→INDEX ■■■ 今昔物語集の由来 [2019.8.14] ■■■ [45] 近衞官舎人 ●[巻二十八#_1]近衛舎人共稲荷詣重方値女語 仏法では愛欲は否定すべきものだが、ここでは、そんな思想の欠片も語られないのが一大特徴。その手の輩は畜生に転生するような派内があっておかしくない筈だが、そのようなストーリー仕立てにすう気は全くないのである。 現代のインテリだとさしずめオペレッタ「Die Fledermaus蝙蝠」か。 相当に練って書かれたお話のようであり、人気のストーリーだったのではないだろうか。 近衞官舎人一行は、衣曝(如月)始午(初午)の縁日に、大混雑するお稲荷さんにやってきた。 餌袋・破子・酒などを持たせ行列を作っての遊興的参詣。 近衛府の舎人とは本来的には禁中警護役だが、早くに儀仗兵化してしまったから、特段の仕事もなかった筈。ハイライトは宮中の余興的行事の設定役だろう。 従って、四等官以下(将監>将曹>府生>番長>近衛)は格好良さを誇る、人気者だった可能性が高い。 その一行に入っていたメンバーはこんな顔ぶれで、冒頭譚の主人公は茨田重方。・・・ ●某(尾張)兼時…将監 御神楽の舞の達人 ●下野公助…将監 ●茨田重方…将監 ●秦武員…将曹 ○茨田爲國(爲弘か…左近衛府府生) ○輕部公友…将監 (参照) 中島皓:「摂関期における左右近衛府下級官人の様相」文学研究論集 49, 2018年 要するに派手好みの遊び人達が、参詣人で大混雑している伏見稲荷参道に登場したのである。筋はこんなところ。・・・ 雑踏のなか、派手な女が一行に近づいて来た。 濃い色合いの上着で 紅梅、萌黄などの色を重ね、なまめかしい様相。 当然のように、好き者でもある舎人達はチョッカイを出す。 なかでも好色な重方は、 女に近づきすぐに口説きにかかる。 女から 「奥方がいながら、 行きずりの女を口説くなんて。」と言われてしまう。 そんなことを気にかける御仁ではなく、 さらに力が入ってしまう。 「我妻の顔は猿のよう。 心がけもよろしくない。 別れたいが、 一人になるのも不自由。 良き人に変えたいと思って居るのだ。」と。 女は 「本気か? それとも戯言?」と。 重方は、 「この神社の神様が 美しい方を賜れたと思うと その喜びは格別。 あなたはどのようにお暮しか?」と。 女が言うことには、 「もともとこの社に居り結婚で離れました。 国で夫が死んでしまい 再婚を考え、戻って三年。 あなた様が、本気でしたら 結婚(通婚)してもよいので 居場所をお知らせしましょう。」 と言いながら、すぐに、 「つい、愚痴を語ってしまいました。 お先にお参りして下さい。」と言って、 女は、行きかけた。 重方は、女の胸に烏帽子をあて、 切り札を述べる。 「つれないことを言わないで下さい。 あなたに添い 妻の處に二度と行かない覚悟ですから。」と。 すると、女は、重方の髻を烏帽子ごと攫み、 いきなり頬を叩いたのである。 その音は山響くほど。 重方ビックリ。 しげしげと女の顔を見ると、 その女、ほかならぬ妻。 つい、「モノにつかれて狂ったか!」と叫んでしまう。 「やはり言われているように、 あなたは浮気者。 私の前に現れたら罰を喰らうは必定。」云々。 そう言われて、 重方、もっともなことと思うが、 許してもあらえるとも思えず、 どうにも対処できず。 妻に打ちのめされるだけ。 参詣道を上へと逃げるしかなかった。 妻は捨て台詞を残し、下山して行ったのである。 とは言うものの、重方、謝ってなんとか元の鞘に。 ただ、この喧嘩の噂が広がってしまい、 重方は笑われ者に。 若者がいる場にはいられなくなってしまう。 重方死後、妻は再婚。 茨田重方に続いては、秦武員の滑稽譚を取り上げよう。・・・ ●[巻二十八#10]近衛舎人秦武員鳴物語 禅林寺(永観堂)の僧 深覚[955-1043年]が御壇所@宮中真言院を訪問した時、壺庭に皆を集めてお話をした。 秦武員はお近くに。 ところが、話が長く、突然、大音響を発した。 放屁してしまったのである。 深覚も僧達も驚いたが、皆、静かなまま。 気まずい雰囲気が流れる。 武員、それを破って、声をあげる。 「哀れ死ばや。」と。 その途端、座は大爆笑の渦。 その隙に、武員逃亡。 その後、しばらく、顔をみせず。 こういう機転がきく一言をその場で思いつくからこそ、近衛舎人は憎まれず、人気者だったと言えよう。一般にはこんな恥ずかしいこと穴があったら隠れたいとなるが、こんなこと、屁とも思わないのである。 ただ、近衞官舎人としての面白話の華はこちらかも。 ●[巻二十八#5]越前守為盛付六衛府官人語 主人公は舎人ではなく越前守 藤原為盛朝臣[n.a.-1029年]。 近衛府等の内裏護衛組織に納入すべき米を滞納していたので官人が家に押しかけてくる話。 頃は暑さ厳しき六月。 早朝から、椅子持参で 租税を払わせようと、門前に集まった。 門を開けないので、長時間頑張るしかない。 耐え難くなって来た時分になって、 ついに近衛官人に限り呼び入れてもらえた。 尾張兼時、下野敦行、達である。 為盛、早速、塩辛い魚と、酒でもてなす。 濁って酸っぱい酒と思いつつも、喉乾たる時、 ゴクゴクと呑んでしまったのである。 頃合いを見計らって、為盛がやってくる。 長々と申し訳ないと馬鹿丁寧に侘びを入れたのである。 ところが、近衛官人はそんな話を聞いている余裕などない。 腹が鳴り、漏らし始めたから ただただ、急いで走り去るしかなかった。 酒には牽牛子という強烈な下剤が入っていたからだ。 圧力をかけにきた一行瓦解の図。 狸親爺に一杯喰ったのである。 下野公助は、別な巻にも登場する。世俗部ではないので、仏法観点のご教訓がつく。 【本朝仏法部】巻巻十九本朝 付仏法(俗人出家談 奇異譚) ●[巻十九#26]下野公助為父敦行被打不逃語 右近の馬場で行われた馬弓の手番で、子息の公助が失敗。 敦行は色をなして走りより、 低た公助の背を杖で10〜20回も打つ。 その後、惜しがって泣いたのである。 公助は若く、敦行は80代だから 逃げればよいのに、打たれ続けた。 その理由は、公助によれば、 父は年老いており、 追ってきて倒れでもしたら大事だから。 それに、父が打つ行為にも理あり。 悪ということで打つのではないのだから、とも。 関白、公助は只者ではないと評価。 (C) 2019 RandDManagement.com →HOME |