→INDEX ■■■ 今昔物語集の由来 [2019.10.30] ■■■ [122] 馬庭山寺 話はとぶが、「酉陽雑俎」は面白い本だ。 その理由の1つは、ソグド人との交流で得た情報がふんだんに取り入れてあること。インターナショナルな交流を大事にし、お互い精神的に自由でありたいと願う、仏教徒の著者の気分が伝わって来ることもあり、なかなかに楽しい。 逆に、だから毛嫌いの対象にもなり、そのような書籍では無いと見なすことが多い訳である。おそらく、そちらが多数派だろう。 それとは毛色が大分かわるとはいえ、「今昔物語集」も似たところがある。 ただ、下手に書けばどうなるかわかったものではないから、見かけは同等なレベルにはない。そもそも、欠巻、欠譚、欠文、伏字だらけにしている訳で、そのママ受け取らずに注意してお読み下さいと言っているのと同じ。読者として、インテリしか考えていないから、それでよいのである。 そんな感覚で読むと、"もしかしたら"感を覚える譚があるので、取り上げてみよう。 【本朝仏法部】巻二十本朝 付仏法(天狗・狐・蛇 冥界の往還 因果応報) ●[巻二十#24]奈良馬庭山寺僧依邪見受蛇身語 当該寺は奈良朝の頃は存在していたようだが、無名に近い。それなりの分量の話だが、中身はなんということもない。 僧が弟子に入滅を伝えて逝去。 遺言で、3年は開けるなとした房の前に 大蛇が出現。 遺言をまもらず、 房の中を見るとおカネ。 弟子は、それで師の供養を。 救済にもあてずに貯金し、そのお宝を守ろうと蛇まで遣わす、と解釈することは可能だが、どこかアンバランス感がある。この話の因果応報のどこに着目しているのかという点でも曖昧。蛇の役割も今ひとつ明瞭ではないし。なにに使うためのおカネだったのか、あるいは不時の備えだったのかという点でも全くわからない。 そうなると、なにか特別なことをこの伝承に発見し、どうしても収載したくなった可能性も捨てきれまい。 普通に考えれば、ナンダナンダと房を家探ししたらカネが見つかって、遺言破りを問いつめられたらたまらないので蛇を出汁に使ったと解釈されかねない筋であり、このような譚をわざわざ選ぶ理由がよくわからないのだ。 そう考えると、平城京外に位置するこの寺の名前が気になってくる。標高300〜600mの山寺は全国至る所にあるが、特別な用途でもなければ馬が関係することは考えにくい。 そうなると、これは摩尼山寺の当て字と見た方がしっくりくる。 全国を見れば、摩尼山(弘法大師御墓周囲にもある。)や摩尼寺はそれなりに存在しているからだ。ただ、この名前は、梵語の如意ということでつけられたのではなく、忉利天 三十三天の(13)摩尼蔵天から来ているものが多いようだ。そんなことなら、わざわざ名称を隠す必要もなさそうにも思える。 そうなると、この名前、ソグドからはるばる伝わって来た「マニ」では。 消滅してしまった宗教らしいので、その実態ははっきりしないが、景教、拝火教、仏教を融合させた世界宗教と言われている。それに合う世界言語も作られたようで、交易圏を中心にかなり普及したようだ。 現代日本人には全く馴染みはない宗教だが、唐文化流入期の中央知識人はかなり知っていた可能性があろう。 実際、マニ教が日本に伝来していたことを示す物証がみつかりつつあるし。 マニ教宇宙図@13世紀 日本個人所蔵 マニ教始祖[216-277年]像絹絵@14世紀 藤田美術館蔵 マニ教終末図@大和文華館蔵 (参照) 古川攝一:「信仰と絵画展によせて マニ教絵画をめぐって」大和文華館 美のたより 174, 2011年…本邦に存在するのは7点で形式は六道図,宇宙図,聖者伝図,天界図,虚空蔵菩薩図. 絵から見ると、マニ教では大蛇は中華帝国の龍でもあるのか、聖なるお遣いのようである。四神発祥元は不明であるが、融合お得意のマニの可能性もあろう。 証拠も論理も欠くが、馬庭山寺にはマニ的な伝承が残っていたということではなかろうか。 (C) 2019 RandDManagement.com →HOME |