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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.12.12] ■■■
[165] 観相家
現代でも、人相学は続いており、手相人相占の宣伝もそこここで見かける。結構よく当たるもの、と語る人もいるようだから、人気があるのかも知れない。
平安京でも評判の人相見がいたようである。

ただ、「今昔物語集」編纂者として、一番気にかかった点は、顔に"死相"がでているとの判断のようである。
確かに、生気を失った顔は見てわかることがありから、どこかで平常心を失いつつある兆候が顔に出ることはありそう、と考えたのかも。
ただ、事故死の予兆が顔に出るというのは、飛躍がありそうにも思えるが、霊的直感で行う占いとはもともとそういうものかも。
【本朝世俗部】巻二十四本朝 付世俗(芸能譚 術譚)
  [巻二十四#21]僧登照相倒朱雀門語
○僧 登照は、人相を見て運命を占うとよく当たると評判。
○ある時、用事で出掛け、朱雀門を通り過ぎた。
 門の下には様々な人々がたむろして休んでいた。
 ふと、人々の顔を見ると、死相が出ている。
 どういう事かといぶかり、原因を考えてみたのである。
 全員が一度に死ぬということなので、
 その答えに気付いた。
 門が倒壊する以外にあり得ないと。
 すぐに、人々に警告し、大声で逃げろ、と。
 すると、
 強風や地震が発生しているのでもないのに
 朱雀門が急に傾き始め、倒壊してしまった。
 言われて、急いで逃げ出した人は命拾いしたが、
 対応しなかった人は門の下敷きになり圧死。


平安京大内裏南門"朱雀門"は989年に倒壊したとの記録があるそうだ。
「伴大納言絵詞」に描かれているが、壇上積基壇、正面横7間奥行2間に階段付5間戸で二重閣瓦葺き建築。その全面は儀式の場でもあったとされる。
風の通り道である大通りの端に直立しているから、強風に弱いのは間違いないが、構造的に目だった欠陥があるようには思えない。ただ、この絵巻の主題である応天門を見てみると、庇に支え柱が立てられている。瓦が重く、庇を支える構造材が堪えられないのだろうが、朱雀門には無いからこの部分の材が強いので下がったりしないということか。と言うことは、そのような無理がもっぱら縦柱にかかっていることになり、柱が弱っている可能性もあろう。要するに、使用している材木の強度に比して、瓦が重過ぎ、庇が長過ぎ、高さの取り過ぎなのである。

後半は、観相ではなく、観奏。笛の音には、古代から魂が籠るとされているから、霊的直感が揺さぶられたのだろう。
○登照は一条辺りの僧坊に住んでいた。
 春の雨が静かに降る夜のこと、
 僧坊前の大路を、笛を吹きながら歩いて行く者がいた。
 そのの笛の音を聞いて、登照は弟子を呼び
 音色から、この先、命が短いようだから
 教えてあげたいと言ったのだが
 生憎と雨足が強いのでできなかった。
 翌日、雨は止み、夕暮れになると同じように笛の音。
 そこで、弟子呼んで来るように命じた。
 やって来たのは若い侍。
 登照は、昨晩は残念だったとの話をしてから、
 今夜の笛の音からすると、命が延びたようです、と。
 そして、昨夜のお勤めを尋ねたのである。
 侍は特別なお勤めはしていないが、
 東にある川崎(観音堂)での普賢講が行なわれていて、
 その迦陀に付けて、夜を徹して笛を吹いてはいましたが、と。
 それを聞いて、
 その功徳で命が延びたに違いないと感激し、
 侍を拝んだのである。
 お蔭で、侍も喜び、有り難がって去っていった。


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