→INDEX ■■■ 今昔物語集の由来 [2019.12.1] ■■■ [154] 京極殿の和歌 気になる伏字があることも要因の一つだが、意味が今一歩わからないところがある。 話題になっているのは、どのような経緯で詠まれたのかは不詳な歌の下の句。 菅家万葉集の中 読人不知 [「拾遺和歌集」巻一春#40] 浅緑 野辺の霞は 包めども こぼれて匂ふ 花桜かな 浅緑、霞、花桜を入れ込んで、見立て気分で創った歌だろうから、都の御殿で詠まれてもなんらおかしくはない。 薄気味悪さを感じさせる点は全く見受けられないし、伝説がついて回っているようにも思えない。 【本朝世俗部】巻二十七本朝 付霊鬼(変化/怪異譚) ●[巻二十七#28]於京極殿有詠古歌音語 上東門院[藤原道長長女 彰子]が京極殿にお住みになっていた時。 3月20日過ぎの花の盛りの頃、南面の桜が艶美に咲き乱れていた。 上東門院が寝殿にお出ましになったところ、 南面の日隠しの間の辺りに、 極めて気高く神さびた声があがった。 こぼれてにほふ はなざくらかな と詠じたのである。 その声を上東門院がお聞きになり、 「あれは、どんな人の声だろうか?」と思われ、 御障子が開けられていたこともあり、 御簾の内側からご覧になった。 ところが、何処にも人の気配がない。 「これはどうしたことだろうか? 誰が詠じているのか?」と、 数多くの人を召し、見に行かせた。 「近くも遠くも、人はおりません。」と申し上げたところ、 上東門院は驚かれ、 「これはどういうことか。 鬼神等が詠じていたのか?」と恐怖を覚えられ、 「関白殿[彰子の兄 藤原道長一男 頼道]が殿舎におられたので、 急いで 「この様な事がございました。」と申し上げさせた。 すると、関白殿のお返事は、 「それは、何時もそんな風に詠じるようになってから、長い。」 それをお聞きになり 上東門院はますます恐れられ、 「あれは、 "誰かが花を見て、感興を覚え、あんな風に詠じたところ、 このように厳密に尋問されたから、 怖れて逃げ去ってしまったに違いない。" という事と思っていたが、 ここの習わしなら、極めて怖れおおいこと。」と仰せに。 そんなことで、 この後は、ますます恐れられ、近くにお出ましになることはなかった。 歌を詠ずる霊と共に花見で遊んでもよさそうな気もするが、そうすると命を奪われたりしかねないか。 あるいは、世を主導していると自負する、和歌サロン主催者としては、自分の意向と関係なしに、我物顔で勝手に舎殿内に聞こえるように詠ずる姿勢が面白くないのかも。 (C) 2019 RandDManagement.com →HOME |