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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.8.3] ■■■
[34] 紀長谷雄
紀長谷雄[845-912年]は菅原道真門下であり、895年には式部少輔・大学頭・文章博士の三職兼帯。

醍醐天皇の詔勅や公文書類の起草者と言われており、自撰漢詩集は失したが、いくつの漢詩文が伝わっている。白楽天的なイメージもあるから、大陸で探せばさらに作品が見つかる可能性もあろう。
(尚、「古今集」真名序は紀貫之の養子となった長子の紀叔望が作者。)

以下の長編詩「貧女吟」が知られている。日本では、40句もある漢詩をみかけないせいもあろう。(深窓の美女も今や老い果て、病んで貧しい独り暮らし。)
  有女有女寡又貧,年齒蹉病日新。紅葉門深行跡斷,四壁虚中多苦辛。
  本是富家鍾愛女,幽深窗裏養成身。綺羅脂粉粧無暇,不謝巫山一片雲。
  年初十五顏如玉,父母常言與貴人。公子王孫競相挑,月前花下通慇懃。
  父母被欺媒介言,許嫁長安一少年。少年無識亦無行,父母敬之如神仙。
  肥馬輕裘與鷹犬,毎日群遊侠客筵。交談扼常招飲,一日之費數千錢。
  産業漸傾遊獵裏,家資徒竭醉歌前。十餘年來父母亡,弟兄離散去他郷。
  聟夫相厭不相顧,一去無歸別恨長。日往月來家計盡,飢寒空送幾風霜。
  秋風暮雨斷腸晨,憶古懷今涙濕巾。形似死灰心未死,合怨難追舊日春。
  單居抱影何所在,滿鬢飛蓬滿面塵。落落戸庭人不見,欲披悲緒遂無因。
  寄語世間豪貴女,擇夫看意莫見人。又寄世間女父母,願以此言書諸紳。


律儀・実直で有能な、理想論での唐的官僚を目指した人だったのかも。

しかし、作品として選ばれるのは和歌であり、そこに漏れてしまうような人材ではない。
選ばれたのは恋歌。[「後撰集」#620]
  人につかはしける
 臥して寝る 夢路にだにも 逢はぬ身は
  なほあさましき うつつとぞ思ふ


この雰囲気から察するに、謹厳居士という訳ではなく、美人に目がなかったお方かも。
と言うのは、後世に「長谷雄草紙」があるからだ。・・・朱雀門の鬼と全財産を賭けて双六勝負。勝って絶世の美女を得るのだが、100日我慢の約束が守れず、女は水になってしまうストーリーの絵巻物が残っている。

コレ、なかなか示唆に富む話。
長谷雄は神仙・隠逸的な思想の持主だったからだ。
権力闘争に明け暮れる社会のなかで、精神的にはそこから逃避したい気分もあったのかも知れぬが。

前段話が長くなったが、「今昔物語集」の紀長谷雄譚に移ろう。

先ず、滑稽話とされているものから。
 【本朝世俗部】巻二十八本朝 付世俗(滑稽譚)
  [巻二十八#29]中納言紀長谷雄家顕狗語
紀長谷雄は学識豊かではあったが、陰陽道についての知識はなかった。
狗が、なにかといえば土塀を越えて来て、小便をするので、有名な師に吉凶判断を頼んだ。その占いの結果、家に鬼が出現する日がわかった。しかし、危害は無いとのことなので、物忌日にすると決めた。
その当日、そのことを忘れ、学生達と漢詩文を作っていた。すると物置の塗籠から不気味な声が。そして、戸から四つ足で角が生えたモノが出て来たので一同恐ろしさで竦み上がった。
しかし、思慮深い者もおり、鬼らしきモノを蹴った。すると、被り物が脱げ白い狗がいた。要するに、犬が入り込んで、頭を器につっこんで外れなくなってしまっただけのこと。
一同、占い師の器量を褒め称えたのである。

もちろん、譚としては、物忌日を失念するとはけしからん、ということで〆。
どこを笑いの対象とするか、微妙な問題があり、かなり知的な内容と言えるだろう。紀長谷雄であることが重要なのであるから、漢詩で鬼とも交流できる御仁と見なされていると示唆している点も見逃せない。

