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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.10.7] ■■■
[99] 鯉と鰐
🎏v.s.🐊最後から2〜3番目に収載されている毛色の変わった話のうちの1つ。
  【本朝世俗部】巻三十一本朝 付雑事(奇異/怪異譚 拾遺)
  [巻三十一#36]近江国鯉与鰐戦語
 近江滋賀古市の東南を流れる勢多河/瀬田川に、
 急流"心見の瀬"あり。
 そこに、大海から鰐が進攻。
 迎え撃つは、琵琶湖の鯉。
  当初は鰐優勢。
  しかれども、最後は鯉が勝利。
 山城に逃げた鰐は石になった。
 鯉の方はその後も竹生島棲息。


"心見の瀬"の比定地としては、"御供の瀬"@黒津〜南郷の網漁場を当てるのが妥当。大戸川合流地辺りは軍事要衝だから、この辺りの漁民は防衛要員でもあった筈。名称でわかるように、天皇罹病の際は、ここで供御人が生きた大きな鯉をお供え祈願すると共に、御膳に献上することになっていた。

この話は、琵琶湖の竹生島縁起(長浜 都久夫須麻神社/宝厳寺縁起@普文[撰]:「諸寺縁起集」1414年)の変形版でもある。もちろん、こちらも竹生島側勝利。
 竹生島に海龍が来て7廻り。
 ここに、難波海から宇治川を遡って攻めて来たのは大蛇。
 これに大鯰が喰らいつくのである。

大鯰とはと呼ばれており、「漢書」地理志呉地条には、"會稽海外有東人 分爲二十餘國 以歳時來獻見云。"とある。(鯰皮製冠)を被るのが呉人の風習でもあり、琵琶湖一帯の支配者は呉の末裔と称し、朝貢していたか。
鬚あり淡水魚の鯉は言い換えと言ってよさそう。

蛇とか鰐は出雲域と大穴牟遅神のイメージ濃厚。難波経由の大船団でやってきたのだろう。こちらは、さしずめ、越か。

呉越の熾烈な抗争を思わせる戦いに仕上げたか。
そうなると、倭国大乱話。

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