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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.12.28] ■■■
[181] 金剛般若経
「金剛般若経」には、現存6漢訳があり、代表的なのは鳩摩羅什[訳]:「金剛般若波羅蜜経」402年だが、玄奘[訳]:「大般若経/大般若波羅蜜多経第九会能断金剛分[577巻] 660年もある。註疏の類はどれだけあるのかわからないほど。

泰山には焚書対抗と思われる磨崖大字石経が残っているほどで、中華帝国では仏教経典といえばコレという存在だったのではなかろうか。
「酉陽雑俎」でも"金剛經鳩異"巻が作られているほど。[→]
おそらく、著者の段成式も、父から受け継いだ、読誦日課の習慣が身に付いていたと思われる。

いかに、金剛般若経が重視されたかがわかる霊験譚が収載されている。
目が見えなくなったなら、お薬師様への御祈願になりそうに思うが、当の薬師寺の僧が、寺僧を集めて金剛般若経を転読させるのだから。
  【本朝仏法部】巻十四本朝 付仏法(法華経の霊験譚)
  [巻十四#33]僧長義依金剛般若験開盲語
 長義は奈良の右京の薬師寺に長年住してきた僧侶。
 772年、突然にして目が見えなくなった。
 日夜に渡り、歎き悲しみ、医師を招請して薬で治療すれども
 効果は顕れずに、5か月経ってしまった。
 それで、長義が思ったのは、
 「前世の悪因に依って盲と成ったのだろう。
  それなら、般若経を転読し、悪業を滅するしかあるまい。」
 数多くの僧を招請し、三日三晩、金剛般若経を転読させ、
 心の底から罪業を懺悔したのである。
 そうして、三日目になると、たちまちにして両目が明るくなり、
 本を読む様に、物が見えてきた。
 長義は泣々く喜び、般若経の験力を、心新たにして深く信じ、
 さらに、心を発し、読誦し恭敬し奉ったのである。
 寺僧達もこれを聞いて際限なく貴んだのである。

【コメント】は"前世の罪業を滅する事は、金剛般若経に過たるは無し。"である。
ここでの盲目は、物理的な肉眼ではなく、法眼と考えるべきだろう。突然にして、慧眼を失ったことを感じたという話と違うか。

次は、僧 壱演/諡号:慈済[803-867年]の話。
居住地を定めなかったようだが、藤原良房がパトロンとなり、866年に相応寺を建立し、翌年船上で入滅し、供養が薬師寺で行われたとの伝がある。
  [巻十四#34]壱演僧正誦金剛般若施霊験語
〇奈良の西京内舎人大中臣 正棟は
 道心を発して出家。
 池辺の宮の弟子として渡唐。
 真言を受習し、法の修行も優秀。
 帰朝後、山崎の相応寺に住し、
 真言の行法を修し、
 日夜、金剛般若経読誦。
 そうこうする間に、
 僧 壱演として、尊崇され名声を得た。
 薬師寺東の唐院を根拠地とされた。
〇水尾天皇代。
 隼が、仁寿殿の庇の上の長押に巣を作ってしまった。
 天皇は、これに驚き怪しんだので、
 止事無き陰陽師達が召されて吉凶判断。
 占の結果が、深く慎む要あり、と上申された。
 天皇は大変にお恐れなさり、
 方々で御祈祷なさったが、その験が無いままで、
 さらに慎み怖れなさる一方。
 そんな時、
 奏上した人がおり、
 「山崎の相応寺の壱演聖人は、
  年来住しており、日夜、金剛般若経を読誦されております。
  現世の名利から離れ、後世の菩提を願われているお方。
  ご祈祷に召せば、必ずや、霊験が得られましょう。」と。
 しからば、召すようにとの仰せがあり、
 使者が遣わされた。
 仁寿殿に召し上げ、
 隼が巣を作っている間で金剛般若経を転読させた。
 4〜5巻ほど誦したところ、
 途端に、40〜50の隼が外から飛んで来て、
 隼毎に巣を作って飛び去ってしまった。
 天皇は壱演に礼し、貴んだのである。
 壱演聖人は褒賞を固辞して返って行った。
〇天皇母方の祖父、白川太政大臣はご老体で、
 重病を患ってお過ごしだったので、
 方々から御祈祷が行われた。
 就中、貴きと思える止事無き僧達も召され、
 殊更、祈祷が行われたもの、露ほども験が無い。
 ということで、以前の隼の件を思いだされて、
 壱演が召された。
 大臣の御枕上で、金剛般若経読誦。
 数巻にならないうちに、
 大臣の御病が治癒したのである。
 天皇は、いよいよ壱演を貴ぶように。
 そこで、権僧正位が授与され
 世を挙げて、帰依するまでに。

