→INDEX ■■■ 今昔物語集の由来 [2019.8.15] ■■■ [46] 毒茸 ●[巻二十八#38]信濃守藤原陳忠落入御坂語 藤原陳忠は、信濃守の任期[982年〜n.a.}終了で帰京の途中。 信濃と美濃の国境の神坂峠[標高1,595m]を通過する時、 馬もろとも木曽の桟から峡谷に転落。 深い谷なので、随行の者は助かるまいと思った。 ところが、谷底から声が。 「籠に縄をつけて降ろせ」と。 郎党達、早速対応。 ところが、籠を引き上げてみると なんと、平茸満載。 そのうち陳忠も上がってきたが、片手に平茸。 そして、まだありそうなのに取れず残念、と。 随行の者達、無事なので安心はしたが、呆れかえる。 すると、心得違いするなとばかり、 「"受領は倒るるところに 土をもつかめ"だゾ。」と言い放ったのである。 以上、"受領貪欲なり"の図として、テキストにも使われるお話。 しかし、本当に強欲な受領なら、茸などに目もくれないもの。 茸舞縁起譚も。但し、現代の舞茸とは違うようで、幻覚成分が含まれていて、食べると酩酊感が生まれ、踊り出してしまうようだから、大笑茸あるいは笑茸と考えるのが自然。 ●[巻二十八#28]尼共入山食茸舞語 京在住の樵数人が北山に入って、道に迷ってしまう。 どうにもならず、山中で嘆くしかできない。 ところが、そこへ、山奥から人が大勢登場。 尼姿の4〜5人だが、 手振り身振りで大いに舞い、 楽し気に歌いながら近寄ってきたのである。 樵は、天狗か鬼神と見て怯えた。 しかし、どういうことか尋ねてみると、 麓の寺に住む尼達で、 花を採りに入ったが道に迷い 茸を食べたらこうなったのです、とのこと。 樵も空腹だったので、 茸を貰って食べると同じようになってしまった。 しばらく、両者は舞っていたが、 そのうち醒めてしまった。 すると、自然に道も判明。 "物の欲きままに、此れを取て食ひたらむ"だし、"飢ゐて死なむよりは、去来此れ取て食む"ということだが、それについての仏法的な解釈は避けている。つまり、仏教説話ではないのだ。 マ、毒茸は珍しくない訳で、大笑茸にしても、よく知られていたとすれば、なんらかの毒抜き処理をして食べられていたということだろう。手抜きで、当たったりしていた可能性があろう。 間違って食べることは考えにくい訳で。 そうそう、強欲な受領に限らず、"平茸"は人気食材だったようだ。 こちらの場合は、それなりに見つかる訳だが、問題はよく似た毒茸がある点。 その名称は"和太利"である。欅の倒木や枯れ木に生える"月夜茸"に相当すると考えられている。この茸、短い柄に繋がる襞が暗所でうっすらではあるものの青白〜緑色に光る。従って、注意すればわかりそうなものだが、未だに、日本の中毒発生一位をキープしているのは、無毒と有毒が混じっていたりするからかも。 どの程度の毒性かは、今一歩はっきりしないが、死ぬほどの毒性があるとされていたようである。 ●[巻二十八#18]金峰山別当食毒茸不酔語 金峯山別当は一番の年長者(一)が担当。 80才を越えていた。 後継者(二)はすでに70才なので、 このままでは、後を継ぐのは無理かもと思い、 別当を殺すしかないと決意。 思案の上、毒茸の"和太利"を食べさせることに。 そこで、"平茸"と称して、腹いっぱい食べさせたが、 さっぱり症状があらわれない。 別当曰く。 「御馳走だった。 これほど見事な"和太利"料理は 食べた事がない。」と。 毒が効かない体質だったのである。 滑稽譚と言えなくもないが、仏教説話と考えて読む方々は、このどこが愉快なのだろう。金峰山という仏教の中核寺院の事務総長に対する殺人未遂事件が発生したというのに。 僧が平然と殺人に手を染めたことから、どのようなご教訓を得ようというのか解説して欲しいもの。 