→INDEX ■■■ 今昔物語集の由来 [2019.8.16] ■■■ [47] 慶滋保胤 ●[巻二十八#20]池尾禅珍内供鼻語 「侏儒の言葉」のように、ひねくれて[鼻」を評価するとしたらどうなるだろう。 身体的異形や発育不全を嘲笑う、ヒトの社会的習性を、いかにも批判的に見ている風情を醸すことで、下卑た笑を表だってできるようにした、と言うことになろうか。 一方、インターナショナルな世界をこよなく愛することで生まれた「酉陽雑俎」的な視点から見れば、「今昔物語集」編者がこの譚でとりあげたかった問題とは、社会のこうした体質ではなかろう。ましてや、私小説的な自意識の問題である筈がない。 この鼻長の僧とは、禅智/禅智内供である点を見逃す訳にはいかないからだ。宮中内道場でお勤めする、指導層に属す高僧の行為として眺める必要があるということ。 本来的には、プライドがあってしかるべきだが、どう見てもこの僧にはそれが決定的に欠けている。だから、周囲の嘲りが気になって仕方がないのである。 ここらは、キリスト教との違いが如実に顕れると言ってもよいだろう。神が求めることを知り、ソレに従って生きるのとは大違い。生まれつき特異なら、それは神の祝福であろう。世間の目を気にして、鼻の形を直そうと考えるとは思えない。 もっとも、仏僧に信仰の一途感が欠けている訳ではない。 仏法命の僧はいくらでもいる。それが宗教の本質である限り。 ただ、そのような一途の僧は、社会的には迷惑きわまりないことも少なくない。 そんなことが目に入らないからだ。 そんな観点では、滑稽譚が集まる巻に入れるべきは、一途な僧の常識外れの行為譚という気がしないでもない。 可笑しくない人も少なくないのかも知れぬが。・・・ 【本朝仏法部】巻巻十九本朝 付仏法(俗人出家談 奇異譚) ●[巻十九#3]内記慶滋保胤出家語 陰陽師加茂忠行の子息 慶滋保胤[933-1002年]は養子となった漢詩人だが、早くから陰陽道を捨てていたようだ。その才をかわれて、文筆官僚たる内記を勉めていた。そんなこともあるのか、出家は遅く、986年。 比叡山 横川に住み、空也聖人の弟子となり浄土信仰一途だったらしい。法名は寂心で、藤原道長に戒を授けたとも言われているようだ。 鴨長明:「方丈記」的な隠遁生活の緒となった僧と見ることもできよう。 話は3ツからなり、粗筋はこんな感じ。・・・ <その1> 寂心、功徳に、仏像を安置するお堂造営を考え 喜捨を集めるために行脚。 その途中、紙製宝冠を被り 陰陽道的なお祓いをしている僧に出合う。 その僧曰く、 神は僧をお嫌いなので、こんな姿で祈祷している、と。 寂心、怒りと、悲しみが襲ってきて、 泣きながら、その陰陽師につかみかかる。 宝冠を破き、先ず私から殺すとよい、と言い出す。 周りの人々唖然。 その僧は寂心を説得にかかる。 妻子を養うには、陰陽道も生計の足しとして重要。 身なりは僧でも、俗人となんら変わりません。 悲しいですが、これが世の中というもの。 それを聞くや、集めてきたモノすべてを その陰陽師に施すことに。 <その2> 六条院から寂心に急ぎのお召しがかかった。 馬を借り、住んでいる東山の如意輪寺から出立。 しかし、馬の意に合わせて進むだけ。 さっぱり進まない。 そこで、手綱持ちが、馬を急がせようと尻を叩いた。 すると、寂心、馬から飛び降りてつかみかかる。 そして言う。 「この馬は、前世のお前の父母。 お前の父母としての恩愛に執着した咎で馬になった。 それを、どうして打ったりするのだ。」と。 さらに、 「私の父母でもあり、実にもったいないお姿。 年老いてしまい、遠い道で速足は無理だから 畏れ多くも、乗らせて頂いているのだ。 お前には慈悲は無いのか。」とも しまいに、大声で泣き始めた。 手綱持ちは、内心笑って聞いていたものの、 なんとはなしに、気の毒になってきたので、 「ごもっとも。 乱心致しました。 下郎ゆえ、知らなかったのですが、 今後はこの馬を父母として大切にします。」と。 <その3> 石蔵でのこと。 寂心は内記の聖人と呼ばれていた。 冷み過ぎ、腹を冷やして大下痢。 隣の僧坊の僧が 厠から盥の水をぶちまけるような音を耳にし、 老人なのに大丈夫かと、壁の穴から覗いてみると 老犬と寂心が向かい合っており、 糞が犬の食べ物になっているようだった。 その犬に語り掛けていたのである。・・・ 「あなたは前世で 人に汚いものを食わせ、強欲、偉振って人を軽蔑、 父母には孝行せず、悪行ばかりで、善心無し。 だから、獣に転生したのです。 そして、汚いものを食べるようになったのです。 しかし、前世で私の父母となったこともあり、 こんな汚いものを食べさせるのは畏れ多い。 今は、水便なので、食べられませんが 明日は、美味しいものをこしらえしょう。 その時、思う存分召しあがれ。」 繰り返し言って、泣いていた。 その翌日。 再び、僧は様子を見ていると、 寂心、「お客様にお食事。」と言い出し、 庭にむしろを敷き、ご飯やお数を並べた。 そして、「お出で下さい。」と呼ぶと、 昨日の犬がやって来て食べ始めた。 「よかった。」と泣いて喜ぶ。 そこに、若い大きな犬が登場。 老犬を突き倒し、食べ物を滅茶苦茶に。 「あなたの分も用意しますから、 仲良くお食べに、・・・。」と言うが、 犬同士で噛み合いの大喧嘩。 さらに、他の犬も入って来て混乱に拍車。 どうにもならず、 「なんとも、あさましき事。」と一言。 縁側へと逃げ去るしかなかったのである。 (C) 2019 RandDManagement.com →HOME |