→INDEX ■■■ 今昔物語集の由来 [2019.8.9] ■■■ [40] 道場法師子孫の女 話の形式上の体裁を整えるために必要だから書いているだけで、それが冗談のこともあれば、世間の馬鹿げた見方ということで記載してある可能性もあり、編纂者の考えが書いてあるとは言えないからだ。 それでも、なんとはなしに、意見らしきトーンの時もあるが、そう読むのは危険だ。中華帝国とは違うとはいえ、下手に書けば余計な詮索をされかねないから、差し障りなきような取り上げ方をしていと思われるから。 つまり、譚を引用した真意は、読者が勝手に推測せヨ、ということ。 さて当該箇所だが、道場法師の名前が登場してくる。 意味深。 その法師だが、(「日本国現報善悪霊異記」第3話)元興寺(飛鳥寺)の説話の主人公とされている。・・・ 敏達天皇代、農作業中落ちてきた雷の命を助けた農夫は子を授かる。強力で、10歳になり上洛し王族との力競べで勝利。その後、元興寺の童子に。鐘楼堂の人食い鬼(がごぜ)を退治。童子は優婆塞となり、諸王の水独占を打ち破り、人々を助けたので元興寺の強力僧となったのである。 これだけだと、フ〜ン、で終わるが、道場法師に注目した人がいるのである。 文章博士の都良香[834-879年]で「道場法師伝」を著述している。名声を博していたそうだが貧しかったという。立派な体格で"強力"なのだ。("姿態軽掲、甚有膂力"@「日本三代実録」) 小生は、これを"霊力⇒物理的怪力"とと見る。このような伝記をわざわざ書いたのは、おそらく雷信仰者だったから。 これを踏まえて、「今昔物語集」を読むとよかろう。 【本朝世俗部】巻二十三本朝(強力譚) ●[巻二十三#17]尾張国女伏美濃狐語 聖武天皇代。 美濃 小川の市に、美濃狐という名の強力女が居た。 狐を妻にした人の四代目。 その強力で、市を往来する商人達を酷い目に合わせ、 持物強奪が生業だった。 一方、尾張 愛智片輪郷に、元興寺の道場法師の子孫の女が居た。 美濃狐の非道を聞いて、試そうと小川の市へ。 美濃狐は殴りかかってきたが、 道場法師の子孫の女は腕を掴んで、 熊葛の鞭で打ちのめした。 強力合戦勝負あり。 それ以降美濃狐は市に姿を見せす、強奪もなくなった。 ●[巻二十三#18]尾張国女取返細畳語 聖武天皇代。 元興寺の道場法師の子孫の女、 夫は尾張の中島郡の大領 玖久利。 裁縫上手で、麻の細畳を夫に着せた。 ところが、夫は、国司にその細畳を奪われてしまう。 しかし、妻が向かい、国司に強力を発揮して取り返す。 夫の父母は仕返しを危惧し、離婚されることに。 実家に帰った女は川で洗濯をしていた。 通りすがりの舟主が嘲笑し、極めて悪質。。 そこで、商人の船を陸に引き留め懲らしめる。 ●[巻二十三#19]比叡山実因僧都強力語 比叡山西塔[具足房]の実因僧都[945−1000年]俗称小松僧都は 顕教・密教の両道の僧だが、それより"強力"で知られていたようだ。 (1) 昼寝中、弟子達がその力を試すことにしたのである。 胡桃8個を足指に挟んでみたのである。 もちろん、狸寝入りで様子を窺がっており、 起きる姿勢で、すべての殻を割ってしまった。 (2) 宮中での御修法の帰りが夜更けになった。 お付きが見えず、独りで衛門府侍詰所の脇から出た。 明るい晩だったが、 男がでてきて背負ってお連れしますと言い出す。 おぶさると、大宮大路二条まで走り、ここでお降りと。 僧都、壇所まで行くつもり、と。 男は、命が惜しいなら着物を寄こせ、と言い落とそうと。 寒いからそうはいなぬ、と言い、脚力で蟹鋏をかける。 男は耐えられず、その後、指示に従わざるを得なかった。 僧都は、夜中の間、京を駆け巡らせ、 月見と歌詠みで堪能し、明け方壇所に着いた。 ちなみに、男に衣類は与えたようである。 ●[巻二十三#20]広沢寛朝僧正強力語 広沢(池畔に創建した遍照寺)に居住し、 仁和寺[886年創建, 翌年宇多天皇により伽藍完成]の別当[967年就任]だった頃の、 寛朝僧正[916-998年:宇多天皇の孫]の話。 寺は壊れた所の修理工事中。 日が暮れ、大工が帰った後 日課としている、造作点検を独りで見回り。 すでに暗くなり顔は見えないが、 突然、抜刀を黒装束烏帽子姿の男が出現。 何者と問うと、御衣頂戴と言い、跳びかからんばかり。 いと易きと語り、後ろに回り尻を蹴り上げると、男消滅。 「怪し」 房の僧が、火を灯し刀を提げ70〜80人出て来て調べると、 麻柱の中に落ち挟まった男を見つけ、引き上げる。 仁和寺の法師話だから冗談話が入っていそうな気もするが、そうではないように注意深く記述している。と言っても、知の欠片も感じさせない話を引いてきたのだから、本質的には同じことかも。 寛朝僧正は重要人物であり、他の話にも登場する。 【本朝世俗部】巻二十四本朝 付世俗(芸能譚 術譚) ●[巻二十四#16]安倍晴明随忠行習道語 天文博士 安倍晴明が陰陽師 賀茂忠行のもとで修行していた頃のこと。 師が車中で寝入っている時、鬼が向かってきた。 お伴の晴明が起こしたので、呪術で払うことができた。 このことで、師は陰陽道をすべて伝授することに。 忠行の死後、独立。家は、土御門北、西洞院東。 ある時、播磨の老僧が陰陽の法を習いにやって来た。 力験しの訪問と見て、 識神らしき供の童二人を呪文で消してしまい、 後日、御教えすると伝えた。 老僧、見抜かれたことを知り弟子入り。 そんな晴明が寛朝僧正のもとに参上したことがある。 お側の公達や僧が、識神で人を殺す術への関心を示した。 庭の蛙を殺して見せて欲しいというので、 草の葉を摘み取り呪文を唱え蛙に投げつけた。 死んでしまったので、皆、色を失う。 (C) 2019 RandDManagement.com →HOME |