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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.12.5] ■■■
[158] 仔を護った牛の"お話"
🐄🐄農家に飼われている牛の"お話"である。

たびたび「酉陽雑俎」と比較しているが、ここでも、まずそこらから。

「酉陽雑俎」では、情報の出典がはっきり示される。例えば、"私が○○出身の我が家の奴から聞いた"という具合。これだけで、この情報のバックグラウンドがだいたいのところ想像がつくようになっている。
一方、「今昔物語集」は出典を明らかにしないところが独特である。つまり、その情報のバックグラウンドは読者が勝手に想像せよということ。

そういう意味で、この牛譚をどう読むかは、「今昔物語集」全体をどう読むべきかに繋がるほど重要になってくる。

こんな説明ではわかりずらいか。

この譚だが、出典が書かれていないと言っても、書いてあると考える人もいるかも知れないからだ。
末尾に、
 "其の辺なる者の聞き継て"と書いてある。

コレ、全く無意味な記述。この譚の場合、これでは情報のバックグラウンドが皆目わからないからだ。
こんな調子で全編書いているとしたら、手元にある書などから、お気軽に沢山の話を脈絡なく集め、そこから個人的におもしろそうなのを選択し、ただ整理しただけの大部書ということになる。話のタネ本を提供したかったので、作ってみたら、こうなったというにすぎない。整理は大変だし、形式を揃えたり、読み易くするのも簡単ではないから、編纂者のレベルは高いだろうがそれだけのこと。
エスプリなどどこにも期待できぬ凡庸な書ということになろう。

そう見ることもできるが、「酉陽雑俎」でわかるように、そんな風に見えるようにして政治リスクを避けていると考えることもできる訳である。小生はそのような書と考えている訳だが、こと、この"お話"だけはそのような方針が貫徹されていないので、注目せざるを得ないのである。
仏教サロンでは、この"お話"はこういうことで書かれている訳だネ、・・・という調子での談義が難しく、インテリ用読み物としては屑籠行にしかならないのだ。
扱っている事件ではっきりしていることは2つしかないからである。
1つ目は、仔を連れた母牛を小屋に入れるのを忘れて一晩外に出しっぱなしにしていた。
2つ目は、朝、大きな狼が牛の角でやられて死んでいた。

おわかりだろうが、上記2点以外は誰も目撃していないのであり、すべて想像。しかし、誰だって。油断していた隙を狙われたので大きな狼が一撃を喰らった死んだと見る。従って、例えば、飼い主が状況をこう見たと伝わるのが普通ではあるまいか。、ところが、そうは書いていない。想像の"お話"が伝わっていると書いてあるのだ。
実際に読まないと、ここの違和感はわからないかも知れぬが、この想像、描写が矢鱈に細かい。まるで眼前で起きているかのよう。芥川龍之介の翻案モノ程でないにしtも良い勝負。完璧な小説に仕立て上げられている。現代の童話作家の小品と言ってもよさそうな出来。

つまり、仏教サロンでは、この"お話"の著者は誰で、どんな考えで何のために作ったのだろうかという弾劾になる筈。だからこその「今昔物語集」だと思うが、この"お話"ではそんな談義が可能な情報を欠いている。
と言うことは、こんな小品を書いて見ましたが、出来はどうかネという例外的なパートと考えることもできなくはないが、それにしてはタネがつまらぬ。

そもそも、角で突く戦意を失っているからこその家畜。野生草食巨体動物なら、それこそライオンが死ぬこともある位の力は発揮できる。従って、狼は十分用心しながら群れで近付き、時間をかけて、牛の集中力を削ぐようにしてから襲うもの。
従って、この場合、群れのリーダーが率先して跳びかかろうとした瞬間、タイミング悪く殺られた可能性が高い。リーダーが死ねば群れはすぐに去っていくもの。
しかし、この"お話"はそうなってはいない。

  【本朝世俗部】巻二十九本朝 付悪行(盗賊譚 動物譚)
  [巻二十九#38]母牛突殺狼語
 奈良の西京辺りに住んでいる下衆が、
 農業のため、仔が一頭いる牝牛を飼っていた。
 秋の頃は、田圃に放しており、
 夕方には、決まって小童部が追い入れていた。
 ところが、ある日のこと、
 家の主人も小童部も、追い入れるのを忘れていた。
 そこで、牝牛は仔を連れて田で草を食んで歩いていた。
 やがて、夕暮れになると、一匹の大きな狼がやって来た。


ここからは目撃者はいないから、100%"お話"なのである。話の筋だけ紹介するつもりなら、この部分は不要である。
つまり、この話はこと細かな小説として流布していることになる。牛飼いが古代から存在していたとは思えないから、古代信仰ではない。地域に自然に生まれる類いの話ではないということ。
 この子を咋おうと思い、付いて廻り始めたのである。
 母牛は子を悲むが故に、
 廻る狼に付いて、子を咋わせまいと
 狼に向かって防いで廻っていた。
 そのうち、狼は、
 片側が築垣の様な所を後ろにして廻るようになってしまった。
 その時、
 母牛は、狼に向かい、
 突然、ハタと寄り突いたのである。
 狼は、その傍らに仰向けなってしまい、
 腹を突き付けられてしまい、
 動けなくなってしまった。
 母牛は、狼をここで放してしまえば
 自分は咋い殺されるしかないと思い、
 力を発揮し、後ろ足を強く踏ん張り
 強く突いていたので、
 狼は堪え切れず死んでしまった。
 牛はそれも知らず、
 狼はまだ生きていると思い
 終夜にわたり、突きながらいて
 秋の夜長踏ん張り立ったままでおり
 子はその傍らに他って泣いていた。


ここで。さらにコーダ的な文章を付けたしてもよいと思うが、そうではなく、実際の状況を記載した文章に戻るのである。説話にしたい訳ではございませんゾと言っているようなもの。上記は想像といっても、十分な根拠が有る推測であるとおことわりを入れている訳だ。
 この牛を飼っている家の隣の小童部だが
 自分の家の牛を追入れようと、田居に行っていた。
 その時、
 狼が牛の廻りに行くのを見たのであるが、
 まだ幼稚なので、
 日が暮れると、自分家の牛だけを追い
 家に返って来てしまい
 その事を何も言わずにいた。
 夜が明け、
 放置した牛の持主、
 夜に負い入れるのを忘れてしまったから
 食われて失ってしまったか、と言うと
 隣家の小童部は
 お宅の御牛は昨日の夜になる前に
 あそこの場所に居り、狼が廻り歩いていたと言う。
 それを聞いた持主、驚いて行ってみると
 牛は大きな狼を片側にに突付けて動かず立っていた。
 そして、子は傍に泣いて臥せていたのである。
 牛の持主が来たのを見て、
 その時になって、牛は狼を放ったのだが
 狼は死んでいた。
 牛の持主はこれを見て、奇異な事と思ったが
 「夜になる前、狼が来て咋おうとしているのを見て、
  この様に角を突付たりだが、
  放せば殺されてしまうと思って、
  終夜放たなかったのだ、と見なせよう。」と。
 そして、この牛を、
 「極めて賢こい奴だ。」と讃め、
 一緒に家に連れて返った。


ただ、小生的には、他のことが気になる。
王者の風格があった狼だが、ついに、いとも容易く飼い牛に殺られてしまうまでに力を落としてしまったのだ。群れで上手に狩する時代は終わりを告げ、いよいよ絶滅の道を直走り。
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