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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.7.30] ■■■
[30] 道成寺
盗賊譚に触れると、「今昔物語集」の編者のエスプリが分かってくるが、ものの見事と思われる譚を取り上げておこう。
 【本朝仏法部】巻十四本朝 付仏法(法華経の霊験譚)
  [巻十四#_3]紀伊国道成寺僧写法花救蛇語

なんといっても題名が秀逸。「寺僧が法花経を写して蛇を救ったお話」とある。現代感覚だと、法華経の霊験譚としては珍しい類かなと感じてしまう。
しかし、その寺とは道成寺であり、安珍・清姫話の舞台そのもの。
後世の様々な創作(能、人形浄瑠璃、歌舞伎、長唄、義太夫、・・・)になっており、知らぬ人なしの有名なストーリーだ。
思いを寄せた僧に裏切られた娘が蛇となって、鐘ごと炎で焼き尽くすというだけの筋ではあり、それを、法華経の"有り難い霊験談"と言われてしまうと現代感覚ではハテナとなる。功徳などおよそありえそうにない話と思ってしまいがち。

そう。編者は、そんな話をどうしても霊験譚に入れ込みたかったのだ。(鎮源[@比叡山首楞厳院1040-1044年]:「大日本国法華験記」からの引用。)

今昔。
熊野に参る老と若の二人の僧。若き方は、形貌美麗。
牟婁の郡で、とある家で宿を乞うことに、
主は若き寡婦で、従者が2〜3人。
女に愛欲心が生まれ、手厚くもてなすことに。
もちろん夜這い。若き僧は目覚め、女が添い寝しているので驚く。
 「見た時から夫にしたかった。」と言われてしまう。
僧は身を正し、
 「宿願あり。心身精進中。
  これから権現の宝前に参るので、そうはいかぬ。」と。
されど、女は引き下がらず、終夜擾乱し戯る。
 「熊野に参て、両三日に御明御幣を奉て、
  君の宣はむ事に随はむ。」と約束し、
曙光と共に、僧は出立。
女は戻るのを指折り数えて待つものの僧は現れない。
そこで、熊野から帰都の旅人に事情を質すと
 既に他の道より逃て過にけり、とのこと。
それを聞き、女は大いに瞋り寝屋に引き籠ってしまった。
従女等も泣き悲しんでいたのだが、
 やがて、五尋ほどの毒蛇が出できて、街道を走り始めた。
これを目撃した人々は恐れ、
 その奇異の噂が件の僧の耳にまで達したのである。
かの女、悪心で毒蛇に成て追て来るのなら、
 道成寺に逃げ込もうということに。
寺で事情を話すと、寺僧達は、鐘を下ろして僧を閉じ込めた上で閉門。
暫くして、蛇追いつく。
 門を乗り越え、鐘堂を廻った上で扉を叩き破り
、 鐘に巻きつき尾で竜頭を叩き続けた。
数刻の後、
 血の涙を流し舌嘗づりしながら、もと来たほうへ去っていった。
早速、僧救出しようとしたが、蛇の毒熱で鐘は炎のよう。
 水を懸け冷まして鐘を取去ててみると、
 僧は焼失し骸骨すらなく僅かな灰を残すのみ。
此れを見た老僧泣き悲しむ。

この後、道成寺の高僧の夢に僧が出現。
 「我、毒蛇になり、
  かの女蛇により夫婦にさせられき。
  この穢き身での苦痛は耐えがたし。
  しかし、どうにも力及ばず。
  法花経持経はしていたのに。
  聖人の広大な恩徳をもって
   如来寿量品の写経をお願い申し奉る。
  我等二の蛇の為の供養で、此の苦を抜いて下さらぬか。」と。
老僧は、道心を発し写経。
 衣鉢を投て、諸僧を請じ、一日の法会を挙行し供養。

その後、老僧の夢に喜色の僧と女が登場。
 女は利天に生れ、僧は都率天に昇ったと。


これをもって、"法花経の霊験掲焉なる事、不可思議"譚ということ。
"老僧の心有難し"であり、確かに、法花経で蛇を救うことができた訳だ。

横恋慕での殺人は現代になっても絶えることはない。
あんたなんか嫌いと言っても信じてもらえず、死んであの世で一緒になろうと考える人も少なくなさそうだし。三面記事の典型パターンニュースでは、男がつきまとい続け、近付けなくなると、ついには殺して自殺。そんな結果はわかっているのに、どうして、女性を助けられなかったのか、との社会派的トーンで語られることがほとんど。
確かに殺された方は避けようがないから、たまったものではない。仏教的姿勢だと、それは前世の因果の結果であり、二人ともに一緒に供養してあげるに如かずとなるのであろう。

マ、ここでのご教訓は女の愛欲恐ろし以上ではない。

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