【コメント】は、一般的に言われていることで、さっぱり面白くない。
  金剛般若経は罪業を滅し給ふ。
  然れば、罪を滅して徳を得る事此如し。


"金剛經鳩異"的な話であればこちらだろう。
  【震旦部】巻七震旦 付仏法(大般若経・法華経の功徳/霊験譚)
  [巻七#_9]震旦宝室寺法蔵誦持金剛般若得活語

何気ない話だが、并州大巌寺を出て石壁山南の玄中寺に移った中国浄土教の開祖曇鸞を暗示しているのかと思ったりもする。ただ、その場合は「観無量寿経」の話になるだろうが。・・・
  [巻七#10]震旦并州石壁寺鴿聞金剛般若経生人語
 中国并州 石壁寺の老僧の話。
 若い頃から悪行を犯す事無し。
 常に法華経と金剛般若経読誦。怠る事無し。
 ある時、老僧の住む僧房の軒の上に鳩が来て巣作り。
 二羽の雛鳥が産まれた。
 老僧は鳩達を哀れんで、食事を分けて食べさせていた。
 雛は成長し、羽の力が十分でないのに、巣から飛び立ってしまった。
 そのため、地面に落ちて死んでしまい、老僧は嘆き悲しんだ。
 そいて、亡骸を丁寧に埋葬したのである。
 3月ほどしてから、老僧の夢に二人の子供が出現。
 「私達は前世で罪を犯したので鳩の子として生まれました。
  聖人様お住みの僧房の軒で暮らしており
  養って頂き成長できましたが、巣立ちで落下死してしまいました。
  しかし、聖人様の法華経と金剛般若経読誦を聞いておりましたので、
  その功徳で、人間に転生できることに。
  ということで、10里ほどの向こうの家に生まれます。」
 それから十月。
 老僧は夢を確かめようと向かった。
 辺りの人に尋ねると、その家には若い女がおり、
 正しく、その時に双子を産んだ生んだと。
 その家を訪問し、訪れると、確かに二人の幼い男の子がいた。
 そこで、夢の通りかと尋ねると、二人は頷いた。
 老僧はこの事を家の者達に語り、
 今後も訪問すると約束したのである。


次は、法華経 v.s. 金剛般若経の創作譚に映るような記述にしてあるお話。「人、慢の心をば止むべき也」との一般的ご教訓で〆ているものの、大乗の精神の発揮方法について考えた方がよいとの主張だろう。
  【本朝仏法部】巻十三本朝 付仏法(法華経持経・読誦の功徳)
  [巻十三#41]法花経金剛般若経二人持者語
 山寺に二人の聖人。
 法華経を受持するを持法聖人と金剛般若経を受持する持金聖人。
 二人は同じ山ではあるが、2〜3町ほど離れて庵を建造して住んでいた。
 道心を発し、俗世間を厭って、仏道修行に邁進。
 持金聖人は般若の霊験を顕し、自然に食事が出てくるため、
 食に思い煩うこともなく過ごしていた。
 持法聖人はもっぱら檀家の訪問に頼っていたので豊かではなかった。
 その結果、
 持金聖人は慢な態度になり、
 「私の場合、
  受持しているお経の霊験威力は大きく、
  それに加えて、徳行も優れているから、
  諸天や護法の神々が食事をお送り下さり、
  昼夜に渡り守護して頂ける。
  一方、かの法華経の聖人と言えば、
  受持しているお経の霊験威力は劣っており、
 徳行も浅い。
  従って、護法供養にもあずかれない。」と考えていた。
 こんな風に、何時も、持法聖人を謗っていたのである。
 ある時、
 持法聖人の童子が持金聖人の庵に行った。
 すると、持金聖人は自分の霊験や徳行の優れていることを語り、
 「汝の師には、どんな徳行があるのか?」と尋ねた。
 童子は、
 「師には特別霊験はありません。
  ただただ、ご訪問頂くことでお過ごしになられています。」と答えた。
 童子は師の庵に戻ってから、この事を話したところ、
 師は、
 「その通りであり、もっともだ。」と言った。
 その後、日が経ち、
 持金聖人に2〜3日続けて食事が届かなかった。
 日暮れというのに、食べることができず、
 大変に怪しみ、般若須菩提等を大いに恨んだ。
 その夜のこと。
 持金聖人の夢に、
 右肩肌脱ぎの老僧が出現し、告げた。
 「我は須菩提。
  汝は金剛般若経を受持し奉っているが、
  未だ般若の真理に到達していない。
  だから、諸天は供養を送らなかったのだ。
  それなのに、不誠実にも、恨むのか?」と。
 持金、これを聞いて、
 「すると、いったい誰が、
 長年、私に供養して下さったのでしょう?」と問う。
 老僧は、
 「それは、法華経受持者の持法聖人が送った食事だ。
  かの聖人は慈悲の心で汝を哀れんで、
  十羅刹女を使って、呪願の施食を毎日送っていたのだ。
  汝は、愚かで、慢な心を起こしてしまい、
  常に、かの聖を謗ってきた。
  速やかに、聖のもとに行き、その罪を懺悔せよ。がよい」と。
 そこで夢から覚めた持金は、長年の態度を悔い悲しみ、
 持法聖人の庵に行き、礼拝して言った。
 「私は、愚かなる心で、聖人を誹謗しておりました。
  願わくば、この咎をお許し頂きたく。
  それと、
  毎日、施食をお送り下さっていたのに、
  この3日に渡り、何故、お送りなさらなかったのでしょうか?」
 持法聖は笑いながら、
 「私は忘れていて、施食を取らなかったので、
  十羅刹女に申し付けなかっただけのこと。」と言った。
 そうすると、即時、童子が出現し、食を調えて供養。
 持金が庵に戻ると、以前のように食物が送られてきた。
 持金はその後はずっと、慢心を止め、持法聖人に従うようになった。
 二人の聖は、共に、
 命を終えるに臨んでは聖衆が御来訪され、浄土に往生された。


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