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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.10.19] ■■■
[111] 往生絵巻
芥川龍之介:「往生絵巻」の元ネタとされる譚をとりあげよう。
  【本朝仏法部】巻巻十九本朝 付仏法(俗人出家談 奇異譚)
  [巻十九#14]讃岐国多度郡五位聞法即出家語

「今昔物語集」の評論は堆き山の如しと思うが、ネットリソーシスの雰囲気からすると、芥川の他の作品より関心は薄そう。読んだことがある人も少ないようだ。題名が宗教的すぎてテキストとしては敬遠されがちということか。

などと思い巡らしていたが、ふと、気付いた。「今昔物語集」は生々しいとの評価は、実はこの譚のコトだナと。

文芸的には、シーン自体がオドロオドロしいからといって、生々しいと見なされる訳ではない。いかに迫真というか、現実感を生み出しているかが勝負。
そうなると、この譚は無比と言っても過言ではないからだ。
なんといっても、「阿弥陀仏よや、おい、おい。」は凄い。お上品な説話集ではとても真似できまい。この言葉あってのお話と言えよう。
フツーの説話は、義悪趣味的な話を入れ込むことはできるが、どうしても高踏的にならざるを得ない。モノを書ける時間とお金がある人が書くから、どうしても高踏的センスが見え隠れしてしまうし、布教の一助が目的となると、生々しく書く必要などない訳で。

素人の説明なので、なんのことやらだろうから、その"生々しさ"をご理解頂くための読み物をご紹介しておこう。
「福富草紙」。
成立が15世紀頃と推定されるお伽噺。放屁珍芸で富を得た高向秀武老人と、真似て失敗した隣家の福富老人の物語だ。(当たり前だが戦記とは180度違う、およそ馬鹿げた嗜好の作品だが、素晴らしく迫真的な描き方である。)

と言うことで、まずざっと"絵巻"を眺めるとよい。
   →「福富草紙」1818年出版(C)NDL
小生のような浅学者は字があると止まってしまうが、文字は気にせず絵だけザッと目を通しておけばよい。準備運動のようなものだから。
次ぎが本番。
これぞ絵巻物と感じるために、以下の労作を拝見する。
   →音読・全巻動画版
     楊暁捷X. Jie YANG[制作]
     楊暁捷・吉橋さやか[朗読]
     立教大学図書館所蔵絵巻[底本]


迫真的表現と感じ取れなかったら、以下の譚を読んでも意味は薄い。

登場人物は、無知で、おそらく字もたいして読めないが、純朴そのもの。極めて行動的。
従って、粗筋を読んでもほとんど無意味。ヒトとヒトの会話体で心理展開を味わわない限りほとんど無価値。
話が長くなり、つまらぬことをいちいち喋るからこそ生々しさが増していく。その登場人物は下層であり、人々から恐れ嫌われる無学で荒々しい気性の持主だからだ。

従って、原文で味わうのが一番だが生憎と長すぎる。現代文にしないと脳細胞がさっぱり反応しないので書いてみた。

 讃岐 多度に住む、源氏の系譜に属する五位の太夫の話。
 極めて猛々しい性格。殺生が生業。
 朝から夕暮れまで、山野で鹿鳥の狩猟、河や海で漁獲という日々。
 他人を斬首したり、手足を折らない日は少ないほど。
 因果応報など知らないし、三宝を信じていない。
 なんと言っても、法師と呼ばれる者を忌み嫌い、近寄らなかった。
 かくの如しで、悪たれの極みの悪人なので、
 住人は皆恐れていた。
 ある日のこと、
 五位は郎等4〜5人を連れて鹿狩りに。獲物の成果はぞんぶん。
 山からの帰り道で、お堂に集合している大勢の人に出会った。
 「ここは何をする場所か?」
 
と尋ねると、
 
郎党は、
 「これはお堂。講でしょう。
  講を行うとは、仏のお経を供養する事で、
  貴いものです。」
 
と答えた。
 
五位は
 「そのようなことをする者がいるとは、
  ほのかに聞いてはいたが、
  間近で見たことはなかった。
  どの様な事を云っているのか。
  ここはひとつ行って聞いてやろう。
  しばし留まり待っておれ。」
 
