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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.12.20] ■■■
[173] 大胡蜂の襲撃
大胡蜂は漢語だが、平均体長が45mmもある、日本語読み"大雀蜂"の漢字表記でもある。もちろんのことだが、胡に"すずめ"という訓などありえない。

「酉陽雑俎」の作者は動植物の観察眼がとてつもなくすぐれており、博物学的知識があったことがわかるが、同様な書であろうと思われる「今昔物語集」にはそのような雰囲気が全く感じられない。
編纂者は動植物の知識に欠ける、頭でっかちの社会学志向のインテリではないかと思っていたが、そういうことではなさそうである。

かなり深い知識と洞察力が無いと読んでもさっぱり面白くない、攻撃性蜂の話が収録されているからだ。

筋は、一見、トンデモ話だが、それなりの知識があると、そこには紛れもない真実が含まれているのである。
それを読み取る力が期待されていると言えよう。
逆に言えば、この程度がわからないならどの譚を読んでも何も得られませんぜ、と言っているのかも。

  【本朝世俗部】巻二十九本朝 付悪行(盗賊譚 動物譚)
  [巻二十九#36]於鈴香山蜂螫殺盗人語
 都に商売繁盛で大金持ちになった水銀商人がいた。
 毎年、馬百数十頭を引き連れて伊勢に出向いている。
 持っていく荷は、絹・糸・綿・米など。
 ところが、供は、数人の馬追い少年のみ。
 にもかかわらず、盗賊に襲われたことが一度もない。
 伊勢は、誰であろうと強奪したり、
 騙すことが多いことで知られる地というのに。
 この水銀商人だけは例外で、
 護衛がいなくても誰も襲わないのである。
 ところが、鈴鹿山中の80名ばかりの盗賊団だけは違っていた。
 往来する人は誰であろうと、公私の区別なく殺してしまい、
 すべてを奪って来たのである。
 どうにも、手がつけられなかったのである。
 水銀商人は、その盗賊が待ち構えていた所に、
 いつものようにして、女までも引き連れて上ってしまったのである。
 盗賊団は馬鹿者到来と見て
 山中を上下で挟み撃ちにして全てを頂く算段。
 そして威嚇にかかると少年達は逃げさり、
 馬と荷を全て手中にし、女も身ぐるみはがしたのである。
 水銀商人だけは急いで丘の上に逃げることができた。
 浅黄色の打衣に、青黒の打狩袴を着て、
 真綿の入った練色の衣を三枚重ねの姿。菅笠を被っていた。
 盗賊団は、なにもできないだろうということで放置し、
 谷で略奪物品の整理分配に大忙しとなった。
 水銀商人は高い峰に立ち、大空を見上げて、
 「どこだ、どこだ。遅いぞ、遅いぞ。」と大声を張り上げていた。
 1時間ほどすると、大きくて怖ろし気な蜂が飛んで来て
 騒々しい羽音をたててから、側らの高木の枝に止まった。
 水銀商人は、「遅いぞ、遅いぞ。」とさらに言い続けていると、
 上空に二丈位の赤い雲が帯のように突然現れ、
 その長さは果てが分からないほど。
 そうこうするうち、この雲が下降し始めた。
 そして、盗賊達の居る谷に入って行ったのである。
 高木に止まっていた蜂も同じ方向に飛び立っていった。
 雲に見えたのは、無数の、大きな蜂の群れだったのである。
 谷に入ると、蜂は盗賊団に襲いかかった。
 防ぎようもなく、1人が200〜300刺され、全員殺されてしまったのである。
 その後、蜂は飛び去ったので、水銀商人は谷に入った。
 自分の物品はもとより、
 盗賊団が蓄えていた弓、刀、馬、鞍、着物なども手にいれたのである。
 こうして帰京したので、益々、富を増やすことになった。
 水銀商人は、家では酒を造って、蜂に呑ませて養っていたという。


そこで、蜂の話から。

大雀蜂は確かに恐ろしい存在。かなり凶暴であり、現代日本でも、毎年、少なくとも2桁の死者が出ている筈だ。縞模様が目立つ大きな蜂なので、その存在はすぐにわかるから、もう少しその生態に興味を持つ人がいてもおかしくないが実態は逆のようである。従って、上記譚はコリャナンナンダ、馬鹿げているとしか読めまい。
しかし、古代、大雀蜂の巣を取ろうと考える人がいなかった訳がない。小生は、それこそ飼っている人さえいたと見る。それは難しいと思うのは我々に知識が無いからで、造巣に適した場所を提供し、女王一匹をすまわせれば可能だからだ。
コレ、決して突拍子もない想像話ではない。現代中国では、大胡蜂の室内養蜂商売が存在しているからだ。

