→INDEX

■■■ 今昔物語集の由来 [2019.8.18] ■■■
[49] 源頼光
源頼光[948-1021年]は清和源氏三代目にして興隆の祖。
地方の受領を歴任して巨大な財を蓄え、藤原道長の守護役に徹することで揺るぎない地位を固めたということ。
舘が一条にあったようだから、都の西北にあたり鬼門を武力で治めていると称されたのであろう。

笑い話の対象にするには最適な人物な筈だが、それは拙いらしく、郎等に留めたようである。
  【本朝世俗部】巻二十八本朝 付世俗(滑稽譚)
  [巻二十八#_2]頼光郎等共紫野見物語
後世、良く知られている頼光四天王が選ばれたようだ。1018年、摂津大大江山夷賊追討の勅命により、討伐を子生ったことで有名だが、そのことには触れられていない。
ただ、そのうち渡辺綱[935-1025年]が欠落している。
 ○平(碓井)貞道
 ○平
(卜部)季武/坂上季猛[950-1022年]
 ○坂田公時


どうということもない筋であり、流石、武士というトーンで貫かれているのが特徴。・・・
《皆、勇猛果敢な武士として知られていた。》
《紫野へと、
 加茂祭二日目の大行列の見物に出かけることに。》
馬を連ねて行くのは見苦しい。
誰だかわからぬ方法がよかろう。
 大徳から牛車を借り
 下簾を垂れ
 女車に見せかける方法に決めた。

《乗車すると、揺れ放題で全員車酔い。》
元気なのは、牛だけ。
踏み板に反吐を吐き散らし
急ぐなと声を出すだけ。
到着して、気分悪しで寝込んでしまった。

《行列が終わってからようやく目醒め、
 帰りは歩くことに。》
同じ目に合いたくないので、車はよした。
人通りがなくなってから
 烏帽子と扇子で顔を隠して
 摂津守 一条の家へと徒歩で帰った。

《季武の後日談。》
勇敢な兵も車は苦手。
酔って死ぬかと思った。
懲りたので、以後、車に近付くことなし。
まさに、愚か者
(嗚呼)そのものだった。

個別にも登場しているが、どれもこれも、武家の時代到来を示唆するようなお話ばかり。

 ○源頼光
  【本朝世俗部】巻二十五本朝 付世俗(合戦・武勇譚)
  [巻二十五#_6]春宮大進源頼光朝臣射狐語
源頼光が春宮大進で武人として名をはせていた頃。
春宮が東三条殿の南面を歩かれていた。
 西側の透渡殿には殿上人2〜3人。
 東南の御堂の西の軒下で狐が丸くなって寝ていた。
突如、春宮が頼光に狐を射よと命じた。
 しかし、恥ずかしい事態になりかねないと、辞退。
そのうちいなくなるかと思ったが
 狐はさらに深い眠りに。
 春宮も責める。
そこで、
 難しいので失敗して
 物笑いのネタになるかもしれませんが、
 と言いつつ射ることに。
弱い弓に重い蟇目をつがえたというのに見事命中。
 春宮も殿上人も感嘆。
 頼光、馬を頂戴する。
頼光曰く、
 これは頼光が射たのではなく
 源氏の守護神が助けて射たもの。

ベタ褒め譚である。

 ○平季武
  【本朝世俗部】巻二十七本朝 付霊鬼(変化/怪異譚)
  [巻二十七#43]頼光郎等平季武値産女語
源頼光安孫が美濃守だった頃。
侍部屋で雑談が弾み、
 渡川しようとすると、
 赤子が泣いて
 産女が「これを抱け」と言う、
  ・・・との話になった。
誰か、挑戦しないかと言うことで、
平季武が名乗る。
 無理という者もいるので、武具を賭けることに。
九月下旬の闇夜である。
 平季武が馬で川を渡ると、
 川の中程に産女。
 赤子を受け取りすぐに岸へ。
 追って来たが無視して上陸し、すぐに舘へ。
 見ると、赤子は木の葉。
賭けに勝ったが、
 賭物はとらず、
 「これしきのこと。」と。

これまたベタ褒め譚である。

 ○平貞道
すでに取り上げた。[→袴垂]
  【本朝世俗部】巻二十五本朝 付世俗(合戦・武勇譚)
  [巻二十五#10]依頼信言平貞道切人頭語 (頼光宅での話で、頼信は弟。)
  【本朝世俗部】巻二十九本朝 付悪行(盗賊譚 動物譚)
  [巻二十九#19]袴垂於関山虚死殺人語

 (C) 2019 RandDManagement.com    →HOME