→INDEX ■■■ 今昔物語集の由来 [2019.8.31] ■■■ [62] 粟島 【本朝世俗部】巻三十一本朝 付雑事(奇異/怪異譚 拾遺) ●[巻三十一#16]佐渡国人為風被吹寄不知島語 この島は、佐渡島辺りの地図を見ればすぐわかる。 佐渡島の北東約100Kmに、最高標高266mで南北6Kmの細長い粟島があるからだ。他に島は見当たらない。 この島だが、ほとんどが山地。東海岸は平坦だが、西海岸は断崖絶壁も多く風が強く樹木が育たないらしい。 東海岸に縄文時代の遺跡があるそうだが、弥生型土器は出土していないし、古墳も見つからないようだ。 つまり、自ら外との交流を断っていた可能性が高い。その理由はわからぬが。 ただ海流の関係でその存在がほとんど気付かれぬ状態が長かった可能性は高そうだ。 しかし、そんなことはないとの主張もありそう。万葉集に取り上げられているとされているからだ。 波の間ゆ 雲居に見ゆる 粟嶋の 逢はぬものゆゑ 吾に寄する児ら [「万葉集」巻十二#3167] なんでも、705年越後守に任じられた威奈大村[n.a.-707年]が詠んだという説もあるという。 しかし、粟島という地名は他にもある。 瀬戸海中央、詫間須田港の北西4.5km[香川県三豊市] う〜む。 小生は、どちらもこの歌とは無縁と見る。 歌の雰囲気から"児"が稚児・巫女のような感じがするからで、このような地には当該神社があってしかるべきと見る。両者ともども、そのような島ではなさそうなのだ。 そうなると、候補は1つしかなかろう。・・・ 宍道湖に繋がる、砂州によって塞がれてできた潟湖"中海(錦海)"に、かつてはあった粟島。(標高36mの明神山が該当する。江戸期には粟島大明神が祀られていた。社伝は残っていないので、なにもわからない) 弓ヶ浜もかつては夜見嶋だったのである。 常識で考えればわかると思うが、この場所の現在の地名である米子と彦名の由来はこの粟島にある。 このようなどうでもよい話をしてみたのは、「今昔物語集」のこの譚の〆では、この手の"語り"は注意深く読むとこうなるとワザワザ書いてあるから。 其の島は他国には非ざりけるにや。 此の国の言にてぞ有ける。 只、人の大きに器量く、有様の似ざりける也。 此の事は糸と近き事也。 [ご注意]邦文はパブリック・ドメイン(著作権喪失)の《芳賀矢一[纂訂]:「攷証今昔物語集」冨山房 1913年》から引用するようにしていますが、必ずしもママではなく、勝手に改変している箇所があります。 (C) 2019 RandDManagement.com →HOME |