ちなみに、日本蜜蜂の養蜂も山では古代から普通に行われていた。(拙宅は日本蜜蜂品を使っているが、養蜂方法は記載されていないから西洋蜜蜂と同じなのだろう。)知識さえあれば、難しい訳ではないから当然のこと。・・・巣として空洞枯れ木を提供するだけ。最適な蜂用穴を作り、それ以外の穴を塞いだものを、林の様々な場所に数多く置くだけ。もちろん、蜂が選びそうな樹種と材質に関する知識と、置く場所の目利き力がなければ、成功はおぼつかない訳である。
これだけでお分かりになると思うが、山林地区では、蜂に関する知識は豊富だったのである。
【参考】大胡蜂の類縁に、土中に営巣する黒胡蜂がいる。普通は、"地蜂"と呼ばれ、蜂の子缶詰が売られており、養蜂業者が古くから存在していたと見てよかろう。郷土食とされるものの、絶品と見なす人も少なくない。当然ながら、大雀蜂も日本蜜蜂も食用にされる。尚、体形が全く異なる似我蜂/ジガバチも刺すので怖がられるが、追いかけ回すからで、本来的には攻撃性は低い。

さて、大雀蜂だが、現代のイメージとしては里山〜ハイキングコースが危険地帯となるだろう。従って、棲み着く場所はもっぱら人家の壁間や、樹木の洞と思われている。
しかし、そこらの巣の密度は実は低い。長距離飛行が得意な種であるし、婚姻の都合もあるので、とてつもない数が密集する地域が存在していたのである。それが水銀鉱山域。巣は巨大であり、1m近いものもあったと思われる。
その地には、村雀のように大勢の鉱夫がいたが、雀蜂の巣の数も半端なものではなかったと見てよかろう。当然ながら、鉱夫の綽名も"雀蜂"だった筈。

換言すれば、鉱夫は別格の存在だったということ。伊勢国の経済を支える最重要産品であるから当たり前であり、彼らから水銀事業の邪魔者とみなされれば些細であっても即刻鉄槌を下される。従って、護衛無しの訪問者を襲う馬鹿者が出る筈がないのである。下手人が出れば、村全体を抹消されかねないからだ。
(日本人が夜道を歩いていても"絶対的に"安全だった珍しい外国があることを覚えている人もいよう。その風土を絶賛する人だらけだったので、忘れられぬ。訪問者と問題を起こせば有無を言わさず処刑され、発生場所の人々もたとえ無関係でも連座となり、即刻、なんらかの重刑が下されるからそうなっているだけなのだが。軍事独裁国とはそういうもの。公言しないだけで、現地では常識。)

マ、この辺りは背景理解のレベル。

この譚では、昆虫の生態についての洞察力も鋭いものがある。
雀蜂の最大の天敵は巣を狙う熊であり、黒色の動く塊にはすぐに襲ってくる。ともあれ、側に動く暖かいモノがあるととりあえず一匹が止まって刺すことも多い。その辺りは誰でも知っており、それに対処できる服装をしているか否かは重要なのである。
話の筋に無関係に、唐突に水銀商人の出で立ち姿が記述されているが、そういう意味で着衣の様子が語られていると見るべきだろう。つまり、雀蜂勢力のご一行ですゾ、と誇示しているということ。

さらに、雀蜂が大群で襲うプロセスについてもよくわかっているから驚きである。
巣には少数だが、必ず警護巡回役がいる。熊襲来と判断すれば即刻大騒ぎするし、おかしな動きをしている生物がいれば、とりあえず刺しに行く。
後者の場合、その蜂を叩いたりすると、巣から次々と助勢が登場し刺しに来る。場合によっては突然大群が襲って来たりも。その仕組みはかなり解明されていて、危険を知らせるための化学物質を放出することで仲間がやってくるのである。つまり、理屈から言えば、この物質があれば、雀蜂を呼び寄せて襲わせることはいとも簡単ということになる。
さらに、遠距離飛行でも同様なメカニズムが使われていそう。単独で餌探しをしていて魅力的な場所を発見したとなると仲間を呼んでくるのが集団生活型蜂族の基本能力だが、距離的に、雀蜂は飛びぬけているのだ。さらに、餌の魅力度で集まる数が大幅に違っており、大群になることもママあるそうだ。
その距離は、1里レベルは当たり前だったようだ。と言うのは、現代では忘れ去られているだろうが、里山の子供は、やって来た大きめの雀蜂を捕獲し、綿布を付けて逃がし、巣を見つける遊びに興じていたことが知られているからだ。

・・・この様な生態について知らないと描けないシーンが並んでいると見てよかろう。

最後に、水銀商人が都で蜂を専用酒で飼う話が記載されているが、おとなしい日本蜜蜂か。花が欠乏している時は、リッチな糖化澱粉液を与えたのだろう。砂糖が存在していなかった時代である。
・・・としたいところだが一貫性を欠く解釈になってしまう。日本蜜蜂は酒には関心を示さないし。大雀蜂捕獲器では焼酎を使用しており、ママ受け取るべきだろう。すでに述べたように飼えない訳ではないのだから。
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