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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.1.6] ■■■
[190] 荒巻鯛
食事のヘンテコ話の典型を取り上げておこう。
ゴマすり男による鯛のおもてなし料理になるところだったが、そうは問屋が卸さないというストーリー。

話は実に詳しい。
確かに、粗々の筋だけ読まされても、つまらぬし、意味もよく伝わらないかも。
様々な小細工を弄する、つまらぬ小役人の実態を見せない限りは、如何にそのような輩が周囲から軽蔑されていそうかの実感は湧くまい。
マ、世の中、そういう人々だらけ。それに、そうした茶坊主を持つことが嬉しい下層官人も大勢いるのである。

  【本朝世俗部】巻二十八本朝 付世俗(滑稽譚)
  [巻二十八#30]左京属紀茂経鯛荒巻進大夫語
 旧態依然といった姿勢の、左京大夫職の年老いた君達がいたが
 殊更、何処かへ行くでもなく、京の下辺にある家に籠居状態だったが
 同じ職務の、長岳に住んでいる紀茂経が、
 時に機嫌窺いに訪問していた。
 宇治殿[藤原頼道]全盛期のことだが、
 紀茂経が参上し贄殿に居た。
 すると、淡路の守源頼親朝臣から、
 鯛の荒巻が沢山奉納されて来た。
 贄殿に取置きになったが、
預役の義澄に頼み込んで、3巻だけ頂戴した。
 「さて、これを、当職の大夫に奉じ、ゴマすりするか。」と言い、
 荒巻を、間木に並べ、義澄に
 「この3巻、取りに遣らすので、その時に渡してくれ。」と言い置き、
 贄殿を出て、左京大夫の家へ行くと、客が2〜3人来ていた。
 大夫は、主として御もてなしすべく考えたが、
 時は9月下旬なので、地火炉に火をおこし、食事をと考えたが、
 たいした魚もなく。鯉か鳥等でも用立てたいと思っていた。
 そこで、茂経は乗って出て、
 「摂津から下人が持って来た鯛の荒巻4〜5巻が、
  今朝、手元に届きました。
  うち、1〜2巻を宿の童部と一緒に食べて見ましたが、
  色気があって微妙く新鮮そのものでした。
  残り3巻は手をつけず置いてございます。
  急いで参上し、下人も揃わず、持って参れませんでしたが、
  只今、取りに遣わそうと存知ますが、
  如何いたしましょう?」
 大きな声で、背を伸ばし、したり顔をし、
 威張った風情で、口を結び、
 袖つくろいをして、背伸びし、申し上げたのである。
 「しかるべき物が無かった所で、素晴らしきこと。
  疾く取りに使わせ。」との返事。
 客人達も、それは今の季節極上品だと、合わせる。
 と言うことで、
 早速に、馬を引いている童を呼び、
 馬を繋いでから、殿の贄殿まで走って取りに行けと
 皆に聞こえないようにして、命じた。
 そして、「走れ、走れ」と、手を振って急がせた。
 戻ってから、今度は大声で
 「俎板を洗って持って来い。
  今日の包丁は、茂経が司どろう。」と言い、
 魚箸を削り、鞘から包丁を取出してて刃を研ぎ、
 「遅いぞ。遅いぞ。遅いそ。」と言っていると
 遣った童が、急いでやって来た。
 木の枝に荒巻3巻を結い付け、捧げ持って走って来たのである。
 「哀なり 飛ぶが如きに 詣り来たりし 童かな。」などと言い。
 俎板の上に荒巻を置き、あたかも大鯉を調理するように、
 左右の袖をたくし上げ、片膝を立て、もう一方の片膝は臥せ、
 居ずまいを正し、少しわきへ寄って、
 荒巻の縄を刃でふつふつと押切った。
 すると、どこから諸々の物がこぼれ落ちて来た。
 破れた平足駄、古く擦り切れたボロ、切れた古い藁沓と言った物が、
 ほろほろとこぼれ出てきたのである。
 これを目にした茂経、あきれ、
 魚箸も刀も打ち棄てて立ち上がり、走って、沓も履かず逃げ去った。
 左京大夫も、客人達も、奇異で、目口を開けたまま呆然。
 前に居た侍達も、余りのあさましさで、声も出ない。
 酒食遊興は無くなり、
 皆、冷え切った気分で、バラバラに去っていったのである。

話はここで終わらない。
 左京大夫は、
 「あの輩は、もともと、なんとも言い難き素っ頓狂狂と知てはいたが、
  官としては上司であるし、常に、挨拶に来るので、
  良しとは思ってはいなかったが、追い払うことでもないので、
  只、来れば、来たなと見ていただけ。
  それにもかかわらず、この様だ。
  図りごととは、全く、どうしてやろうか。
  それにしても、物悪き身だと、はかなき事でもこうなってしまう。
  世間では、これを聞き継ぎ、お笑い種にし、末代迄語るのか。」
 と言い、空を仰いで
 「老のさ迷い、酷き態かな。」と際限なく歎いたのである。

もちろん、逃げ去った茂経がどう対処したかも、書いてある。
 茂経は、走り出てから馬に乗り、贄殿に馳せ参じた。
 そして、義澄に会って
 「あの荒巻を惜しいと思ったなら、断ればよかったではないか。
  このような態をなさるとは、余りに情け無い。」
 と嘆き、恨み事を恨み事を延々と言う。
 それに対し、義澄は、
 「何をおっしゃいます。
  義澄は、荒巻をそこに奉納致しましたところ、
  用事ができまして、
 にわかに家へと去らねばならなくなったのでございます。
  そこで、従者に申し置きました。
   "左京の属主のもとより、
    この荒巻を取りに人が派遣されて来るから、
    その使に取らせるように。"と。
  そして、只今、私は戻って来た次第なのです。」と。
 事情を知らないので、
 茂経は
 「それなら、主が言い預けた男がしまりないということになる。
  その男をここに呼んでくれたまえ。」といる。
 呼んて問い尋ぬると、膳夫(が、これを聞いていて、
 「この事は私が聞き及んでおります。
  私が、壺屋に入いって居り、聞いいて居たのですが、
  この殿の若き侍の主達が、
  勇んで誇りながら、大勢で贄殿に入ってこられ、
  間木に捧られている荒巻を見て 
  "これは何ぞの荒巻だ?"と問はれたので、
  誰かが、
  "これは左京の属主の御荒巻が置かれているのでございます。"
  と答えまして、
  主達は、
  "それならば、為すべきことがあるぞ。"として、
   荒巻を取下げ、鯛を皆取出し、切って食べてしまいました。
  その換わりに、
  破れた平足駄、古く擦り切れたボロ、切れた古い藁沓と言った物を
  探し求めて中に籠めた、と聞きました。」と語る。
 茂経、これを聞いて、際限なく、瞋りる。
 この声を聞いて、件の若き侍の主達がやって来て、
 際限なく、笑いったのである。
 と言うことで、義澄は、
 「自分はなにも誤ったことなどしておりません。」と言ったのである。
 茂経はなんお甲斐も無く、返るしかなかった。
 その後、思ひが侘びてきて、
 「人々がこのように笑いっている限り、
  どこにも行くまい。」ということで、
 長岳の家に籠居していた。世の中、噂も広がり、笑い者に。
 茂経も恥じて、左京大夫のもとへは行かなくなった。
 ソリャ当たり前と言われている。


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