と下馬。
 
そうなると、郎党も下馬。
  「どうなることやら。」
 
講師に何をするかわからぬし、
  「まずいことになった。」
 
と思っていると、
 
五位はどんどん歩いて堂内へ。
 
講の庭に集まっていた者達は、
 
悪人が入って来たので、
  「何をするつもりだろうか?」
 
と思い、
 
恐れて騒ぐ状況に。恐れて出ていく者も。
 
五位は並み居る人を押し分けて入ったから
 
並んで座っている人達は靡く草の様で
 
五位は高座の傍に坐った。
 
講師の目を見据え
  「講師、どんなことを言うのか。
   我が心に、それはそうだと思えることを話し聞かせよ。
   そうしないと、都合の悪いことがおきるゾ。」
 
と言い、
 
前に差している刀を押し回して見せた。
 
講師は、これを聞き、思った。
  「とんでもない、不祥が当たったものだ。」
 
恐ろしくて、辻褄が合うような話もできそうになく、
  「引き下ろされてしまう。」
 
と思ったが、
 
智恵があるので、
  「仏よ。助け給え。」
 
と念じ、応えたのである。
  「ここより西の方、
   幾つもの世界を過ぎた向こうに仏が在ります。
   阿弥陀仏と申します。
   その仏は心が広く、
   長年罪を積み重ねてきた人であっても、
   思い返して、
   一度でも阿弥陀仏と唱えれば、
   必ずその人を迎えてくれ
   楽しく素晴らしい国に生まれ変わり、
   思うことはかなえられ、
   遂には、仏となることができます。」
 
五位は、これを聞いて、言った。
  「その仏は人を哀れに思われるなら、
   私のことも憎まないのだろうか?」
 
講師は言った。
  「その通りです。」
 
五位は言った。
  「そうだとすれば、
   我が、その仏の名をお呼びすれば、
   答えて下さるのだろうか?」
 
講師は言った。
  「それが本心からのお呼びなら、
   答えて下さらない筈がありません。」
 
五位は言った。
  「その仏はどんな人を吉と宣うのか?」
 
講師は言った。
  「人は、他人より自分の子を哀れと思う如く、
   仏は誰をも悪とは思わないとはいえ、
   御弟子に成れば、今少しは吉と思うもの。」
 
五位は言った。
  「どうなると、弟子と言うのか?」
 
講師は言った。
  「今日の講師の様に、
   頭を剃っている者は、皆、仏の弟子です。
   男だろうと女だろうと、御弟子ですが、
   頭を剃れば、よりまさることになります。」
 
五位はこれを聞いて言った。
  「それなら、この我の頭を剃れ。」

 
講師は言った。
  「それは、哀れにして、貴き事ですが
   にはかにその御頭の剃髪ではなく
   本心から思っている事でしたら
   妻子・眷属等と言い合せ
   すべてをきちんとしてからにすべきでしょう。」
 
五位は言った。
  「汝、"仏の御弟子"と名乗り、
   "仏に虚言無し。"と云い、
   "御弟子に成った人を、仏は哀れと思う。"と云い、
   何故に、ことさら、舌を返し、
   "後に剃れ。"と云うのだ。
   全く納得できない。」
 
そう言って、刀を抜いて、自分で髷を根元から切ってしまった。
 
悪人の突然の行為に、
  「いったい何が起こったのだろう?」
 
と、講師動転。言葉も出ず。
 
庭に居た者達も大騒ぎ。 野郎達も、これを聞きつけ、
  「我が君は、何をなされたのか?」
 
と、太刀を抜き、弓矢をつがえて、走り込んできた。
 
主人は、これを見て、大きな声をだし、郎党達を静め、
 
言った。
  「汝等は、我が吉き人となろうとしているのを、
   何故、邪魔立てしようとするのだ。
   今朝迄は、汝等が居るにもかかわらず、
   "さらに用人を。"と思っておった。
   しかし、これより先、
   各々が行きたい方に行き、仕えたいと思う人に仕えよ。
   一人として、我に付いて来てはならぬ。」
 
