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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.9.10] ■■■
[72] 立山地獄
「酉陽雑俎」860年と比較すると、地獄に関する話の雰囲気が余りに違うので、驚かされる。

思うに、残虐な殺戮や一族郎党絶滅が日常茶飯事の如く行われて来た社会だと(血族宗教が定着してしまうと、天帝代理からの命令に従い、一族から出兵して敵の一族抹殺に貢献しないと、下手をすれば自分達全員が消されたり、拷問刑を受けかねない。)、当たり前に地獄の状況が想像できるが、外見上は同じ仕組みに見えても、その恐ろしさを肌で感じてはいなかった社会の違いがありそう。

「酉陽雑俎」の著者は当代一のインテリ官僚であり、仏教サロンの主催者でもある。従って、実に詳しく楽し気に地獄状況を記載している。これでもかという苦痛を与える場所である訳だが、それを想念で事細かに生み出す力に感嘆しているからだ。

日本での地獄と言えば、もっぱら、源信:「往生要集」985年に記載された情報に基づく概念。それは、1世紀もたってから。
「今昔物語集」ではおそらく前者も踏まえて、本朝の地獄関連信仰が俯瞰できるように、様々な譚を収録していると思われる。

なかでも際立つのは、現実世界の立山の地を地獄にした点だろう。決して見立てている訳ではない。
水蒸気爆発が頻繁に起こり、強い硫黄臭の火山ガスが噴出し、噴泉からは沸騰する熱湯が流出する景観こそ地獄そのものと考えたのである。場所的には室堂辺りの谷と思われる。

この概念ほどユニークなものは滅多になかろう。

立山を恐ろしい地と見なしていた訳ではなく、そこは神々しい地と考えられていたからだ。・・・
  「立山賦一首 并短歌 此立山者有新川郡也」 大伴家持
 立山に 降り置ける雪を 常夏に
 見れども飽かず
神柄ならし  [「万葉集」巻十七#4001〜]
  「敬和立山賦一首 并二絶」 大伴家持
 朝日さし 背向に見ゆる 神ながら 御名に帯ばせる
 白雲の 千重をおしわけ 天そそり 高き立山・・・


当然ながら、古今和歌集には"立山"は登場しなくなるようだ。"白山"が好まれたのであろう。
まさに大転換が図られたのである。
「今昔物語集」を読むと、三井寺が仕掛けたように思えてくるが、実態のほどはよくわからない。

「今昔物語集」は、しかし、そんなことを伝えたいが故に立山地獄譚を収録した訳ではなく、亡者としての一般女性譚を入れ込みたかったように見える。
 ・近江国蒲生郡の仏師の娘
 ・書生の妻
 ・京七条の裕福な家の娘

女人禁制の地だが、亡霊の女に逢えるということ。

もちろん、亡霊に会えることが趣意ではなく、菩薩のお蔭で地獄から救われるストーリーが主軸である。
  【本朝仏法部】巻十四本朝 付仏法(法華経の霊験譚)
  [巻十四#_7]修行僧至越中立山会小女語
  [巻十四#_8]越中国書生妻死堕立山地獄

前者では冒頭に立山地獄の解説があり、解り易い。
 越中の国□□の郡に、立山と云ふ所有り。
 昔より「彼の山に地獄有り」と云ひ伝へたり。
 其の所の様は、
  
の遥に広き野山也。
  其の谷に百千の出湯有り。
   深き穴の中より涌出づ。
   巌を以て穴を覆へるに、湯荒く涌て、
   巌の辺より涌出づるに、大なる巌動ぐ。
   熱気満て、人近付き見るに極めて恐し。
  亦、其の原の奥の方に、大なる火の柱有り。
   常に焼けて燃ゆ。
  亦、其の所に、大なる峰有り。
   「帝釈の嶽」と名付たり。
   此れ、「帝釈・冥官の集会ひ給て、
   衆生の善悪の業を勘へ定むる所也」と云へり。
  其の地獄の原に、大なる滝有り。
   高さ十余丈也。
   此れを「勝妙の滝」と名付たり。
   白き布を張るに似たり。
 而るに、昔より伝へ云ふ様、
  「日本国の人、罪を造て、多く此の
立山の地獄に堕つ」と云へり。
普通、地獄に堕ちるという話は、地中深き冥界に堕ちていくとか、穴から真っ暗闇のところを下方に進んでいくことになるものだが、ここは現世の「」。現世と地獄の間に関門や特別な通り道はなく、直に繋がっている。
このようなコンセプトは中華帝国の風土では有りえないのではなかろうか。

