→INDEX ■■■ 今昔物語集の由来 [2019.8.8] ■■■ [39] 相撲人 正確には国譲りを賭けた"力競べ"で、相撲とは呼べないが、建御名方神(大国主神の御子神)v.s. 建御雷神という紛らわしい名称の神の戦いである。 正式な相撲節会は、射礼と騎射(競馬)を合わせた三度節が宮中の習わしになって始まったようだ。毎年七月下旬、諸国から相撲人を集めた天覧行事として挙行されたという。 「今昔物語集」に"強力"譚を入れるなら、本来的にはメインとすべきものだが、巻二十三の巻末にいくつか並ぶという風情である。 ここ《相撲人》[巻二十三#21〜25]にどんな話を持ってくるか、考えあぐねたたに違いない。 結果こうなった。・・・ 【本朝世俗部】巻二十三本朝(強力譚) ●[巻二十三#21]大学衆試相撲人成村語 相撲節の年のこと。 真髪経則⇒為村⇒成村との家系だが、 その成村が朱雀門で涼んでいた。 諸国から上京した沢山の相撲取りも。 遊びがてら皆で歩いて行き 、 大学寮東門にさしかかり、南へと。 そこには寮の学士達が居り、通せんぼ。 しかたなく引き下がる。 嫌がらせの首謀者が気に喰わぬということで、 翌日お見舞いすることに。 翌日は、双方共に人数も増え、待ち構えていた。 指名された力士は狙いの学士を蹴りにかかった。 ところが、蹴った瞬間、学士は俊敏に体をかえ、 抱え込んで振り回し、周囲の力士の方へと向かってきた。 力士達が逃げると、ブン投げてしまった。 投げられた力士悶絶。結局、命を失うのである。 成村も逃げの一手。 追いかけられ朱雀門の脇に来てしまい、 逃げるところがないので、築地塀を跳び越えようと。 ところが、沓の踵をむしり取られてしまったのである。 この学士、素性わからず。 ●[巻二十三#22] 相撲人海恒世会蛇試力語 右の相撲人、丹後の海恒世の話。 住居近くの深い淵の木陰で涼んでいた時のこと。 突如、水中から大蛇が現われた。 尾を恒世の足に巻きつけ、 頭を対岸の木に巻きつけ、 海恒世を引き込もうとした。 履いていた足駄の歯は折れてしまうし、 固い土に五、六寸も足がめり込むなど 必死に抵抗したので、蛇の体がブツ切れに。 足に跡がついたが酒で洗った。 残っている蛇を見ると、切り口は一尺。 身体が切れても引くとは奇異なことであり、 縄の実験でその力を測ったら60人分だった。 ●[巻二十三#23]相撲人私市宗平投上鰐語 駿河の私市宗平は左の相撲人。 賢い取り口でで活躍。 参河[三河]の伴勢田世も左の相撲人。 強く最高位が長かったが、宗平に負け 脇に甘んじることに。 宗平が駿河で狩りをしていた四月頃のこと。 射られた鹿が逃げようと渡川。宗平追う。 3〜4町先を泳いでいたが追いつき、 担いで泳ぎ帰ろうとしていたら、 沖の方から白波が一直線にやって来た。 岸では、仲間が、鰐鮫に喰い殺されると大騒ぎ しかし、波は戻っていった。 もう一度同じことが繰り返され、 陸まで1〜2丈になった時、 ついに鰐鮫大きな口を開けて近付いてきた。 宗平は鹿の足を鰐鮫の口に押し込み、 その頭を抱え陸に投げ飛ばしたのである。 鰐鮫はその場でで射殺されてしまった。 狩猟仲間に尋ねられので、宗平状況を説明。 鰐鮫は獲物を自分の巣に運んでいく習性あり。 一度目は頭と首、二度目は前足と腹の骨、 最後は後足を喰わせ、投げ上げたのだ、と。 皆、感心。 ●[巻二十三#24]相撲人大井光遠妹強力語 甲斐の大井光遠は 短太、器量あり、力強く、微妙な左の相撲人。 その妹は27〜28才で美麗。離れに住んでいた。 ある時、人に追われた男が刀を抜いて駆け込んできて、 その妹に刀を突きつけ人質にして立て篭った。 家の者が光遠に知らせたが、光遠は平然としており、 「昔の薩摩氏長ほどでなければ無理。」と言う。 そこで、家人は覗き見。 妹は、左手で顔を覆って泣いたふり。 そのうち、20〜30本の荒削り篠竹の矢柄を手に。 手遊びだが、朽ち木のようにぐしゃぐしゃに。 家人は驚いたが、男も力が抜けてしまった。 男はほうおほうの態で逃げ出したのである。 大勢の人に追われて捕えられ、縛られてsじまった。 光遠は、連れてこられた男に何故逃げたと問う。 それを聞いて、光遠大笑い。 「妹はこの光遠の二人分の力がある。 お前さんなど話にならぬ。」と語って、 追っ払ったのである。 ●[巻二十三#25]相撲人成村常世勝負語 七月□日、堀川院で相撲の節。 左の最手[最高位]は、常陸の真髪成村。 右の最手は、丹後の海常世。 大きさ、力、敢て並ぶ者無し。 真剣勝負である。 真髪成村仰様に倒れる。本人曰く「恥見つ」。 10年後、敵に討たれ死亡。 海常世は成村の上に臥せてしまう。 播磨国にて肋骨骨折で死亡。 勝負は待ったが続き、取り組にも熱がこもり、その模様は、実況中継並の記述。その後、両者とも不運。 巻末は同じく騎射節会となっている恒例行事から《競馬騎手》一話。 読む前に、こんな話になるのではないかという気がすれば、「今昔物語集」の編纂者の考え方を少しわかっているということになろう。・・・ ●[巻二十三#26]兼時敦行競馬勝負語 右近の馬場で競馬。 尾張兼時は極上手。 悪を気にしない下野敦行との戦いに臨んだ。 敦行は、調教ベストの馬を選ぶが、 兼時は、わざわざ有名な暴れ馬"宮城"に騎乗。 兼時、落馬せずが精一杯。 これで、負け際の作法がある事を人々は知った。 気の毒なほどの敗者の姿を存分に見せてくれたから。 成程、そういうことかと、皆褒めちぎる。 (C) 2019 RandDManagement.com →HOME |