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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.1.1] ■■■
[185] 烏帽子道化
摂政関白太政大臣・藤原兼家の妻である、母に溺愛されて育った息子、藤原道綱[955-1020年]は大納言ではあるが、異母兄弟(道隆・道兼・道長)に比べて昇進はえらく遅れた。

東宮傅を勤めているのだから、それなりの学識はあった筈だが、藤原実資から表だって一文不通と評されており、大臣の器ではなかったようだ。
政治力発揮にうとく、おっとりした性格なのだろう。
家風もそれに合わせたもので、楽し気な雰囲気が漂っていたようだ。財力がある源頼光の女婿として、一条邸に住していたからでもあろう。

話は、烏帽子をタネにしたお道化なので、社会の実情がわからないと、どの辺りに可笑しさがあるのかわかりにくい。ただ、人前で被り物をしないのは無様との通念があるのははっきりしており、烏帽子の微妙な形の違いも格を示している可能性もありそうで、その辺りがくすぐりに用いられていそうな感じがする。

この場合、大納言の私用の烏帽子であり、公家だから、見ればわかるピンと立った目立つ形の筈。それを被って公家的な独特のもったいぶった歩き方を披露したのだろう。
神事や仏事に正式に参与する時にも被り物を着用させられ、同じようにもったいぶって歩くことになるから、それを揶揄したので、より一層の笑を誘ったという事では。
  【本朝世俗部】巻二十八本朝 付世俗(滑稽譚)
  [巻二十八#43]傅大納言得烏帽子侍語
 傅の大納言、藤原道綱の屋敷は一条にあった。
 そこに、冗談が上手で剽軽者として評判が高い侍がいた。
 通称名内藤。
 ある日、内藤が邸宅で、夜、眠ていると、
 烏帽子を鼠が咥えて行き、食い破ってしまった。
 代替烏帽子など持っていなくいし
 烏帽子無しで出ても格好悪いので
 宿直部屋に籠って、袖で顔を覆っていた。
 主人がそのことをお聞き及びになり、
 「可哀想なことだ。」と仰せになり、
 御自分の烏帽子を出して、
 「これを渡すように。」と。
 内藤、帽子を頂戴し、
 被って部屋から出てきのだが、
 他の侍達に、
 「おのおの方、
  これが目に入らぬか。
  寺冠と社冠を手に入れて有り難がるものではないぞ。
  頂いて被るなら、
  一の大納言様がお召しになった烏帽子であるぞ。」と、
 首を上に突き出し、得意満面になって、
 両袖を掻き合わせて歩き回った。
 それを見て、周りの侍達は爆笑の渦。


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