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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.10.13] ■■■
[105] 汚染鮎鮨
「酉陽雑俎」だと段家菜の御当人が著者だから、グルメ的食材話があるが、本朝ではそのような贅沢三昧を感じさせる話は避けている。

仏教サロンの人々が、美味いモノを食べず、美食嫌いだったとは思えないが、そのような姿勢を見せる訳にはいかなかったようである。

そのかわり、トンデモ食品暴露話が収載されている。
こうした話には、必ず文化が絡むので注意を擁する。

例えば、現代中国では、人工鶏卵や排水抽出食用油、等々のトンデモ食品話はいくらでも湧いて出て来る。特殊例とか、フィクションの笑い話ではなく、ほとんどの場合は実話。流石に、徐々に消えてはいくものの、生活実態を考えれば驚くようなことではなかろう。

我々が住む社会にしても、非科学的姿勢を好む人が多数派であることを承知しておくべきだろう。間違えてはこまるが、特に本邦では、それは知識人により当てはまるのである。

話が長くなるが、醗酵生産場についても、科学を意識した工場が生まれ、初めて清浄化が果たされたのであって、ほんの少々の昔までは様々な生物が蠢いている場所である。それらが食に紛れ込んで当たり前の状況。それに不潔感を覚える人は例外的だったのである。
虫がついてない野菜など当たり前の世界だあれば当然の姿勢では。

酒造りにしても、原初は、噛んで唾液を混ぜる造り方。だからこそ聖なるものと認識されていたようだ。糖化とアルコール発酵をさせる必要があるから、驚くような方法ではないが、現代人は嫌がる人の方が多そう。

そんなことを考えつつ鮎鮨譚を読むとよいだろう。
【本朝世俗部】巻三十一本朝 付雑事(奇異/怪異譚 拾遺)
  [巻三十一#32]人見酔酒販婦所行語

思うに、「今昔物語集」編纂者は鮎鮨好みだと思う。驚くべき話を聞いたからといって、その好みや、入手方法を変えることはなかろう。
変えるのは、似非インテリと見ていそう。
この譚は、トンデモ食品が露店で売られていたことに焦点があるのではなく、それを知った男が態度を変えるかに興味を覚えているのである。
仏教サロンの人々は、こういう人もいるネ〜と語り合ったに違いない。鮒鮨で一杯やりながら。
それこそが後世の粋というか、インテリ仏教徒の文化そのもの。

事件そのものの筋はこんな感じ。
読んだ途端ゲーとなること請け合い。
 京の住人。
 知人の家を訪問。
 馬から下り、屋敷の門から入ろうとした時のこと。
 道を隔てた向いに古い門があり、
 閉門のまま。
 そこに、
 鬻天商の女が
 売り物を入れた桶を置きっぱなしにしたママ 
 ごろんと横になって寝ていた。
 昼間なのに、どうした事かと、見てえみると、
 酔っ払ってうたた寝しているだけ。
 呆れて、そのままにして、 知人の家へ。
 所用を済ませ、 門から馬に乗ろうとした時のこと。
 女は目覚めたようである。
 その途端、嘔吐。
 こともあろうに、
 その反吐を売り物が入っている桶に。
 余りの汚さに驚いたが、
 その女は
 桶に手を突っ込み掻き混ぜたのである。
 これを見なければ単なる鮎鮨だったが。
 急いで乗馬しその場から急いで遠ざかったのである。

そして、このシーンを目撃した結果、その男の鮎鮨への姿勢が大きく変わったことが描かれる。
 これをツラツラ考えてみるに、
 鮎鮨とは、もともと反吐然とした物だから
 見たところで、なんとも思わぬだろう。
 この露天商は売ったと見て間違いなかろう。
 そして、買った方も食わなかったとは思えない。
 ところで、
 これを見てしまった人だが、
 その後は永久的に鮎鮨を食べなくなった。
 もちろん、このように売られている商品を
 食べないということであるが、
 確認し、調えさせているモノも食べなくなったのである。
 しかも、それだけにと留まらない。
 およそ知っている人すべてに、この事件を語り
 「鮎鮨は食ってはいけない!」と呼びかけだ。
 又、食事を出す場所で鮎鮨を見かけると
 狂ったように、唾を吐き捨ててその場から逃げるのだった。

さて、注目したくなる、ご教訓はというと、・・・・
 市・町に売る物、販婦の売る物、極め穢きモノである。
 少しでも余裕があるなら、すべての食材を、
 目の前で確かめる形で調理させたモノを食すべし。

マ、その程度の社会システムというだけのことだが、常識的な判断であろう。

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