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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.11.11] ■■■
[134] 要介護老女
尾張守の身内の女(妻、妹、娘の可能性も)の要介護老女の末路一歩手前が語られている。
  【本朝仏法部】巻十五巻三十一本朝 付雑事(奇異/怪異譚 拾遺)
  [巻三十一#30]尾張守□□於鳥部野出人語
 この女、
 歌詠みということで知られており、
 気立てもよく、
 振舞いは優雅で、
 特定の男はいなかった。
 ただ、尾張守から
 尾張の一つの郡を頂戴しており
 裕福な生活をしていた。
 子供も2〜3人。
 ただ、すべて諸国放浪に出てしまい行方知れず。
 そのうち、高齢になったので、出家。
 そうなると、尾張守も知らん顔。
 そこで、兄を頼り生活するように。
 困窮してしまったが
 品位を保ちながら、どうやら暮らしていた。
 ところが、病にかかってしまい、
 ついには、意識もはっきりしない状況に。
 すると、兄は、死の穢れを嫌い、
 家からの放逐を決める。
 なんとかしてくれると思っていたが、
 そうではなかったのである。
 そこで、昔馴染みの、仲間のところに。
 頼みの綱だったが、
 牛車で訪問すると、
 やはり、ここで死んではこまるとのこと。
 致し方ない、ということで、
 従者は、鳥辺野に連れて行った。
 (と言うか、本人が決意して行先を指定した訳である。)
 墓地の盛り土の陰に
 高麗風縁付敷物を敷き
 身繕いをして座らせた。
 そして、従者は帰っていった。
 (従者に、別れを告げたのである。)


この後、悲惨な状況が訪れるのは自明だが、引用した書では、とても書けるものではないので触れられていない、とある。そんなこともあって、ご教訓は、尾張守に対して批判的である。酷い仕打ちということなのだろう。

常識的にはその通りだが、本朝には姥捨て山的な風土があるし、助かる見込みのない下女を家から捨て去って当然という社会だったから、驚くような出来事とは思えない。

そう考えると、実は、この譚は、実は、九相観(屋外にうち棄てられた死体が朽ちて行く過程)に絡むものだった可能性もあろう。
年老いて余命いくばくもない病んだ女流歌人の自決的鳥辺野行きと、その死後の状況変化というストーリー。つまり、知り合いに最期のお別れを告げ御陵の傍らを死地に定めたのである。

ただ、この手の話は文化的に受け入れがたかったかも。九相図絵化には随分と時間がかかっており、鎌倉期かららしいし。ご存知のように、現存する有名な図絵は小野小町と壇林皇后で、その歌も良く知られている。
 我死なば 焼くな埋ずむな 野に晒せ
  痩せたる犬の 腹を肥やせよ


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