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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.9.30] ■■■
[92] 八溝山
山中で歌を詠んで死んだ話が収載されている。
  【本朝世俗部】巻二十七本朝 付霊鬼(変化/怪異譚)
  [巻二十七#45]近衛舎人於常陸国山中詠歌死語
 歌の上手な近衛で神楽舎人の話。
 とある日、相撲の使いで東国へ。
 陸奥
(東白河)と常陸(奥久慈)の境にある焼山ノ関@大子頃藤でのこと。
 深山
(八溝山系)を通っていたが、舎人は馬上で居眠り。
  はっと目を覚まし、
   「此れは常陸の国ぞかし。
    遥にも来にける者かな。」と、
   感興に浸ってしまい、思わず歌を詠んだ。
 2〜3回繰り返し歌ったところ、
 山の奥の方から、怖ろしげな声。
   「穴おもしろ。」
 手をハタと打つ音も聞こえてきた。
 舎人は馬を止め、従者に誰の声か尋ねた。
 すると、従者達は誰も何も言っていないと。
  何も聞こえなかったが、と。
 舎人、思わず背筋が凍りつく。
 その後、舎人は急に気分が悪くなっていき、
  まるで病人になったかのよう。
 従者達は不思議なことと見ていた。
 宿に入って、舎人は寝たが、
 そのまま息を引き取ったのである。


深い山中で詠うと山の神がそれを聴くことになる。気に入られでもすれば、引き留められること必定。
常陸歌を、その国の神に聴かせたなら尚更のこと。・・・と言うのがご教訓。

焼山ノ関は久慈川沿いの官道(常陸道)上に位置しているのだろうが、ここらは奥山の狭くて険しい山道そのものと言ってよい。かつては、奥羽三関(白河@常陸-東山道・勿来@磐城-浜街道・念珠@越後)と並ぶ要衝だったのだろうか。

この地勢を考えると倭建命が行き付いた常陸最奥の地とされていそう。山の神は命が平定した土着勢力の守り神ということになる。都から来訪し、土着の神に対抗する力が無いと見なされれば、たちどころに敗れてしまうとも読める話だ。(「古事記」は常陸行を記載していないから、風土記や紀バージョンは、常陸独自の、異なる伝承を習合させたと見なした可能性もあろう。)

この譚で云う常陸歌だが、場所が阿武隈高地の南、八溝山地(7世紀後半には修験道の地)であり、筑波嶺とか常陸・常総の台地を詠み込んだタイプではなかろう。
そうなると、「万葉集」巻二十防人歌[#4363/難波津-4372]を指しているのかも。眺めてみると、これらの歌の直前は大伴家持の長歌「私の拙懐を陳ぶる一首」で、その後ろは隣の下野と続いていく。筑波や久慈川が詠まれており、全般的には悲哀感が籠っているような感じを受ける。

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