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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.8.7] ■■■
[38] 橘朝臣
巻二十三は"強力譚"であるが、構成はこんな風になっている。・・・
  [巻二十三#_1〜12] (欠文)
  [巻二十三#13〜16] 《侍/貴族》
  [巻二十三#17〜20] 《僧系》
  [巻二十三#21〜25] 《相撲人》
  [巻二十三#26__] 《競馬騎手》


侍/貴族を取り上げていると言っても、現実の生活での話で格別特異なことを取り上げている訳ではない。ただ、侍と言っても、戦乱現場での大活躍に意味がある訳ではない。それは巻二十五の方で取り上げる手筈になっているからだ。
あくまでも、個人的に"強力"なことに意味を見出している。
重要なのは、侍だけが"強力"な訳ではないということを感じさせることと、ある意味乱暴狼藉と裏腹であり、咎になるようなことをすれば、朝廷が罰することになると明確に打ち出したこと。
"強力"を発揮する側が権力を握ってはいないことを示している訳だ。

  【本朝世俗部】巻二十三本朝(強力譚)
  [巻二十三#13]平維衡同致頼合戦蒙咎語
2つの事件がほぼ同時に裁かれたようである。
 (その1)
 前下野守 平維衡は 陸奥守 貞盛の孫。
 平致頼と合戦。勝負つかず。

 朝廷、咎と認定。

 致頼は隠岐国流罪。
 請戦の維衡は淡路国に移郷一年、可任。


《坂東平氏系譜》
○高望…889年臣籍降下[上総介]
├┬┐
││○良将…三男が将門[n.a.-940年]
│○良兼
○国香/良望
├┐
│○繁盛⇒常陸平氏
○貞盛[n.a.-989年]
├┬┬┬┐┼┼┼─┐養子(15)
││││○維幹┼┼維茂
│││○維衡⇒伊勢平氏
││○維敏
│○維将
○維叙


○良兼[n.a.-939年]

○公雅
├┬┬
││○致頼[n.a.-1011年]
│○致成
○致秋

 (その2)
 藤原致忠
 美濃国の途中で
 前相模守橘輔政の子
(惟頼)と郎等を射殺。(999年)

 朝廷
 検非違使大夫 尉藤原忠親と右衛門志県犬養為政等を派遣し
 咎と認定。

 藤原致忠は佐渡国流罪。


この藤原致忠だが右京大夫で藤原道長・頼通の有力家司に当たる。その子は武勇の保昌と害や強盗を働いた無頼漢保輔。
  [→袴垂]

  [巻二十三#14]左衛門尉平致経導明尊僧正語
  [→完璧な明尊護衛]

  [巻二十三#15]陸奥前司橘則光切殺人語
 陸奥の前司 橘則光[965年-n.a.]は兵ではないが力があった。
 衞府の藏人だった頃、
  宿所から女の許へ忍ぶのが常習化。
 ある日、深夜、
  太刀を振りかざして襲ってくる者がおり
  それに応じて、殺してしまった。
 翌日、どう対処するか思案に暮れたが、
  仲間に連れられ現場にいくと
  大男が三人の斬殺死体が転がっていた。
 そこに殺人犯が名乗り出てきた。


一見、武勇伝風。
しかし、列記とした貴族。
清少納言の最初の夫でもあり、和歌音痴ではあるものの、どこか馬があったようだ。

  [巻二十三#16]駿河前司橘季通構逃語
 駿河前司 橘季通[982-1034年]は陸奥前司橘則光朝臣の子。
 若かりし頃のこと。
 高貴な家の女房女房と深い仲に。
 それを知る、その家の侍が懲らしめてやろうと相談。
 季通はそうとも知らずにやってきて、袋の鼠に。
 どうにもならぬと、部屋に居続けた。
 ところが、従者の小舎人童の機転で、
 上手く逃げることができた。


巻二十五とは大きく違うので、参考に1譚。・・・
  [巻二十五#_5]平維茂罸藤原諸任語
 餘五と沢胯の間での所領争い。
 軍事衝突寸前、数的に劣勢な沢胯軍勢解散で静かに。
 数か月後、沢胯奇襲をかける。
 夜討で家を焼いて殲滅したと、勝利の野外宴会。
 夜が明け、逃げていた餘五は、独りででも即刻討つと。
 勝算度外視し出陣。
 酔って寝ている沢胯軍殲滅。沢胯斬首される。
 さらに、沢胯の屋敷も焼かれ男は皆殺しに。
 沢胯の妻を実家 大君の屋敷に送り届けた。

 沢胯の四郎とは、兵の田原藤太秀郷の孫 藤原諸任。
 餘五君とは、平維茂。
  平貞盛の養子で、その第十五子ということ。
  
(その後、餘五将軍と呼ばれる。)
 大君とは能登守□□の惟通の子。
  
(橘好則ということ。)

《橘朝臣》
○好古[893-972年]

○為政○敏政○輔政
┼┼┼┼┼
┼┼┼┼┼○惟通○好政○惟頼
┼┼┼┼┼
┼┼┼┼┼好則
┼┼┼
┼┼┼則光○則隆
┼┼┼┼┼
┼┼┼┼┼○成任
┼┼┼┼┼
┼┼┼┼┼○以綱
┼┼┼
┼┼┼○則長○季通
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┼┼┼○則季[1025-1063年]○則孝

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