→INDEX ■■■ 今昔物語集の由来 [2019.9.17] ■■■ [79] 六地蔵 地蔵と言えばもっぱら地獄での救済なのに、何故に6なのか合点がいかぬが、六道それぞれに出向くようで、地獄道檀陀・餓鬼道宝珠・畜生道宝印・修羅道持地・人道除蓋障・天道日光とされているそうだ。ただ、延命・宝処・宝手・持地・宝印手・堅固意との名称もあるようだが。 ただ、「今昔物語集」ではその由来と言えそうな譚が収録されている。年代的には10世紀の話であり、その辺りから始まったと見るのは妥当な感じがする。 しかしながら、それを始めたのが、周防の一宮 玉祖社@防府大崎(ご祭神:八坂瓊曲玉を造った玉祖命)の宮司(玉祖)惟高。 かなり重要な話と見え、仏教通史書虎関師錬[1278-1346年]:「元亨釈書」巻第十七<惟高>に同じ話が収載されている。 周州玉祖神宮司惟高者、累丗神官也。 而 帰心佛乗喝地蔵號、 長徳四年(998年)四月 寝病過六日俄爾氣絶忽赴曠野迷 而 不知路於時六沙門儀相厳好徐而来。 一人持香爐、 一人合掌、 一人持寶珠、 一人持錫杖、 一人持華筥、 一人持念珠、 六中執爐人告曰「汝知我等不」 惟高啓曰「不知」 曰「我等六地蔵尊也。 為救六趣衆生、現六種身。 汝雖巫属、久帰我也。 是以令汝還本土。 汝必造我像致恭敬。」・・・ (参照) https://shoryobu.kunaicho.go.jp/ Toshoryo/Viewer/1000074050018/afe509d065be4827b305a0e8ed5284cd 【本朝仏法部】巻十七本朝 付仏法(地蔵菩薩霊験譚) ●[巻十七#23]依地蔵助活人造六地蔵語 周防一宮の宮司 惟高は、宮司の家系だが、 子供の頃から仏教を信仰しており なかでも地蔵菩薩への尊崇の念が強く 日夜、念仏をあげていた。 998年のことだが、 病に伏し、6日ほどで急死。 暗黒の冥土で、道に迷ってしまい 嘆き悲しんでいたところ、 六人の子供の僧が現れた。 それぞれ、香炉・宝珠・錫杖・花筥・念珠を一品づつ持っていた。 そして、六地蔵であると紹介。 童だから、それぞれ1つの持物を分担しているに過ぎない気はするが。そうではないらしい。 六道で苦しむ人間の為に 地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六道の形相で 現れた、と言う。 そして、六地蔵は惟高に、 生き返ったら、六体の仏像を造り 心を込めて供養するように、と。 六地蔵達は、南方の加羅陀山に居ると言って。 それから三日三晩後、惟高は蘇生した。 もちろん、惟高は言われた通りに。 三間四面のお堂を建て、六地蔵像を安置する。しかし、そこらの伝承を示唆するような事跡の類は防府地区には見当たらない。 六地蔵堂の開眼供養に当たっては、おびただしい数の男女僧俗が結縁のために参詣したというのだから、痕跡位はあってよさそうに思うが。 惟高は宮司であり、神への供物を私用することもあったからその点では罪深い訳だが、地蔵菩薩により極楽往生したとされる。 その往生を夢で確認したのは、三河入道寂照。六地蔵信仰は全国規模で広がっていたことがわかる。 (C) 2019 RandDManagement.com →HOME |