→INDEX ■■■ 今昔物語集の由来 [2019.8.20] ■■■ [51] 歌物語(飼い葉桶) 要するに歌物語である。 しかし、その状況は様々で、全譚を貫く情感とか、色恋沙汰に関するテーマがある訳ではなさそう。 本朝伝統とでも言うべき、男女が織りなす情景を和歌に托す行為を記録しておきたかったのだろう。 情緒溢れる感じがする物語から見て行こう。・・・ ●[巻三十#10]住下野国去妻後返棲語 ○船も来じ 真梶[舵]も来じな 今日よりは 憂き世の中を いかで渡らむ 場所は下野。 長年連れ添った夫婦だったが、 男は新しい妻のもとへ。 それまでの家にあったすべてのモノを 塵も残さずに新居に運んでいった。 ただ、1点、馬船(飼い葉桶)だけが残った。 ところが、男の従者に馬飼童がいた。 名前は真梶丸。 その桶を取りにやって来たのである。 旧妻は、真梶丸に言う。 「お前の主人に伝えておくれ。 お手紙では見てくれまいから、 口頭で。」 ・・・これが冒頭の歌である。 真梶丸、主人に、 「このように仰せになられました。」と。 これを聞くと、 男は、運んできたモノ総てを運び返し もとの家に戻ったのである。 以後、他の女に関心を持つこともなくなった。 別れることになった理由を書かないのが秀逸。〆の言葉をつけると興醒めだが、「今昔物語集」の取り決めだから致し方ない。 然れば、情有る心有る者、此なむ有けるとなむ語り伝へたるとや。 下野の離婚解消談は、和歌の力を見せつけているが、似たモチーフで明らかに対になっている方もとりあげよう。 おうした構成のため、どうしても冗長感が避けられないし、秀逸な作品とも言い難いが、結構よくできている。・・・ ●[巻三十#11]品不賤人去妻後返棲語 ○天[海]のつと 思はぬ方[潟]に ありければ 見る甲斐[海松貝]なくも 返しつるかな 新しい妻の處に入りびたりで、古い妻には無関心な公達の話。 領地に行く途中の難波でのこと。 海の景色を眺めながら歩いていたところ 海松が付いた小さな蛤を見つけ いかにも面白く 妻に見せて喜ばそうと考えた。 早速、小舎人童に妻のもとに届けさせた。 ところが、主人の意図に反して古い妻の方へ。 古い妻は、間違いと気付いたものの、 受け取って 面白いので育て眺めていた。 男は、新しい妻のもとに帰ってすぐに、 微笑んで、先のモノは受け取ったか尋ねた。 もちろん、無いので、どんなモノか訊く。 話したが、予想に反して、興醒めな反応。 焼蛤と酢の物で食べれたのにネ、と。 事情を説明した童は、 すぐ取り戻せと責められ、古い妻の家へ。 事の成り行きを説明すると、 陸奥紙で包んで、すぐに返してくれた。 ・・・その紙にしたためられたのが冒頭の歌である。 男のもとに、ママの海松付蛤が着き 大切にされていて嬉しく思った上に、 歌で、古き妻への情があ戻って来てしまい、 新しい妻から離れ、元の鞘に。 これとほとんど同じモチーフが対の譚。 ●[巻三十#12]住丹波国者妻読和歌語 ○我も鹿 鳴きてぞ君に 恋ひられし 今こそ声を 他所にのみ聞け 二人の妻を、隣り合って住まわせていた男の話。 古い妻は同じ丹波出身。 新しい妻は京の者。 後者を愛し、前者には情をかけず。 丹波の山里だったので、秋になると、鹿が啼く。 新しい妻に、感想を聞く。 「煎物が美味しいし、焼物も素敵。」と。 京から迎えたのにそんなもの。 続いて、古き妻にも。 ・・・それに応えたのが冒頭の歌である。 男、哀れをもよおす。 新しい妻への愛情が失せ、元通りに。 和歌の力という点では、原歌が、万葉集[巻十六#3807]という話も注目に値する。(この歌には注記がある。・・・葛城王遣于陸奥<國>之時國司祇承緩怠異甚 於時王意不悦 怒色顕面 雖設飲饌不肯宴樂 於是有前采女 風流娘子 左手捧觴右手持水 撃之王膝而詠此歌 尓乃王意解悦樂飲終日。) マ、それよりは、「古今和歌集」仮名序で、を手習う人の始めの歌として紹介されていることで知られる。しかし、コレは采女の歌であり、「今昔物語集」のストーリーに繋がるとは思えない。 