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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.11.28] ■■■
[151] 初夜の人喰い鬼
「今昔物語集」編纂者は"鬼"に関して、実によい仕事をしてくれた。

鬼は様々な話に登場する訳で、いい加減な定義であることは読めばすぐにわかるようにできている。訳わからぬものを、議論していてもくだらないから、それは"鬼"の仕業としてしまい、ゴタゴタとりあったりしないのである。
お蔭で、純粋で本来的な"鬼"とは何かを考えさせてくれることになる。
小生は、結婚初夜で鬼に喰われてしまう話こそが純正"鬼"譚ではないかと感じた。

中華帝国では、死霊が山からやって来るという観念がえらく強いが、血族の恨みは子々孫々晴らさねばならぬという宗属第一主義宗教の地では、そこから外された死者は恨み骨髄となり、みさかいなき殺人鬼になるのだと思う。
血族から見捨てられ死んだり、命を奪われる人が多い社会だったのだろう。その多くは男女関係に絡んで発生していそう。婚姻関係に複雑な事情が絡むので、仲睦まじく生活するようにはならないのが普通だったとも言えよう。「酉陽雑俎」には、その手の殺人話が収載されているので想像はつく。
それを考えると、結婚初夜で喰われてしまったというストーリーが、鬼登場の原初的パターンではなかったかという気がする。
もちろん、鬼は男でも女でもよいのである。女の喰われる方がおさまりがよさそうにも思うが、そこらは婚姻制度による。
どうして鬼に喰われることになったかと言うのは、実はどうでもよいことで、語り部の思想で変わってくるに過ぎないと見るのである。
譚の本質は、夫婦してずっと楽しく生活していこうと考えるなら、伴侶の根が鬼でないか見極めてから結婚すべきとの説話であろう。

ただ、想像逞しく考えると、と言うのは鬼伝説は日本各地に残っているからだが、本邦ではもっと根源があり、男と女が別れて棲んでいた原始海人時代の離島生活の記憶が呼び戻されている気もする。大陸と違い、本邦には、古層の感情をいつまでも大切に保っている性情があると見てのことだが。

さて、その譚だが以下のような筋である。説話として読むと凡庸である。
  【本朝仏法部】巻二十本朝 付仏法(天狗・狐・蛇 冥界の往還 因果応報)
  [巻二十#37]耽財娘為悔語
 大和十市庵知の東方に住む姓が鏡造という人の話。
 大きにな家に住み富裕。
 一人娘は端正な顔だちで田舎人の娘とは思えない。
 未婚なので、その辺の者共は夜這い。
 されど、固辞。
 そのうち、どうしても貰いたいという人がでてきて、
 諸々の財を積載した車3両を貢いできた。
 両親は、この魅力には勝てず、許すことに。
 吉日に、この人がやってきて寝所に入り娘と寝た。
 夜半、娘、大声で「痛いや、痛いや」と3回も繰り返す。
 ありそうなこと、と気にかけず。
 夜が明けても、娘が起きてくるのが遅いので、
 母親が呼ぶが返事無しなので、
 おかしいと思って近くに寄ると、
 娘の頭と指一本だけで、身体が無く、
 辺りは血だらけ。
 両親は限りなく泣き悲しんだ。
 送ってきた財を見てみると、
 それは馬牛の骨であり、
 積んで来た車は、呉茱萸の木。
 鬼がやって来てわれてしまったのは、
 神の瞋意の祟りであるとして、
 嘆き悲しんだのである。
 その後、頭を箱に入れて、初七日の供養を行った。


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