→INDEX ■■■ 今昔物語集の由来 [2019.12.4] ■■■ [157] 燈油を盗む物の怪 一行で書けば単純だが、闇夜のなかを盗んで逃げていくところを、正体を暴こうとする源公忠行為が結構細かく描写しており、力が入っている。 本来的には武勇伝である訳だが、どこか楽し気な印象を与える。 内裏の中枢でそんな話が生まれ、その話を皆が喜んで聞く時代なのであろう。 物の怪とされるが、"南殿の鬼"と同一ではないかという気分にさせる譚である。 逆に言えば、単なる御燈油泥棒以上ではなさそうだから、流石に、鬼の仕業とは呼びにくかろうとの評価とも言えそう。 この南殿の鬼だが、「大鏡」に記載されているが、当時、誰でも知る存在と見てもよさそう。なにせ、「源氏物語」第四帖夕顔に書かれている位だから。・・・ 恋人の身体は益々冷たくなり、 既に人ではなく、遺骸の感じが強くなってきた。 右近はもう恐怖心も消えてしまい、 夕顔の死を知って大いに泣く。 (源氏は、) 南殿[紫宸殿]の鬼が、 某の大臣[貞信公 関白藤原忠平]を脅やかした例を思い出し 心強くなろうとした。 それにしても、何故に燈明の油を盗みたいのだろう。 当時の燈油の実情ははっきりしている訳ではないが、灯りをつけていたのだから特別高貴な貴重品扱いだったとは思えないからである。 使われている可能性がある油種は以下の3つ。 ○榛 本邦油史では、神功皇后が211年に、遠里小野@住吉で搾油し、住吉大明神神事の燈明油に、と書かれるのが普通。 (奈文研紀要に、大蔵永常:「製油録」、衢重兵衛:「搾油濫觴」にはそのような記述は見つからないとの報告がなされているそうだが、社会的に訂正されてはいない。) 産業史的には、遠里小野は、その後の菜種油で成功した方がインパクトが大きかろう。この地は、古くの地形からすれ漁村が近いから、もともとは燈明用の魚脂製造販売をしていたのではないかと思う。時代に合わせて、榛油、菜種油へと変えて来たのだろう。 ○荏胡麻 離宮八幡宮/河陽宮故址@859年山崎天山南麓西国道沿いの神官が大量生産可能な搾油器を発明とされ、"油祖"と号されたようだ。その後"油座"の認可が下りているが、かなり後世のようである。 尚、荏胡麻自体は、古くから半島からの帰化人が栽培していた筈である。 ○椿 正暦の頃[990〜995年]に油が売り歩かれ、長谷寺の灯明にも用いられたと記載されていることが多い。 (尚、藤原実資:「小右記」@大日本古記録を摂関期古記録DBの椿・油KW検索しても、該当箇所は見つからず。) 都では荏胡麻油が大量に出回っていたと考えるのが自然。しかし、伝統の榛油を大事にしたいと考える人もいたと思われる。そうなると、宮中の中枢部での燈油だけは、榛油が使われていた可能性もありそう。単なる燈油が欲しいなら、油瓶などそんじょそこらにあるのだから、なにもこんな場所に入り込む必要などなかろうし。 他愛も無い話で粗筋不要とも思ったが、一応書いておこう。 【本朝世俗部】巻二十七本朝 付霊鬼(変化/怪異譚) ●[巻二十七#10]仁寿殿台代御灯油取物来語 時は延喜[醍醐天皇代]。仁寿殿の御燈油を真夜中に盗む者がいた。 紫宸殿のほうへ逃げて行くのだが これが頻発。 天皇は見捨てておけぬと仰せに。 侍の家系ではないが、源公忠が 正体を明らかにする役割を拝命。 そこで、夜、源公忠は仁寿殿に隠れていた。 怪しい者が現れ、 燈油を盗んで逃げて来たので すかさず飛びつき捕まで足蹴を入れた。 自分の足の爪が剥がれる程の蹴りだったので、 相手も血を流していた。 夜が明けて見てみると、 血の跡は紫宸殿に点々と。 さらに紫宸殿の塗籠の間には血が流れていた。 血以外はなにもなかった。 それ以来、この物の怪は現れなくなった。 面白いのは、鬼と見なして当然なのに、物の怪としている一方で、この盗みよりつまらぬモノ取りが鬼の仕業とされている点。 皆が、勝手に鬼の仕業としているだけのことですナという評価ともとれる。 ●[巻二十七#12]於朱雀院被取餌袋菓子語 六条院左大臣 源重信[922-995年 敦実親王四男] 方違で朱雀院で一晩過ごすことに。 仕えている滝口の侍 石見守 藤原頼信に 先に行き待っているようにと命じた。 (不詳の人物だが、存在しているようだ本人が言ったのならそうなのだろう。 しかし、滝口の侍。 987年左兵衛少尉任官の源頼信[968-1048年]を言った可能性はどうなのだろう。 ずっと後のことだが、1019年に石見守に。) その際、頼信に、 交ぜ菓子を、大きな餌袋にはちきれんばかりに入れ、 緋の組紐で袋の上を強く封結し、 持って行き置いておけ、と。 頼信は下部に持たせて朱雀院に向かった。 着いてから、 東の対の南面に場所をこしらえ、 灯火も用意したが大臣はなかなかお出でにならない。 遅いので待ちかね 弓・胡簶を傍らに立て、餌袋を抱えていたが 眠気に襲われて、寄りかかって臥せ寝してしまった。 大臣到着もわからず寝入っていたところ 大臣が揺り起こされ、驚いて目を覚ます。 慌ててとまどいながらも、 剣を差し、弓・胡簶を取り外に出たのである。 その後、諸々の家出身の公達が大臣の前に集り 徒然なるままに過ごしていたのだが 餌袋を取寄せて開けてみた。 どころが、その中にはなに一つ入っていなり。 そこで、頼信を召して問うと、 頼信は申し上げたのである。 「悪きことなきよう目配りせよ、と仕っており 餌袋から目を離しておりましたなら 人に取られてしまうこともございましょう。 餌袋を給わりましてから、 殿の下部に持たせましたが、 来る迄の途中、目を離したことはございません。 到着してからは、このように抱えており 中の物を失うことは考えられません。 そうなると、自分が寝込んでいた時に 鬼が取ったのでございましょう。」 これを聞いて皆恐れて騒いだ。 ご教訓の通り、稀有の事。 常識的には、中身が無くなれば、袋の嵩も重さも大きく変るから感づかない訳があるまい。滝口の侍による、周到な袋の入れ替えかも。 そんなことまでする意味がどこにあるのかということになるが、上層の貴族達を驚かせることを狙ったと見るのが自然。 いかにも、鬼などに動じない侍ですゾと言いたげな言い回しをしていることだし。もちろん狸寝入りである。 従って、ここでは、なにがなんでも鬼の仕業でなければならないのである。 (C) 2019 RandDManagement.com →HOME |