→INDEX ■■■ 今昔物語集の由来 [2019.10.24] ■■■ [116] 法花経持経聖人 この聖人だが、その自覚はなさそう。しかし、異端であることを認識しているし、破戒無慚の法師と呼ばれても致し方無しと考えていそう。 【本朝仏法部】巻十二本朝 付仏法(斎会の縁起/功徳 仏像・仏典の功徳) ●[巻十二#35]神明睿実持経者語 京の西にある神明という山寺に住む僧 睿実の話。 天皇の子孫との噂もある。 幼くして父母から離れ、仏道に。 日夜、法花経を読誦。 慈悲の心が深く、苦しんでいる者を見れば、哀れんだ。 〇愛宕護山に住んでいた頃、 極寒の季節に衣のない人達を見つけると、 着ている衣を脱いで与えたので、 自分自身は裸。 夜は、大きな桶に木の葉を入れた中に入っていた。 食物が無くなると、竈の土を取って食べ、命をつないだ。 おいしく食べたのである。 一心に誦し、一部を誦し終えた時、 ほのかに白象が出現したことも。 お経を読む声は非常に貴いということで、 聞く人は、皆、涙を流した。 長年修行した後、神明に移ったという。 〇閑院の太政大臣 公季は九条殿(藤原師輔)の第十二子。 母は、延喜の天皇(醍醐天皇)の皇女(康子内親王)。 三位の中将で若かった時の話。 頃は夏。重い瘧にかかられた。 色々な霊験所に籠って、優れた高僧の加持祈祷を受けたが効験無し。 そこで、法花持経者として評判が高い睿実の祈祷に頼ろうと。 神明に向けて出ると、賀耶河/紙屋川辺りで発作。 近いので引き返さず、なんとか御到着。 そして、訪問目的を伝えたところ 持経者は、 「重い風邪にかかっていまして、 蒜を食べたばかりですので。」と辞退。 そこで、 「何としても聖人を拝ませていただきたく、 このまま帰るわけには参りません。」と言うと、 了承してくれ、 立ててある蔀戸を取り除き、 新しい上莚を敷いてから、 招き入れてくれた。 三位の中将は、従者の肩に被さって入り横臥。 持経者は水浴してからやって来た。 背は高く痩せていて、この上なく貴く見えた。 「医師の指示で蒜は食べたが、 法花経は浄不浄に係わらないので誦しましょう。」 と言い、念珠を押し攤み、大変に貴いお姿。 頚に手をおき、膝枕で、読み始めた。 聞いているだけで、どこまでも貴く哀なく感じるのだった。 持経者は落涙。 高熱の病人の胸に落ち、熱は下がっていった。 寿量品を3回ほど繰り返し誦した頃には平熱に。 心地良くなられたので、何回も持経者を拝し、 後世までの御縁を約束してお帰りに。 その後は、瘧の発作も無くなり、 持経者の貴き名声は、世間に広がっていった。 〇同じ頃、円融天皇[在位:969-984年]が堀川院で御悩み。 御邪気ということで、 様々な御祈祷、霊験あらたかな名僧高僧による御加持も効験無し。 上達部の一人が、 「神明という山寺の睿実という僧は、 長年、法華経を誦しております。 召して、御祈祷させたらどうでしょうか。」と奏上。 一方、別の一人は、 「道心深く、勝手気ままなふるまいがあるかもしれず、 お見苦しいことがあるのではないでしょうか。」とも。 さらには、別な意見も。 「効験さえあれば、 どのようなことがあってもよいではありませんか。」 結局、召すことに。 蔵人が使者として、宣旨を承って神明に出向いた。 持経者にその旨を伝えると、 「異様の身でございますので、参上するのは憚られますが、 天皇御統治の地でございますから、 宣旨に背くことが出来ませんので、 参上致します。」 と出立の姿勢。 蔵人は、辞退すると思っていたから、喜んですぐに出立。 牛車は、東の大宮通りを下っていった。 土御門の馬だしの所に来ると、 薦一枚で囲われ臥せっている病人がいた。 髪が乱れ、異様な物を腰に巻きつけている女である。 流行り病に罹っている様子。 持経者はこれを見て、蔵人に言っ 「今すぐ睿実が参内せずとも。 内裏には、優れた僧が大勢伺候されておりますから 問題ありますまい。 