→INDEX

■■■ 今昔物語集の由来 [2019.11.3] ■■■
[126] 前生蟋蟀の僧
【本朝仏法部】巻十四 本朝 付仏法(法華経の霊験譚)には、自分の前生を知ってしまった法華経読誦者の話がズラズラならんでいる。正直なところ同じような話が続くので、一般読者にとっては、えらく退屈な箇所である。しかし、実は当時の感覚がわかるえらく貴重な箇所。
そのうち、前半の7譚(#12-18)は、お経を暗記できない持経者の、そうなってしまう因縁を示す前世譚。これらを一括してとりあげておこう。
  [巻十四#12]醍醐僧恵増持法花知前生
  [巻十四#13]入道覚念持法花知前生
  [巻十四#14]僧行範持法花知前生報語
  [巻十四#15]越中国僧海蓮持法花知前生報語
  [巻十四#16]元興寺僧蓮尊持法花知前生報語
  [巻十四#17]金峰山僧転乗持法花知前生
  [巻十四#18]僧明蓮持法花知前生
  [巻十四#19]備前国盲人知前生持法花
  [巻十四#20]僧安勝持法花知前生報語
  [巻十四#21]比叡山横川永慶聖人誦法花知前生
  [巻十四#22]比叡山西塔僧春命読誦法花知前生
  [巻十四#23]近江国僧頼真誦法花知前生
  [巻十四#24]比叡山東塔僧朝禅誦法花経知前生
  [巻十四#25]山城国神奈比寺聖人誦法花知前生報語
一見、似た話の寄せ集めだが、ソコが曲者。
タイトルからすれば、法華経持経僧の因果応報譚なら、さぞかし素晴らしい霊験が7ツ並んでいると思ってしまうが、これが全く違うのだ。持経僧に特別なご利益がもたらされてはいないし、奇跡も起きないし、極楽往生したとのエピソードがある訳でもない。
この一連の話の特徴は、最初の1譚の僧を除けば、前生が動物という点。つまり畜生が転生し、法華経持経僧に生まれ変わったということ。その経緯で、現世ではお経の暗記が完全にはできないというストーリー。
それでは、何が法華経の霊験かということになるが、その答えは1つしか考えられない。
前生で動物が法華経読誦を聴いたことで人間界に生まれることになったというのである。

その典型は#15。僧の前生は蟋蟀。
一ヶ所に留まり、じっくりと鳴き続ける姿はいかにも読誦僧を感じさせるものがあり、喩えとしては秀逸。現代人とは違い、素晴らしい僧の読誦は心に染みる美しい音色と受け取られていたから尚更。
だが、鳴かずに、トットットと壁面を動いてから、しばらく動きを止めてじっとしていることもある虫である。
そんな時に、お経を聞いていたというのである。その功徳で人間に生まれ変わることが出来たのだ。
だが、読誦していた僧が壁に寄り掛かった際、潰されて死んでしまった。つまり、読誦経典をすべて聞き終えていなかったのである。従って、転生して僧になっても、その知らない部分は覚えることができないことになる。
確かに因果関係で事情は説明ができる訳だ。

それを踏まえて、先頭譚の内容を整理するとこんな風になる。蟋蟀では難しいが、この話だけは前生がヒトなので、そのエピソードの証拠を示すことができる。話始めとしてはどうしてもこの譚にならざるを得ないのである。・・・

【持法花経僧】醍醐の僧 恵増
【修行状況】超熱心。他の経典、真言、顕教、にはかかわらず。
【前生】播磨賀古出身の僧
【知った経緯】長谷寺(観音)に七日籠。夢に登場した老僧談。
【暗誦できない部分】方便品の比丘偈2字
【因縁】火に向かい読経時、経典紙を部分的に焼失
【他】前生の父母を訪れその話をする。二字焼失の持経が残っており、悲しさがつのったのである。

釈尊の話ではないものの、前生譚なのでジャータカ風。遠い昔のことなのに、僧だった我が子を忘れられず、その死を悲しみ続けている父母に、形見が見つかったといって経典を手渡す様子を彷彿させるものがある。しかし、そのような主旨ではない。
仏教サロンではえらくウケたに違いない話だと思う。各自、外国語でなんとも覚えにくい単語があるから、そんなことアルアルとなるからだ。それぞれ、苦手な単語を教え合ったりして、ひとしきり盛り上がったことだろう。しかも、皆、覚えることができるよう持仏に祈願していたりして。
そうか、どうしてできないのか不思議だったが、吾輩も前生の因縁な訳だナと納得するのである。でも、自分の場合は、僧ということはありえそうに無いナ、とも思ったりして。
従って、他の前生例も気になってくる。どのよう話があるのか、皆知りたがる訳だ。現代人には考えにくいが、この一連の似た話は、皆の好奇心をそそった人気の箇所なのだ。
それに、仏教サロンの人々は、ある意味、社会では異端でもあるから前生がヒトでない話なので興味が湧くということもあるかも。

