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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.9.24] ■■■
[86] 芋粥
芥川龍之介:「芋粥」1916年は余りにも有名で、「今昔物語集」の翻案であることも知られているし、評論の類も山ほどあるに違いないので今更取り上げるのもどうかとも思ったが、「宿報」譚として収載されているのを忘れがちなので、その点だけ触れておくことにしよう。
この巻の読み込みはこの書の意義を考える上で重要だから。
  【本朝世俗部】巻二十六本朝 付宿報
  [巻二十六#17]利仁将軍若時従京敦賀将行五位語

筋はどうということもないが、登場人物の対比が面白い。
主人公は、摂政藤原基経公邸に部屋をもらって執務する、風采があがらず才覚にも乏しそうな、40才を越した五位の小役人。美味い芋粥を腹いっぱい食したいものと、正直に吐露する。
そこで、位では同程度と思われる侍 藤原利仁が、豪奢な生活を送っている越前敦賀の自舘に招待し、呆れるほど膨大な量の芋粥を御馳走するというだけ。
いかにも豪放磊落な性格だからやりそうなこと。だからこそ愉快な訳で。

この話のご教訓はそれよりずっと面白い。。仏教サロンのインテリ達は大笑いしたのではなかろうか。もっとも、読む人によってはそうはならないが。・・・
長年お勤めをし続け、そこらでは知られるようになり、その存在を認められると、このような事が自然に起きるもの、というのだ。
 実に、所に付て、
 年来に成て、
 免されたる者は、
 此る事なむ自然ら有ける


確かにその通りなのだ。
読む方は、普通はこう感じるから。・・・

と言うのは、わざわざ「藤原」姓等を伏字にしたりと、この話では収載に当たって精一杯気を使っておりますとの姿勢を見せていることが大きい。この話の背景を考えざるを得ない仕掛け。
利仁とは藤原氏の武家進出の先鞭をつけた将軍である。この譚では、摂政基経に仕える若き侍時代の設定。
地方豪族藤原有仁の婿となり、二人で要衝敦賀を牛耳り、よろしくやっている訳だ。
そのためには、中央政治で摂政と上手く交渉し早々と利権を獲得する算段が必要。この小役人から情報を得るのが一番手っ取り早い訳だ。ただ、誰でもがその調子だから珍しいことではない。しかし、この二人の関係は損得勘定抜きに、長く続いていたから珍しいのである。性格が違うにもかかわらず、互いに馬が合い、ツーカーの仲になっていた訳だ。
芋粥の話題にしても、公邸での正月の大嘗儀式終了後、雑談に興じながら御馳走をのんびりと食していた時のこと。いかにもありそうだ。

このご招待の旅路だが結構な距離。
京 基経邸⇒賀茂川原⇒粟田口⇒山科⇒関山⇒三井寺⇒三津浜⇒高島⇒敦賀 利仁邸
山路の途中で、一泊する訳だが、その前に狐を捕まえて飛脚として使う。奥型に迎えの馬を出すように連絡させるのである。
小役人は考えられる最高の歓待を受け、高額な土産を色々頂いても、これは僥倖ということで、さほど気にしないで済んだのである。これぞ宿報といることで。

読者は、ふんふん、そういう見方もあり得るね、では。

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