そうなると、おそらく、小町集[#102]の感覚だろう。意味がよくわからないが、年齢と共に、山姥のような姿になっていくといった調子の戯れ歌か。・・・ ●[巻三十#_8]大納言娘被取内舎人語 ○安積山(あさかやま) 影さへ見ゆる 山の井の 浅くは人を 思ふものかは 大納言には大事にしている一人娘がいた。 この家には内舎人がおり、 たまたまその娘を見てしまい 恋慕の情がつのりどうにもならなくなってしまう。 直訴したいことありと偽り、 娘を拉致して逃走。 安積山山中に庵を作り同棲。 懐妊した娘は、 男が里に出ている時、 山の井戸で自分の姿を見てしまい そのやつれた様子を恥て独り言。 ・・・これが冒頭の歌である。 結局、思い詰めて死んでしまった。 帰宅した男は 娘が死んだことを嘆いて 死んでしまう。 ●[巻三十#_3]近江守娘通浄蔵大徳語 ○ [詞] 浄蔵 鞍馬の山へ なん入ると 言へりければ…平中興女[後撰#832] 墨染めの 鞍馬の山に 入る人は 辿る辿るも 帰り来ななむ ○からくして 思ひ忘るる 恋ひしさを うたて鳴きつる 鶯の声 ○さても君 忘れけりかし 鶯の 鳴くをりのみや 思ひいづべき ○我がために つらき人をば おきながら 何の罪なき 世を恨むらむ 近江守(915年任ぜられた平中興[n.a.-930年])に 宮仕えをさせようとしていた娘がいた。 ところが、祈祷に呼んだ僧の浄蔵大徳と宋楚相愛の中に。 ところが、 世の人、此の事を云ひ繚けるを、浄蔵聞きて、 恥て其の家にも行かず成にけり。 浄蔵は鞍馬山に籠ったのである。 ところが、女から手紙。 ・・・これが冒頭の歌である。 修行に励みたいのは山々なれど、 愛欲復活で、密かに合いに行き、 すぐに戻るが、女に思いのたけを。 ・・・これが二番目の歌である。 ・・・女の返事が三番目の歌である。 ・・・それに浄蔵が応えたのが四番目の歌である。 こんなやり取りがあり、世間で知られるようになった。 こうなると、近江守も 娘を女御にとはいかなくなる。 面倒を見るのを止めてしまった。 僧は、恋より修行ということのような。 そこにえらくこだわる。 互いの愛情より、世間体の方が重要だからだろう。 結局、残したのは和歌という文芸作品のみ。それで大満足ということかも。 なかなかに難しい話も、わざわざ収録している。 「今昔物語集」が教宣用に書かれたものでないことがよくわかる。コレは何だろうネ、と言いながら議論する仏教サロンの様子が見てとれそうな譚と言えよう。 ただ、五里霧中という訳ではなく、それなりに結論らしきものを得たのであろう。まるっきりの想像であるから、それを書く訳にはいかないが。 ●[巻三十#14]人妻化成弓後成鳥飛失語 ○朝催ひ[(枕)麻裳良し] 紀の川ゆすり 行く水の いづさやむさや いるさやむさや 愛おしき妻といつも一緒に暮らしていた男が夢を見た。 妻が御暇すると言い出したのだ。 二度と合えないが 形見だけは残しておくから、 私と思って大事にして、と。 驚いて目を覚ますと、妻がいない。 探してもみつからず。 枕元に弓一張が立ててあった。 妻恋しで、その弓を 身から離すことなく大切にしていた。 数か月後、弓が白鳥になって南に飛んでいく。 男、それを追っかける。 行き付いたのは紀伊の国。 そこで、鳥は人の姿に。 「只物ではない。」ということで詠む。 ・・・これが冒頭の歌である。 末尾の説明はこんなところ。 この物語、近来の和歌には似ていない。 「あさもよふ」とは、朝、物を食す時を云う。 「いつさやむさや」とは、狩する野を云う。 この歌は、意味がよくわからないのである。 この物語は、奥ゆかしく、現実の話とも思えない。 後半欠文の2譚は無視することにした。欠文箇所に和歌が収録されていた筈。なんらかの歌を大胆に推定している人はいないようだ。 ●[巻三十#_6]大和国人得人娘語…(後半欠文) ●[巻三十#_7]右近少将□□□□行鎮西語…(後半欠文) (C) 2019 RandDManagement.com →HOME |