話の方は一般の法華経供養と同じようなもの。
 仏道修行で霊験所を巡り難行苦行する三井寺の僧が越中立山に参詣。
 地獄原を廻ると、山中に一人の若い女性が現れた。
 僧、怖れた。
  鬼神だろうか、人無き山中の女性だし、と思って逃げようと。
 すると、女性は、
  「鬼神ではないから、恐れないで下さい。
   申したい事が有りますので。」と。
 僧、立ち留ってその言葉を聞く。
  「私は、近江蒲生の出。父母は、今もそこにおります。
   父は木仏師で、仏像を生活の糧にしております。
   そんなことで、この小地獄に堕てしまいました。
   今、堪難き苦を受けておりすので、
   どうか、慈心を以て、この事を我が父母に伝へてくださらぬか。
   "法花経書写供養で、私を苦から救って下さい。"と。
   これを申し上げたく、出現した次第。」と。
 僧はそれで何をと。
 女性は語る。
  「今日18日は観音様の御縁日。
   私は生きていた時、観音信仰を目指し、
    観音経を読み奉ろうとしたものの果たせず。
   しかし、一度だけ、
    18日に観音経を読み供養したことがございます。
   お蔭で、その日だけは代受苦して頂いております。
   そんなことで、この一日だけ、
    地獄を出てこうして息抜きしている訳で。」と。
 そして、掻き消す様に見えなくなってしまった。
 僧は早速近江蒲生に行き事実か確かめると、
  父母が住んでおり、立山でのことを語る。
  父母涙。
  僧は立ち返る。
 父母、亡き娘の為に法花経書写供養。
 その後、父の夢に娘が出現して語る。
  「私は観音御助で脱立山地獄を果たし
   利天に転生いたしました。」と。
 僧も、女性の夢を見たので訪問すると
  全く違いがなかったので、皆大いに喜んだ。


後者にも、立山地獄の様子が描かれている。
すでに、亡者の行先としてよく知られていたようだ。
 其の国に立山と云ふ所有り。
 極て貴く深き山也。
 道嶮くして、輙く人参難し。
 其の中に、種々に地獄の出湯有て、現に堪難気なる事共見ゆ。

この話の肝は、妻が亡くなり、男子三人と書生が、恋ひ悲んで立山地獄に行くところ。亡者に逢えるとの観念があった訳だ。
 我が母の事をも押し量て思ひ観ぜむ。 
従って、地獄的風景とはいかなるものかが示されることになる。
 地獄毎に行て見るに、実に堪難気なる事共限無し。
 燃えれて有り。
 其の地獄の有様は、
  湯の涌き返る焔遠くて見るにそら、
  我が身に懸る心地して、暑く堪難し。
 何に況や、煮ゆらむ人の苦び、思ひ遣るに哀れに悲くて、
 僧を以て錫杖供養せさせ、法花経講ぜさせなど
  為る程、地獄の宜く見ゆ。

この後、色々あるものの、結局のところ、法華経1,000部書写と供養で<、立山地獄から利天に転生する訳で、前者と本質的な違いはない。

立山地獄は地蔵譚にも登場する。
  【本朝仏法部】巻十七本朝 付仏法(地蔵菩薩霊験譚)
  巻十七#27]堕越中立山地獄女蒙地蔵助語
 延好は、越中を訪れ、立山の奥深くで修行していた。
 丑の刻、人影が出現し慄いていると、
 影が悲しんで泣きながら言う。
  「私はもともとは京の七条に住んでいた女。
   我が家はそのあたりで一番の家。
   今もそこに家族が住んでおります。
   私はこの世の果報が尽きてしまい、
    若くして死に、
    この立山地獄に堕ちたのでございます。
   生前、祇陀林寺の地蔵講に1〜2度お参りしたことがある程度。
   他には塵ほどの善根もございません。
   にもかかわらず、
   地蔵菩薩はこの地獄にお出で下さりました。
    夜明け、日中、日没の三回、
    我苦しみを代わって受けて頂いております。
   そこで、上人様にお願いがございます。
   私が住んでいた家にいる父母兄弟にお会い頂き、
    私を苦しみから救うべく、
    善根の修を行うよう伝えて下さいませんか。
   そうして頂ければば
   そのご恩を決して忘れることはございません。」と。
 影は消えたのである。
 延好はその言葉に哀心感じ、
  立山を出て京の七条へ。
  言われた場所は、言葉の通りだった。
 延好は家族に告げると、
  父母兄弟は嘆き悲しみ、涙を流し、感謝。
 すぐに仏師を呼び
  三尺の地蔵菩薩を造像、
  法華経三部を書写、
  法会を行い供養。
 その講師は大原の浄源。
  説法では皆涙した。

この譚の一大特徴は、地蔵講に出た覚えがある程度で、善行はほとんどしていなかったにもかかわらず、女性の亡者にも救いがあるという点である。しかも、そこは、修験道的で女性無縁な雰囲気濃厚な地。

尚、地蔵菩薩お馴染みの持物、錫杖が登場している。本来的には遊行僧/修験者が山道を歩く際に音を出して禽獣類を避けるための器具と思われるが、立山地獄への道には必需品だったということか。地獄の、誰も居ない原に入ってからも、噴出音にかき消されない甲高い音が出せるし。
[ご注意]邦文はパブリック・ドメイン(著作権喪失)の《芳賀矢一[纂訂]:「攷証今昔物語集」冨山房 1913年》から引用するようにしていますが、必ずしもママではなく、勝手に改変している箇所があります。

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