無量聖衆雲集,迦葉告曰:
 「衆中自知具三明、六通,總持如來一切法藏無錯謬者住,餘各隨所安。」
時簡得九百九十九人。
阿難在於學地,迦葉語阿難:
 「汝漏未盡,勿汚清衆。」
阿難慚愧而出。
一夜勤修,斷三界結,成阿羅漢,還來叩門。
迦葉問曰:
 「汝結盡耶?」
答曰:
 「然!」
復曰:
 「若結盡者,不勞開門,隨意所入。」
阿難乃從戸隙而入,禮拜僧足。
迦葉執其手曰:
 「我欲汝除斷諸漏證聖果,故驅逐汝出,汝當知之。勿以為恨。」
阿難曰:
 「若懷恨者,豈名結盡。」
於是禮謝而坐。即初安居十五日時也。迦葉語阿難曰:
 「如來常於衆中稱汝多聞,總持諸法,汝可昇座為衆誦《素纜藏》,即一切經也。」
阿難承命而起,向佛般涅槃山方作禮訖,昇坐誦經,諸衆隨口而録。

  「大唐大慈恩寺三藏法師傳」卷第三 起阿踰陀國終伊爛拏國

【偈】然れば、阿難、礼盤に昇て、「如是我聞」と云ふ。其の時に、大衆、「我が大師、釈迦如来の再び還り在まして、我等が為に法を説き給ふか」と疑て、偈を説て、同音に頌して云く、
  面如浄満月
  目若青蓮花
  仏法大海水
  流入阿難心

面如淨滿月,眼若青蓮華;
 佛法大海水,流入阿難心!
 能令人心眼,見者大歡喜;
 諸來求見佛,通現不失宜!
 龍樹:「大智度論」 第3卷大智度共摩訶比丘僧釋論第六

と誦して讃歎する事限無し。
其の後、大小乗の経を結集する。此れ、阿難の詞也。
然れば、仏の御弟子の中に、阿難尊者勝れたる人也と、皆知ぬ

となむ、語り伝へたるとや。

[ご注意]邦文はパブリック・ドメイン(著作権喪失)の《芳賀矢一[纂訂]:「攷証今昔物語集」冨山房 1913年》から引用するようにしていますが、必ずしもママではなく、勝手に改変している箇所があります。

 (C) 2019 RandDManagement.com    →HOME