→INDEX ■■■ 今昔物語集の由来 [2019.12.9] ■■■ [162] 尊厳を保つ御臨終 亡夫人や幼くして病死した長女のもとへ旅立つ用意ができているということでの決意。 三男夫妻、孫、一番の親友で僚友でもあった元国務長官に見守られる中で、最期の言葉は長男への電話での「私も君を愛している。」と伝えられる。(CNN) 「今昔物語集」の往生譚でも、尊厳ある臨終を、普通に迎えただけに映るシーンが記載されている。 極楽往生シーンと言えば、瑞祥や奇跡としか思えないことが起きることが多いが、それとは180度逆。 死んだ後、周囲が華々しい往生の様子にして貴ぶのはそれなりに意味あることだが、奇跡などなくても極楽往生するのですゾ、と言いたくて収録したようなもの。従って、沢山並べた往生譚の最初の方に持ってきたのである。流石、・・・ 【本朝仏法部】巻十五本朝 付仏法(僧侶俗人の往生譚) ●[巻十五#_2]元興寺隆海律師往生語 ●[巻十五#_3]東大寺戒壇和上明祐往生語 先ず、戒和上(具足戒受戒担当の三師のうちの首座。釈尊の代役だろう。)の御臨終の方から。 ③《明祐[878-961年]》 東大寺戒壇院の戒和上である明祐は、(加賀出身らしい。) 一生持斎を遵守し、戒律を破ることがなかった。 夜毎に堂に詣で、房に宿する事も無い。 寺の僧は、皆、此れを貴び、限りなく敬っていた。 961年2月に入り、 一両日中、悩まれているご様子で、ご飲食がさっぱり進まない。 すると、告げたのである。 「我、持斎で食する時はもう終わった。 我、臨終も近い。 これに逆らってはいけない。 この二月は寺の恒例仏事も有ることだし "仏事参加を見合わせたい。"と考えており、 なまじっか生きていても、と思う。」 弟子達は、これを聞き、貴く思った。 2月17日夕刻、 弟子達は、阿弥陀経読誦し廻向、 そこで、師は、弟子達に行った。 「汝ら、 そのまま続けて、阿弥陀経を誦するように。 我、只今、流れてきた音楽を聞くておる。」と。 弟子達は、 「只今は、ことさらに音楽など流れてはおりません。 どういうことで、そのようにおっしゃるのでしょう?」と言う。 師は、 「我、心も精神もなにも変わってはいない。 正しく、音楽が流れてくるのだ。」と言う。 弟子達は怪しんだ。 翌朝、明祐和上は、そのお心通り、念仏を唱えながら入滅された。 往生譚ではあるが、見ての通り、奇跡が起こった訳ではない。謹厳実直な人柄を表すかのように、特別なことはなにもせず、この世の最期にすべきことを淡々と進めているだけ。 もちろん、お迎えの使者とか、菩薩ご一行来訪について、一言も語っていない。 当然ながら、周囲から見れば、無上の微妙なる音楽が奏でられているとはとうてい思えない状況。ただ、当人にはしっかりとその音楽が聞こえてくるのである。 老衰で最期まで意識がある場合、様々な幻想が現れることがよくある。思い描いて来た情景が逝く人の眼前に広がることが少なくないと言われており、コレはドンピシャ。 こうして、馴染みの人達に囲まれ、心鎮かに炎が消え入るように息を引き取って行く訳である。 戒律にひたすら忠実な宗教者でなくとも、謙虚な姿勢で生きてきた人々にとっては、そのような形こそ、まさに望んでいる尊厳死と言えよう。 「今昔物語集」編纂者は、そんな情景を是非にも提示しておきかったと思われる。 もう一つの譚でも、浄土教を信ずる者として当たり前の姿勢で死を迎えただけの話に映る。 特別な行為は何もしていないし、周囲も同じような姿勢で御臨終姿を見詰めている。 ただ、死後硬直で指の形が阿弥陀如来の印相になっていることに気付き、貴いお姿と言っているに過ぎまい。聖人として、特別視したいがために尾鰭がついたのではなく、実話であろう。美しき往生の"形"にしようとの意図があるようには思えない。 と言うのは、瑞兆については、一言も触れていないからである。 ②《澄海/隆海[815−886年]》 元興寺 隆海律師の俗姓は清海。 摂津河上の漁師で、17〜18才まで童だった。 摂津講師の薬仁の仏経供養の宿願で、 縁ある元興寺の願暁律師に講に来て頂いた。 その法会当日、見物に行ったのだが、 説教を聞いてたちまち法師になることを決意。 帰宅し大寺の法師になると、父母の了承をとり、 翌日、願暁律師がお返りになる際に 走って付いて行き、決意の程を話し 連れて行ったもらったのである。 出家後は律師に日夜仕え 法文を学んだが、非常に賢い。 学生となり真言密教も学び、 874年に維摩会の講師を勤め、 874年には律師に。 隆海律師はもともと道心が深く 何時も極楽浄土に生まれることを祈願。 臨終に際しては、沐浴し、清浄にしてから、 念仏を唱え、諸経の要文を読誦。 西に向かい端座して入滅。 12月22日のことで、72才だった。 翌朝、弟子が北枕にした際に見ると、 律師の右手は阿弥陀仏の定印を結んでいた。 葬る時もその印は乱れなかった。 これを見聞きした人は貴いと、尊敬の念を新たにした。 (C) 2019 RandDManagement.com →HOME |