→INDEX ■■■ 今昔物語集の由来 [2019.11.6] ■■■ [129] 大道芸端緒 本朝の京は、長安や洛陽ほどには文化的に成熟していなかったのだろうか。 あるいは、末法の世が間近に迫っていたから、大道芸どころではなく、それが花開くのは室町期と考えるべきかも。 ただ、曲芸《毬的技》や手品《催眠術》といった手の見世物的な動きを感じさせる譚はある。 【本朝世俗部】巻二十四本朝 付世俗(芸能譚 術譚) ●[巻二十四#_4]於爪上勁刷返男針返女語 【本朝世俗部】巻二十八本朝 付世俗(滑稽譚) ●[巻二十八#40]以外術被盗食瓜語 《毬的技》 右近の陣の舎人 春近は蹴鞠上手。 後ろの町の井戸の筩/筒に寄り懸かって 若い女が沢山居るので、 (その運動神経の良さを) 皆に見せびらかそうと考え、 鞘から勁刷/笄を取り出し 手の爪の上に立てて 井戸の上に差し出してから (爪で弾いて) 40〜50回、ひっくり返して見せた。 (下手をすれば、井戸に落としてしまう訳で、 これは、凄い技だ、と) 見ていた人々は、限りなく興じたのである。 そうこうするうち、 老婆が出て来て言う。 「興味をそそる事をするお方だな。 昔はそんな事をする人などいなかったが。 私もそれに倣ってやってみるか。」 袖に刺していた針を抜き出し、 通している糸をそのままにして、 爪の上に立ててから 40〜50回、ひっくり返して見せたのである。 見ていた人々は、奇異な事とビックリ。 これを見た春近は勁刷をしまってしまった。 どうでもよい、つまらぬ事ではあるものの、 他の人には出来ないことをする人がいるもの。 何の役にも立たない技を、驚くべき水準にまで高めるからこそ面白いのである。それを見物することが、インターナショナルな都会の住民の娯楽でもある。 《催眠術》 七月頃のこと。 大和から、下衆達が数多くの馬に瓜を乗せて上京した。 その途中の、宇治の北に、実が成らない柿の木があった。 一行は、その木影で一休み。 瓜の籠も馬から下ろし、自分達用の瓜を食べていた。 そこに、その辺の住人らしき翁がやって来た。 帷を帯で結い、平下駄を履き、杖を突いており、 瓜を食う下衆達の傍らに立ち止まって、 扇を弱々しく仰ぎ、瓜を食う様子をじっと見つめていた。 そのうち、翁は、 「ひとつ食わせてくれまいか。 喉が渇いてたまらないのだ。」と言った。 下衆は、 「生憎と、この瓜は私物ではない。 依頼されて京に運ぶ最中。 一つあげたいところだが、 できないのだ。」と答えた。 翁は、 「哀れと思う気持ちないようだナ。 それほどに重要な運び先なのか。 それなら、自分で瓜を作ることにするか。」と言う。 下衆達はそれを聞いて大笑い。 翁は傍らの木の枝で畑を耕し 下衆達が食べたの後瓜の種を集めてきて畑に埋めた。 しばらくすると、そこから芽が出て、双葉が生え、 みるみるうちに成長し、葉が茂ってきて、 ついには瓜が成ったのである。 下衆達は、神技と唖然。 翁はその瓜を食べ始め、 下衆達や通りがかりの人達にも振舞った。 食べ終わると、翁は立ち去ってしまった。 下衆達も出立しようと、籠を馬に乗せようとすると 今まであった瓜がすべて消えている。 手を打って悔しがったが、なすすべなし。 大和に引き返す破目に。 ご教訓は、ケチらずに2〜3個でもあげていればこんなことにならなかっただろうに、というもの。 翁は"変化の者"とされているが、大道芸的な催眠術ともとれるのでは。 (C) 2019 RandDManagement.com →HOME |