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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.10.9] ■■■
[101] 猿神退治
結構よく知られているのが、猿神退治譚である。生贄の慣習を止めさせたという話。

小生は、権威を一手に握る宗教=政治勢力が行うような生贄行為は日本にはなかったと見ている。
日本に於ける生贄は、コミュニティの為に自発的に我身を棄てる行為であってリーダーが率先して行うことが多かったとみているから。
一方、大陸では奴隷制度があり、これは身分制度といったもので、原則敵を皆殺しにするところを、生贄が必要なので連行して生かしておく仕組み。徴兵し、敵殺戮に貢献しなければ親族抹殺処罰との制度と表裏一体であり、これこそが社会安定と帝国維持の柱になっていたと思う。生贄は、いかにも特定宗旨から生まれたような風体をとるが、どう見ても帝国の制度の物真似以上ではない。「古事記」では、生贄制度を続けている八俣遠呂智は須佐之男命に斬殺される訳で、日本では、そのような猿真似制度は忌み嫌われておかしくない。
両者の生贄観は根本的なところで違いがあると考えるべきだ。
そうした生贄制度撲滅譚が2つ収載されている。

「酉陽雑俎」を読んでいると、極めて特徴的な話を恣意的に選んでいることに気付かされる。
「酉陽雑俎」におけるハイライト的な生贄慣習撲滅譚とは余りに違いすぎるのである。地域の政治権力者が、河神に生贄を捧げさせる宗教勢力を、一人残らず河神のもとに行かせるという荒療治を行うのである。
おそらく、在家仏教徒である著者は、基本、これしか手はないと見ていた筈。血族祭祀を第一義に置く社会であり、このことは、本来的には敵人を生贄として捧げる必要を意味している。生贄は最高の供犠との考えが消えることなど有りえないのである。

ところが、「今昔物語集」編纂者は、そのような発想とは縁遠い。
 撲滅対象は生贄制度ではなく、生贄を捧げられる神。
 その神は猿神。
 猿神と戦うのは、宗教=政治勢力に関係する人物ではない。

日本の状況をよく見ていることがわかる。

さて、その2譚を見てみよう。
  【本朝世俗部】巻二十六本朝 付宿報
  [巻二十六#_7]美作国神依猟師謀止生贄語
  [巻二十六#_8]飛騨国猿神止生贄語

《美作》
お話の場所は現存神社の辺りを指すと見てよさそう。
  中参神=中山神社@津山一宮奥磐座贅堂・・・猿神社とされる。
  高野神=高野神社@津山二宮吉井川上方馭盧岩・・・蛇神なのだろうか。
猿神の話としてよく知られているそうで、Wikiに粗筋が書いてあるのでママ引用させて頂こう。
 美作国の中山の神である大猿は
  年に一度、人間たちに女性の生贄を求めていた。
 ある年に中山近くの少女が生贄に指定され、
  家族が嘆いていると、
  そこへ訪れた若い猟師が事情を聞き、
  少女の身代りとなって
   猿退治の訓練を施した犬とともに櫃に入り、
   生贄に差し出された。
  やがて身長7,8尺の大猿が
   100匹ほどの猿を引き連れて現れたので、
   猟師は櫃から飛び出して猿たちを次々に倒した。
   残るは大猿のみとなったが、
   1人の宮司に猿神が憑き、
   二度と生贄を求めないとして許しを請うたので、
   猟師は大猿を逃がした。
 以来、生贄が求められることはなくなったという。

粗筋だとすぐに終わるが、実際の文章は長く、情景描写も細かい。力が入った引用と言ってよいだろう。
それに、この猟師、一家言あるのだ。
 「世に有る人、命に増る物無し。
  亦、人の財に為る物、子に増る物無し。
  其れに、只一人持給へらむ娘を、
   目の前にて膾すに造せて見給はむも、糸心踈し。
  只、死給ひね。
  敵有る者に行烈れて、徒死為者は無やは有る。
   仏神も命の為にこそ怖しけれ。
   子の為にこそ、身も惜けれ。
   亦、其の君は今は無き人也。
   同死を其の君、我に得させ給ひてよ。
   我れ其の替に死侍なむ。
   其れは、己に給ふとも、苦しとな思給そ。」

現代でも通用する大演説である。
命こそ一番貴重。仏神など、そのためのもので、命を最優先させるは当たり前、と宣うのである。
子が殺されるのを、黙って見ている親は死んだ方がよいと言い切っている。(儒教とは相いれない。)これは、「酉陽雑俎」的な観念と軌を一にすると見てよさそう。
そこらを考えると、この譚のポイントは、ここが国の一宮であること。冒頭に、並んで二の宮らしき蛇神も紹介されているところを見ると、同じような慣習ありと示唆しているのだろう。そんな社での生贄行為である。名前もほとんど聞いたことが無く、訪れる人も滅多にいない場所とは違う。そこで堂々と生贄が行われている状況。
つまり、高僧や国守は見て見ぬふりをしているとしか思えまい。これが日本の実情と指摘したかったに違いあるまい。
なにせ、対処したのは下賎とされる一介の若き猟師だ。それは須佐之男命でもなければ、菩薩の化身でもないのである。
ただ、下手に書くと大変危険。マ、そのための対譚構造でもある。ここでの話はあくまでも猿神退治譚でありまするゾとの逃げ道を周到に用意している訳だ。

