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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.1.2] ■■■
[186] "禿頭に冠"で大爆笑
清原元輔[908-990年]は三十六歌仙の一人で、撰和歌所寄人でもあった。清少納言の父である。
   心変はりて侍りける女に、人に代はりて
  契りきな 肩身に袖を 搾りつつ
   末の松山 浪越さじとは
 [「後拾遺」#770 「小倉百人一首」#42]

滑稽を楽しむと言うより、洒脱さを愛した人であろう。
「今昔物語集」編纂者は、元輔こそ「枕草子」の生みの親と感じたのではなかろうか。

おそらく頭の回転が速く、アドリブ的になんでも口にしたのだろう。歌も、じっくり練らずに、口まかせにいくらでも詠めるタイプ。

さて、冠だが、紐で止めて被るものではなく、結った鬢の毛を入れて止める構造になっている。
そのため、清原元輔、落馬した拍子に、冠が外れてしまった。お蔭で、剥げ頭を露出してしまったのである。普通なら、ここで嘲笑を浴びるところだが、ゴタゴタと大真面目にそうなった理由を説明して回ったので、皆、黙ってじっと聞かされた訳である。従って、それが終わると、ご苦労さんでしたということで皆大爆笑の図。
機知発揮を愉しんでいることがわかる話だ。
  【本朝世俗部】巻二十八本朝 付世俗(滑稽譚)
  [巻二十八#_6]歌読元輔賀茂祭渡一条大路語
 清原元輔は歌詠み。
 内蔵寮次官になり、賀茂祭の奉幣使を務めることに。
 一条大路を通っているときのこと。
 若い殿上人が車を沢山並べて見物している所に入った。
 元輔は唐鞍を付けて美しく飾った馬に乗っていたが、
 馬がつまずいたので、頭から落ちてしまった。
 見物人達は、老人の落馬なので同情していたが
 元輔は素早く起きあがったのである。
 しかし、冠は落ちたので、髷は無く、禿頭が露出してしまった。
 まるで瓷を被っているかのような姿。
 そこで、馬付は、慌てて冠を拾って手渡そうとした。
 ところが、元輔は受け取らず、後ろ手で制したのである。
 「バタバタするでない。 少し待て。
  公達に申し上げることがある。」と言い、
 殿上人の車に歩み寄った。
 夕日が射していたので、禿頭は"鑭鑭"。極めて見苦しい。
 大路の者は黒山のようになり、
 走り廻ったりして、騒いでいる。
 車や桟敷の者も背伸びして大笑い。
 そうこうする間に、
 元輔は車に歩み寄って、
 「公達の方々は、
  元輔が落馬し冠を落としたのを見て、
  嗚呼者とお思いになられるか。
  それは思い違いである。
  細心の注意を払う人でも、
  物に躓いて転ぶことはあうからだ。
  ましてや、馬のこと。そんな心がけある訳がない。
  さらに、この大路は石が飛出ている。
  手綱を引いているから、馬は思う方に歩めない。
  引いてしまったから、転んでしまったのだ。
  こちらの非で倒れたのであり、馬が悪いと思うべきではない。
  そもそも、石に躓いて倒れる馬をどうにかできる訳がない。
  唐鞍は盤のようにできていて、物をつかまえようがない。
  それに、ひどく躓いたから、落馬したまでのこと。
  これ又、なにも悪い点はない。
  冠が落ちたが、紐で結わえている訳ではなく、
  単に髪を十分に掻入して止めているだけ。
  なのに、髪は失われていて、露ほども止める力がない。
  ということで、落ちた冠を恨む筋合いでもない。
  それに、このような例が無い訳でもない。
  大嘗会の御禊ぎの日に落とされた大臣がおられる。
  その年の野の行幸で、中納言も落とされた。
  祭から返る日に紫野で落とされた中将も。
  こんな調子で、例は数えられないほど。
  そんなこともご存知ない最近の若君達は
  これを笑うべきではありませぬぞ。
  笑っておられる方々こそ、嗚呼者なのですそ。」と述べ
 車一台づつに向かって、指折り数えて言い聞かせたのである。
 言い終わると、遠くに立ち去り、大路に棒立ちになって、
 「冠を持って来るように。」と大声を出した。
 そして、冠を受け取り、指を入れ、頭に乗せた。
 その瞬間、見ていた人々は、皆同じ気分になり、大爆笑。
 冠を持って来た馬付は、
 「落馬時に、御冠をお付けにならず、
  無碍に、意味なきことを、延々と仰せになりましのは、
  どうしてでしょう?」
 と尋ねた。
 元輔は、
 「愚かなことを言うでない。
  このように道理を言い聞かせたからこそ、
  後々、公達から笑われずに済むのだ。
  こうまでもしないと、口さがない公達は、
  永久に笑いの種にするもの。」と言い、
 通って行ったのである。


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