マ、登場動物としての圧巻は次ではなかろうか。

【持法花経僧】入道 覚念(明快律師の兄)
【修行状況】持戒。訓読誦。
【前生】紙魚(無変態無翅の昆虫。無毒無刺。病気媒介例皆無。)
【知った経緯】三宝に祈願。夢に登場した老僧談。
【暗誦できない部分】特定の3行
【因縁】経典に巻籠められて、3行分をってしまった。
そうだよネ〜。吾輩にも苦手な品あるナ〜、というところか。虫干し怠れば紙魚に大切な経巻を食われること必定だし、わかるヨ、だったのでは。

貴族出身者には嬉しい話も。暗記が難しいママなのは、前生があの愛馬の親だったからかもネ、と語らう訳だ。

【持法花経僧】僧 行範(大舎人頭 藤原周家の一男)
【修行状況】懃に読誦。
【前生】黒馬
【知った経緯】三宝に祈請。夢に登場した貴僧談。
【暗誦できない部分】七巻薬王品
【因縁】持経者読誦を聞いたが、薬王品は入っていなかった。

次が、小生が推す譚。

【持法花経僧】越中の僧 海蓮[n.a.-970年]
【修行状況】日夜読誦。
【前生】蟋蟀
【知った経緯】立山・白山参詣祈請。国々の霊験所も。夢に登場した菩薩の告知。
【暗誦できない部分】3品(序品〜観音品の25品は暗誦できる。)
【因縁】読誦僧が最初から八巻第一品まで進み、湯浴みし、壁で一息いれた際にその頭で蟋蟀圧死。(25品を聞いた功徳で蟋蟀は人に転生。)

仏教サロンのインテリなら、おそらく、法華経暗唱は身だしなみを整えるのと同じ位の当たり前のこと。しかし、流石に最後の方になるとなかなか頭にはいらないので悩む人が多かったのであろう。
それでかまわぬでないか、というのが仏教サロンに集うインテリの総意だと思う。

【持法花経僧】美作に住む僧 蓮尊(元興寺から故郷に戻った。)
【修行状況】幼い頃出家。日夜読誦祈請。
【前生】
【知った経緯】普賢菩薩御前で一夏九旬、難行苦行。夢に登場した天童の告知。
【暗誦できない部分】普門品(その前の27品は暗誦できる。)
     数万回返誦しても駄目。
【因縁】母狗と共に人の家の板敷上で読誦を聴く。普賢品の前で母の退出に付いていったので聞いていない。

「酉陽雑俎」の著者にしても、父を見習い、毎日読誦はかかさない習慣になっていた可能性はあるが、並外れた読誦に挑戦するような姿勢を賞賛している訳ではない。それが可能な、特別な人は勿論存在する訳で、それは桁違いの能力があるから意味があると見ていたのは間違いない。
凡人が、真似をして、とんでもない回数の読誦に挑戦するのは考え物という姿勢ではなかろうか。
「今昔物語集」編纂者も同じ発想では。膨大な回数の法華経読誦譚を並べているが、その気分を伝えようとの意図を感じてしまうからだが。
犬の習性についてもよく捉えていると思う。

本朝に大きな毒蛇は棲息していないが、お話では必要なのだろう。蛇は耳が無いようだが、心地よき音を感じ取る手段はあるようで、動きを止めてじっとしていることがある。

【持法花経僧】大和出身 金峰山の僧 転乗[n.a.-849年]
【修行状況】心極て猛。常に瞋恚を発している。幼児出家。日夜読誦。
【前生】長さ三尋半の毒蛇
【知った経緯】転乗蔵王御前で一夏九十日の参籠。六時に閼伽・香炉・灯を供し、毎夜3,000反礼拝し祈請。お籠り修行終了後、眷属に囲繞された、天衣瓔珞姿、手に金剛、足に花蘂の竜冠夜叉形の人が夢に登場し告知。
【暗誦できない部分】7〜8巻。(6巻迄は了。)一句を2〜3回づつ反復誦してもできない。
【因縁】播磨赤穂の山駅に住す聖人、棟の上の毒蛇に喰われると察し、洗手濯口の上、法花経を誦し続けた。毒蛇は飢渇だったが、目を閉じ一心に聴き入った。第六巻まで来て夜明けとなり、聖人は出て行った。


【持法花経僧】僧 明蓮@法隆寺
【修行状況】幼い頃出家。日夜読誦。
【前生】
【知った経緯】稲荷参詣百日籠⇒長谷寺・金峰山各一夏参籠。⇒熊野参詣百日籠⇒(夢)⇒住吉明神⇒(夢)⇒伯耆大山一夏祈請。大菩薩が夢で告知。
【暗誦できない部分】第八巻(第七巻迄は完了。)
【因縁】美作の人が粮米を牛に負わせて山に参上。牛を僧房に繋いで、主は神殿に参拝。ところが、その僧房に法花持経者が居て、初夜より読誦を始めた。第七巻に至って夜が明けた。牛は終夜お経を聞いていたが、主が返って来てしまい、第八巻を聞かずに主に随って本国に戻ってしまった。

 (C) 2019 RandDManagement.com    →HOME