尚、一の宮の地を中参/中山と命名しているが、余り日本的ではない。中国の強国乱立の世、遊牧文化の飛び地として栄えた中山国の如き存在という意味かも知れない。

《飛騨》
こちらも随分と長い文章で、神道的儀式も細かく描写されており、はしょって筋を書き留めてもかなりの分量。もちろん、原文が冗長な訳ではない。・・・
 仏道修行の旅を続けている僧がいた。
 そのうち飛騨に入ってしまった。
  ところが、いつしか路が無くなり、山奥へ。
  ついには、高く広い滝が現れた。
  先は崖。帰る道はさっぱりわからず。
  仏に助けてと念ずる以外に手なし。
 すると、後ろから荷物運びらしき男。
  怪なること思ったらしく
  僧が尋ねても、答えもせず
  滝中に踊り入って消えてしまった。
 このままでは、あのような鬼に喰われるしかないし
  滝のなかで死んだ方がましだと考え
  仏に助けてと念じながら入っていった。
 すると、滝は簾のような一重になっていて
  通り抜けることができ、
  山下に細い道が見えた。
  そこを進むと、やがて沢山の人家が見えて来た。
 先程の男が荷を置いて走って来た。
 さらに、長しく浅黄上下を着た男も。
  「私共のところへいらして下さい。」と引っ張る。
  大勢が出てきて、さらに引っ張り合いに。
  結局、郡殿に行くことに。
 そこは、大きな家で、老翁がでてきた。
  先の男が、このお方は日本からお連れし
  浅黄上下男に差し上げたと言い、すぐに決着。
 僧は、鬼に喰われるのかと思い、
  それが表情にでたのか、
  心配するな、豊かで楽しく過ごせと言われてしまう。
 家は、郡殿より小さいが立派。
  大勢の使用人が働いていた。
  中に招かれ御馳走を頂戴すると
  娘を男の前に出して、
  一人娘を妻にして頂きたいと言う。
  逃げる術もなく、逆らえば殺されるだろうから
  仰せの通りと言って従う。
 こうして夫婦として暮らす日々が続いた。
  着たいものを着て
  なんでも好きな物を食べることができ
  太ってしまった上に
  髪も結い上げて烏帽子を被るようになり男前。
  お互いの愛情も深まっていった。
 しかし、8ヶ月を過ぎた頃、
  妻の気色が変わり、物思いの様子。
  訳がわからなかったのだが、
  主人と客の会話を立ち聞きすると
   婿が来てくれなかったら大変だった
   などと言うから、ますますわからない。
  そして、主人は次々と御馳走を勧める。
 そうこうするうち、どの家も準備作業で大忙しに。
  妻は泣思いがつのる一方。
  夫は、隠し立てするなど情けないと言う。
  人はどうせ死ぬのだから、
  死なねばならないことがあるなら話て欲しいとも。
 妻はついに本当のことを言う。
  生贄を神さまに捧げる決まりがあり
  毎年一人白羽の矢が立った家が出すのです。
  生贄がみつからないと、子供を出すことになります。
  あなたがいらしてなければ、私が生贄になったのです、と。
  こうなると、私が代わりに生贄になろうか、と。
 夫は冷静。たいしたことではない、と言う。
  生贄儀式の中身をきくと
  神様が怒らないように、十分太らせ
  裸にして板に寝かせて玉垣のなかに担ぎ込むのです。
  神様は猿の形をしていると聞いています、と。
 当日前は精進決済。家には注連縄。
  その日は沐浴、髪や衣装を整え、
  山中の祠前に出向くと
  高座にすわらされ、皆と大宴会。
  その後、四隅に榊の、注連縄と御幣をつけた
  俎板の上に裸で寝かされ、
  「動いたり、口をきいたりするな。」と言われ
  玉垣の扉が閉じられてしまった。
 裸ではあるものの、男は又の間に刀を隠していた。
 やがて猿神がやって来て、祠の扉が順番に開けられて行く。
  一段と大きな猿が真魚箸と刀をとって近寄ってきたところで
  男は刀を振りかざし猿神にのしかかった。
  他の猿は逃げ去り木の上で騒ぐだけ。
  そこで縛り付け、猿神の御子達も呼寄せさせて
  拝殿の猿をすべて木の幹に縛りつけたのである。
 そして、宴会の残り火で、祠すべてに火を放った。
  社から火が高く燃え上がり、里の人々それに気付くが、
  祭祀三日間は閉門しお籠りするので、
  なんの動きもおきず。
 男は、猿4匹を縛って追い立てながら、
  里に下りて来て、家々の門から覗き込みながら家へと。
  人々は、神と御子を縛るとは、それ以上で
   皆喰われるのではと恐れた。
  舅の家に付くと、閉門しているので開けさせ
   妻に身支度を用意させ
   狩衣、袴、烏帽子を着け、弓、胡を背負う姿に。

実は、ここからが肝。と言ってもこの先はたいした話ではない。
命を奪われたものはなく、猿も御放免なのだから。
猿神退治は上記で一件落着に見えるが、宗教上の権力に一時的空白が生まれたにすぎない。それを埋める新たなものが必要となる訳で、下手をすれば同じような状況が戻ってしまう。
それをさせないためには、なにをするかだ。その第一手が正装。そこらをどう描くべきか苦労しているのである。

無名で組織にも属さないが胆力ある僧が、山奥の異界的な里で還俗させられ、生贄が必要な猿神道を壊滅させる訳である。その祭祀様式は立派なものであることが見てとれる。ここでは、政治権力者が猿神道信仰の固定化に努めてきたことが見てとれる。
この僧は、郡殿で、日本国から渡来と紹介されており、一見、異界の地をされているが言葉が通じるのであるから異国という訳ではない。ただ、お隣の信濃や美濃の人で、ここを訪れた人はいないとのコメント付き。しかし、存在は聞いているというのである。
そうなると、海外の生贄文化圏(ユーラシアステップ域で東端は朝鮮半島)の飛び地的存在が日本にあるとの話か。

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