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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.10.6] ■■■
[98] 湛慶改め高向公輔
いかにも貴族社会で勃発したスキャンダル臭い話が拾遺的に収載されている。
  【本朝世俗部】巻三十一本朝 付雑事(奇異/怪異譚 拾遺)
  [巻三十一#_3]湛慶阿闍梨還俗為高向公輔語
ストーリーは破戒僧の還俗。
 高向公輔[817-880年]は少年の頃に出家。
 真言の教義に精通し阿闍梨に。
 慈覚大師
(円仁)の弟子で灌頂を受けており、法名 湛慶。
 忠仁公
(藤原良房)のお召しでの祈祷で験ありと。
 その邸で若き女と密通。
 隠しきれず、濫行破戒僧とされてしまう。
 しかし、内外の道を極めていたので
 忠仁公に還俗を命じられ五位に叙される。
 そのうち讃岐守に任じられ家も豊かに。

マ、ありそうなこと。

ただ、ココに、男女の仲についての因縁話が絡んでくるのが、「今昔物語集」のイイとこ。
 湛慶はひたむきに不動明王に仕えていたが
 ある時、夢でお告げが、
  「汝は専ら我れに仕えている。
   我れも汝を加護しよう。
   汝は、前生の縁で、ある娘と夫妻となるだろう。」と。
 湛慶、これを聞いて大いに嘆く。
  「どういう故で女に落ちるのだ。」と。
 そして、思い付く。
   「それなら、その娘を殺してしまえば安心だ。」
 そこで、早速、その娘の家に行き、
  状況を覗き見すると、
  10才ほどの端正な女子が庭で走って遊んでいた。
  下女に確認すると、まさしくその娘。
  翌日も行くと、その女子が同じように遊んでいた。
  周りに人もいない。
  そこで、走り寄って捕らえ
   頸を掻斬ったのである。
  このことを知る人無し、ということで
   サッサと逃げ去り、帰京。
 これでもう大丈夫と考えていたにもかかわらず、
 思いがけなく女に落ちてしまった湛慶だが、
 抱いている女の首に傷跡があるのに気付く。
 しかも、焼き綴って処置をした様子。
 尋ねると、まさしくあの時に掻斬った娘だったのである。
 湛慶、驚愕。そして宿世に心打たれ慟哭し
  過去の経緯を女に話すと
  女も哀れに思い
  二人は夫婦の契を結んだのである。

それにしても、平然と人殺しをするのだから恐れ入る。ほとんどカルトレベルの強烈な信仰心。その一方で、まさに開けていの道を断って恋一筋に生きたのだから、まさに情熱の人。

最後に、還俗後も、仏界についての知識が活用されたとのエピソードが付け加えられている。
 朝廷に仕え
 俗である高大夫となったが、
 真言の密法をよく知っているということで
 極楽寺の
@伏見深草(藤原基経発願 時平899年建立…現:宝塔寺)
 両界立体曼荼羅の木造配置を指導したという。
 真言の師僧で分かっているものがいなかったのである。


湛慶とは、誰もが、円仁の法継確実と見ていた高僧と考えるべきだろう。
一般的には、東宮惟仁親王(清和天皇)の乳母との密通露見で地位喪失とされる。太政大臣良房の命での還俗。そして、中宮大進となった公輔は、染殿で、良房の代理として円仁から五瓶灌頂を授かっている。良房の右腕なのである。
一般の話と上記譚が違っている理由は自明である。良房は、自邸に仕えていた公輔好みを知っており、スキャンダルを鎮静化させるために妻帯還俗という妙手を打ったのである。
円仁-湛慶体制はおそらく比叡全山揺るぎなきものだったろうから、それが揺らいでは、困るのである。

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