しかし、この病人は助ける者が一人もおりません。 何とかして物を食べさせてから、 夕方にでも参内いたしましょう。 先に行って、その旨申し上げて下さい。」 一方、蔵人は、 「それは極めて厄介なこと。 宣旨に従って参上しているのですから、 このような病人に関わって足を止めるべきではありません。」と。 持経者は、「我君々々。」と言い飛び降りてしまった。 蔵人は、「取り憑かれたような僧だ。」と思った。 仕方なく、車を止め、土御門の中に入り推移を見守っていた。 病人は、とても汚げな所に臥しており、 怖ろしいような姿だ 親し気に寄って行き、 胸をさぐり頭を押さえ、病状を訊く。 病人が言うには、 「この数日、流行病に罹っており、 戸外に棄てられてしまったのです。」 聖人は、自分の父母が病んでいるかの如くに嘆き悲しんだ。 「物は食べられないのか?何か欲しい物はないか?」 と訊かれると、 病人は、 「ご飯を、魚をお数にして食べたい。 その後で湯を飲みたい。 しかし、食べさせてくれる人はいない。」と言う。 聖人は即座に着ている帷を脱ぎ、 童子に渡して魚を買いに行かせた。 また、知り合いの人の所に飯一盛、湯一杯を貰いに行かせた。 しばらくすると、飯一盛、食器、湯を入れた水差しを持ってきた。 さらに、魚を買いに行った童も、干鯛を持ってきた。 その鯛を小さくむしり、飯を箸で食べさせ、湯を飲ませてやった。 食べたかったこともあり、病人とは思えないほどよく食べた。 残った飯を折櫃に入れ、そこにある容器に湯を入れ、枕元に置いた、 そして、水差しは借主に返しに行かせたのである。 そこで、薬王品一品を誦して聞かせてやった。 それが済むと、蔵人のいる所に来て、 「参内しましょう。ご一緒致します。」と。 内裏では、御前に召された。 「経をお読み下さい。」との仰せ。 一の巻から始めたところ、 御邪気は退散。容態は快復。 僧綱への任官が決まったが、持経者は辞退し逃げる如くに退出。 〇その後、持経者は鎮西に下り、 肥後で田畠を作らせて、絹や米を貯え富豪に。 国司は、この聖人を誹謗。 「破戒無慚の法師なり。」と見なし 聖人の財物全てを奪い取った。 その後、国司の妻は重病に。 仏神祈願、薬治療の、どれも効験がなく、国司は嘆くだけ。 そこで、目代は、 「睿実殿を召し、法華経を誦させてはいかがでしょうか?」と。 国司激怒して命ずる。 「あの法師は、絶対に召してはならぬ。」 にもかかわらず、熱心に勧め続けるので、 気に入らないものの、目代の一存でせよ、ということに。 目代に招かれた睿実は、国司の館で法華経誦。 一品もすまないうち、護法童子が病人に乗り移り、 病人を屏風越しに投げ飛ばした。 持経者の前で、100〜200ほど打ち懲らし、 屏風の中に投げ入れると、病はたちまち治ったのである。 これを見ていた国司は、持経者を拝み、 以前の心を悔い悲しみ、奪い取った物を皆送り返した。 しかし、聖人は受け取らなかったのである。 〇持経者は、自分の死期を予知していた。 清浄な場所に籠り、食を断ち、 法華経を誦して、合掌したまま入滅。 聖人だが、奇跡を起こした訳ではないし、特別な呪術を持っている訳ではない。能力と言っても法華経を諳んじて唱えることができる程度で、他の僧ができない訳ではない。と言うか、「今昔物語集」では、それをことさら目立出せるかのように、法華経読誦に驚異的な注力をした僧が何人も紹介されているからだ。実際、本人も、祈祷なら、拙僧ではなく高僧に任せればよいのではないかと言っている訳で。 それに、決まり事に囚われぬ合理的な考えの持ち主である。僧であろうが、医師が風邪の対処には蒜が良いと言うなら食すのだから。 と言って、無闇に反骨精神を発揮することもない。苦にあえぐ人を助けたいというだけなのだ。 仏教サロンに集う人々からすれば、聖人以外の名称は思いつくまい。 (C) 2019 RandDManagement.com →HOME |