郎党達は言った。
  「どうしてこんなことになるのですか。
   正気の沙汰での事とは思えません。
   何物かに憑かれておられるのでは。」
 
そう言ってから、皆、倒れ伏し際限なく喚き泣く。
 
主人は、これを止め、
 
切った髷を仏に捧げてから、すぐに湯を沸かし、
 
紐を解いて襟元を広げてから自分で頭を洗った。
 
そして、講師に向かい
  「コレを剃れ。
   剃らなければ悪いことが起きるゾ。」
 
と、言ったので、
  「本心で、このような決心をしたのだから、
   剃らないのは悪いことだろうし。
   出家を妨げるのも、罪にあたるだろう。」
 
と、色々考え、恐れもあり、
 
高座より降り、頭を剃り戒を授けた。
 
郎党達は、涙を流し、際限なく悲しんだ。

 こうして、入道になったので
 
着ていた衣の水干袴を、布衣・袈裟等に替えた。
 
持っていた弓や胡籙を金鼓に替えて
 
衣・袈裟を正直に着て、金を首に懸け、
  「私は
   ここより西に向かい、
   阿弥陀仏を呼び給い
   金を叩き、
   お答え頂ける所まで行くつもりです。
   お答え頂けない限り、
   野山だろうが、海河だろうが、
   決して帰ってくる気はありませぬ。
   ただ、向いた方へと行くのみ。」
 
と言った。
 
そして、
 
大きな声をあげて、
  「阿弥陀仏よや、おい、おい。
 
と金を叩きながら行こうとすると、
 
郎党達が共に行こうとするので
  「おのれ等は、我が道を妨げようとするのか?」
 
と言って、打とうとするので、皆、留まることにした。
 
そんなことで、
 
入道は、阿弥陀仏を呼び給いて、
 
金を叩きながら西に向けて行ったのである。
 
実に、言った通り、
 
水が深い所でも浅い所を探さず、
 
高き峯でも迂回道を尋ねず、
 
転び倒れても、向かう先へと進み続けたのである。
 
日が暮れ、とある寺に行き着いた。
 
その寺の住持の僧に
  「私は、この決意以来、
   脇に逸れることなく、西に向かって進んでおります。
   当然ながら、元に振り帰るなどありえませんし
   これより西の高い峯も超えていくつもりです。
   今から7日後、私が居る所に必ず訪ねて来なさい。
   草を結びながら進みますから、それを目印に。
   もし食べるものがあるなら、ほんの少々分けて下さい。」
 
と言った。
 
住持は干し飯を取り出して与えた。
  「多すぎる。」
 
と言って、ほんの少しを紙に包み腰に挟み、お堂を出て行った。
 
住持は、
  「すでに夜になった。
   今夜くらいはお泊まりなさい。」
 
と引き留めたが、聞き入れずに行ってしまった。
 
その後、
 
住持は、入道の言う通り、7日目に西に向かった。
 
本当に草が結んであり、
 
その印を尋ねて高峯を超えると、
 
またそれより高く嶮しい峰があった。
 
その峰に登って、見ると、
 
西に海がよく見える所があった。
 
そこには二股に分かれた木があり、
 
入道はその股に登って座り、金を叩いて、
  「阿弥陀仏よや、おい、おい
 
と呼んで居た。
 
入道は、住職を見て喜んで言った。
  「私は
   "更にココより西に行って海に入っていこう。"と思っていたが、
   此処で阿弥陀仏のお答えを頂戴したので、
   仏をお呼び申し上げておる。」
 
住持はこれを聞いて
  「奇異。」
 
と思ったので
  「どのようにお答えになられたのですか?」
 
と尋ねたところ
  「それでは、お呼び申し上げる。
   聞くように。」
 
と言って、
  「阿弥陀仏よや、おい、おい。
   何処にいらっしゃいますか?」
 
と叫ぶと、
 
海の中から素敵な御声。
  「ここにおる。」
 
とお答えを賜ったのである。
 
入道が
  「聞こえたか?」
 
と言うと、
 
その御音を聞いた住持は
 
悲しく貴く思って、際限なく、伏して泣いたのである。
 
入道も涙を流し
  「汝は、すみやかに帰りなさい。
   あと7日したら来て、
   私の姿とその有様を見て欲しい。」
 
と言った。
  「食べ物が欲しいか?」
 
と思って、
  「干飯を取り持っているが。」
 
と言うと、
  「さらに欲しい物はない、
   まだ有る。」
 
と答えた。
 
住持が見ると、
 
干飯を渡した時のまま腰に挟んである。
 
こうして、来世のことを約束の上、住持は返っていった。
 その後、また7日たったので来てみると、
 入道は前のように木の股に西に向かって座っていた。
 しかし、今度は死んでいた。
 見ると、口から妙なる美しくも鮮やかな蓮の花が一葉生えていた。
 住持は、それを見て、泣き悲しみ貴び、
 口に生えている蓮花を折りとった。
  「引いてお隠れさせよう。」
 と思ったのだが、
  「"ココの人は、只このママ置かれて、鳥獣に喰われる。"
   とのお考えだった。」
 と思って、動かさずに、泣きながら返ったのである。


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