常識的には、とんでもない事件であり、へ〜、そんなこともあったのですか、で済む話ではなかろう。しかも、別当は、次席が自分を殺そうとしていることを始めから承知している訳で、人殺しも辞さない、熾烈な地位争いが当たり前の組織であることを意味している。 この話の収載はかなりのリスクを伴う筈だが、全く気にかけていないところを見ると、たいした事件でもないのだろう。 ここには、世の中の現実は、戒律もなにもあったものではなく、僧の殺人は発生して当たり前との冷徹なモノの見方がある。 マ、分派を企てる一派は殺して当然だし、ヒトを殺す仕事人たる兵の存在を肯定している以上、殺人自体は悪行の最たる行為ではないから致し方あるまい。金峰山のようなメジャーな寺の高僧が殺人を企てる位で、末端も同じ状況と考えてよいというのが「今昔物語集」編纂者の考え方と言ってよかろう。 当然ながら、そのような話を次の巻で収載している。・・・ ●[巻二十九#_9]阿弥陀聖殺人宿其家被殺語 阿弥陀聖の僧ということで泊めてもらったが、そこは、山中で持ち物を奪うために殺した男の家。夫の衣類を着用していたので、バレてしまい、磔に。 一方、比叡山横川での、毒茸喰いの方は、笑い話である。 ●[巻二十八#19]比叡山横川僧酔茸誦経語 房の僧が、山で平茸を採ってきた。 「それは平茸ではない。」という僧もいるし、 「間違いなく平茸。」と見なす僧も。 結局、腹一杯食べてしまう。 暫くして、苦しみだし、反吐を撒き散らす始末。 横川中堂で読経してもらうことに。 導師語る。 「一乗の峰には住給へども、 六根五内の□□の位を習ひ給はざりければ、 舌の所に耳を用る間、 身の病と成り給ふ也けり。 鷲の山に坐ましあはむ。 をりを尋ねつつも、 登り給ひなまし。 知らぬ茸と思すべらに、 独り迷ひ給ふ也けり。 廻向大菩薩。」 一同腹をかかえて大笑い。 毒当たった僧は死ぬほど迷ったものの、 やがて落ち着いた。 苦しむが助かるというレベルの毒のようにも思えるが、死者はでている。 ●[巻二十八#17]左大臣御読経所僧酔茸死語 枇杷殿の住人は、藤原仲平⇒長良⇒基経⇒仲平⇒道長と移っていった。その邸宅の南に住んでいた僧とその弟子が、童が採って来た平茸を3人で腹いっぱい食べたところ当たり、弟子の僧だけかろうじて生き残った。 この事故が耳に入った枇杷殿は、葬式費用の面倒をみてあげた。 話は変わって、 近くの房に住んでいた東大寺の僧は、この状況を見ていた。 そこで、弟子に同じ平茸を採りに行かせ、それを急いで食べてしまった。 また死人がでるかも知れぬと、枇杷殿に連絡が行く。 そうこうするうち、この僧は、交代で行われている御読経の担当時刻となり出仕。枇杷殿から、どうしてそんなことをするのか尋ねられた。 「葬式費用を頂戴できるかと思い。」と答え、 笑いを誘ったのである。 自分は当たらないことを知っていたということ。 マ、確かに、馬鹿げた話だ。 ただ、そのような行為に走ったのが、東大寺の僧で。(死んだ僧侶も格式ある寺の僧の筈だが、それらはすべて伏字にされている。) 知的エリート層に属しているにもかかわらず、このような態度で生活していることが大ぴらにされたということ。 ・・・仏法僧を敬えと言われても、との気分が底流にありそう。 それは小生がたまたまそう感じたということではない。この譚のご教訓は、なんと。当たる人もいるし、当たらない人もおり、喰い方の差かも知れないネ、だ。 ワザとこのような結語にしたとしか思えまい。 [ご注意]邦文はパブリック・ドメイン(著作権喪失)の《芳賀矢一[纂訂]:「攷証今昔物語集」冨山房 1913年》から引用するようにしていますが、必ずしもママではなく、勝手に改変している箇所があります。 (C) 2019 RandDManagement.com →HOME |