 【本朝世俗部】巻二十四本朝 付世俗(芸能譚 術譚)
  [巻二十四#25]三善清行宰相与紀長谷雄口論語
三善清行と紀長谷雄の口論とされているが、口論をしかけられたという意味で口論になった訳ではない。
三善清行に、無才の博士と侮蔑されたものの、争わなかったのである。
才気を表に出さず、仕掛けられても慎重に対処する性格だったと描かれている訳だ。
両者は同じように出世したライバル同士だが、道真は長谷雄の才を高く評価し、顕示欲を隠そうともしない清行を低く見ていたことから生まれた確執とも言えよう。三善清行が道真追放の引き金役でもあったことを示しているとも言えよう。
長谷雄が争う気が全く無かったのは、事実上の配流下にある道真を支えるために力を注いでいたからでもある。

  [巻二十四#_1]北辺大臣長谷雄中納言語
一条北辺に居住する北辺左大臣信は嵯峨天皇の御子。管弦、特に筝に優れていた。
ある時、一晩中弾いており、難曲もこなし、満足の出来と思っていると、格子の上の方で2〜3の天人が舞っていた。
一方、中納言紀長谷雄は博士。
月が明るく照っている夜のこと。大学寮西門から出て、禮成門の橋の上に立ち、北の方を眺めていたところ、朱雀門の上層階に人影が見えた。霊人らしく、垂木に届くほどの伸長の武官姿で、詩を吟じ口笛を吹いて歩き回っているのであった。
話はこれだけである。
実に稀有なことで、特別なお方はこのような奇異な現象を見ることができると言うのが〆となっている。
2つの話に特別な関連はなさそうだし、実にさらりとした平凡なまとめに映る。しかし、「今昔物語集」編者としては、"それアルアル"と感じており、この話は是非にも入れたかったのだと思う。
一心不乱で没入し続け、思っていた以上の完成度が実現した喜びに浸って、一人、静寂のなかで心地よく熱を冷ましていると、見えてくるものがあるのだ。

そうそう、三善清行譚もあるので、筋をまとめておこう。

 【本朝世俗部】巻二十七本朝 付霊鬼(変化/怪異譚)
  [巻二十七#31]三善清行宰相家渡語
三善清行は善宰相と呼ばれており、陰陽も究めている。
五條堀川の辺に荒れ果てた古い家があ、悪しき家に住むのは益が無いと制されたものの、家が無いので買い取って、お引っ越し。
作法に則らずに、畳一枚を持たせて、車でその家に。荒れ放題の家だったが、灯火をつけると、従者達を引き取らさせた。
独りで寝ていると、天井で音がして、格子に毎に様々な顔が出現。そのうち消えてしまったが、南側庇の板敷から小人が騎乗して40〜50人の隊列を組んで行進していった。
さらに、物置の塗籠から、女が戸を開けて出て来た。扇で顔を隠すものの、高貴であり、美貌と思われた。宰相が睨みつけると、扇を外した。大きな赤鼻で口からは交叉するが出ていた。この女も戸を閉めて見えなくなった。
すると、騒がずに坐して見ていた宰相のもとに、浅黄色の着物を着た翁が庭からやって来た。手紙を持って、跪いたのである。
どういうことか尋ねると、長く住みついた所に入ってこられるのは悲しいコト、と。
そこで、家は購入して得るもので、脅かして押し入り住みつくのは道理に外れていると説教。
それに脅すと言っても、老狐がしているようなもので、犬一匹放てば皆食い殺されてしまう、とも。
翁はその通り、と。
さらに、代替地として大学南門の東の空き地でよろしいでしょうか、と言うので宰相は、それは賢明な判断であり認める、と。
そして、翁の号令のもと、全員が移っていったのである。
夜が明け、従者が来たので帰宅し、この荒れた家の改築に取り掛からせた。その後、恐ろしいことは何もなかったという。


みるからに、紀長谷雄とは相いれそうにない体質の御仁なのが透けて見える。

(参考) 井上辰雄:「紀長谷雄−節操の文人−」城西国際大学紀要 16, 2008年

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