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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.1.28] ■■■
[212] 佐渡掘金
巻26は"宿報"と題されている。
そこに、突拍子もない話が収録されている。

内容が奇異という訳ではない。
佐渡で黄金が採掘できたという話であり、一時は世界最大の金鉱だった地であり、早くに黄金を発見していても驚きではないからだ。

ビックリするのは、単にそれだけの話なのに、そのどこが"宿報"なのか皆目見当がつかないという点。
もっとも、この巻はすべてではないものの、この調子である譚だらけと言えなくもないから、そういう意味では驚くほどのことではないとも言えるのだが。
要するに、「そうなったのは運命ですゼ。」で納得せよというだけ。因果関係などなにも見えてこないない。
ジャータカになっていないというか、勝手にジャータカを創作して見よと言っているようなもの。
凄すぎる。

マ、"宿報"という言葉は、「今昔物語集」よりずっと後の時代に超有名になった語彙であり、我々にはその定義しか頭にないから、そう感じている可能性もないではないが。
(前世で行った善悪の行為による報い。=依宿世業因而感之果報也。@「佛學大辭典」)
用語的には、なにも"宿報"を使う必要はなかったと思われる。
     【唐臨:「冥報記」序】
   釋氏説教,
    無非因果;因即是作,果即是報;
    無一法而非因,無一因而不報。
   然其説報,亦有三種:
   一者「現報」:謂於此身中作善惡業,即於此身而受報者,皆名現報。
   二者「生報」:謂此身作業,不即受之;隨業善惡,生於諸道,皆名生報。
   三者「後報」:謂過去身作善惡業,能得果報,應多身受;是以現在作業,未便受報

わざわざ、宿を用いたかったのは、宿願と対比させたかったのかも知れぬという気になる。昔から抱き続けている本願、あるいは、前世で自分が誓願したことをそれとなく示しているということかも。邪推かも知れぬが。

さて、どんなことが書いてあるか見ておこう。
  【本朝世俗部】巻二十六本朝 付宿報
  [巻二十六#15]能登国掘鉄者行佐渡国掘金
 能登では採掘した鉱石を国司に納める習慣になっていた。
 採掘者は6人おり、頭が仲間と話していた時、
 「佐渡の国にこそ、
  黄金の花が咲いている所がるのだ。」
 と口をすべらした。
 たまたま、守はそれを耳にし、
 呼んで、物を与えたりして、訊いてみた。
 すると、
 「黄金がありそうな所があるので、
  つい言ったのを、お聞き及びになったのでしょう。」と。
 そこで、守は、
 「それなら、
  その場所に行って、取って来たらどうだ。」と言うと、
 「お遣わしになるのでしたら、参りましょう。」と。
 「何か入用なものはあるか?」と問うと、
 頭は、
 「人は不要でございます。
  小船一艘と、食糧少々を頂戴できれば、
  佐渡に渡り、試し掘りして見ましょう。」と応える。
 そして、隠密裏に、実行された。
 それから20日〜1月ほど経ち、
 守もそのことを忘れてしまっていたが、
 頭が突然現れた。
 守は心得たもので、人に聞かれないよう、
 離れた場所で会い、
 黒っぽい包みを袖の上置かせて受領。
 そして、いかにも重そうに家の中に入ったのである。
 それから後、この頭は行方知らず。
 手を尽くして捜せども見つからずで終わった。


一体、この話のどこが因果応報なのかさっぱりわからない。

それはともかく、どうして黄金の採掘者が隠れたのか。はたして、何処に行ったのか、そして、どの程度の黄金を渡したのか。大いに気になるではないか。
もっとも、あて推量でしかないが、もっともらしい話が伝わっている。

尚、佐渡の金山だが、南部三川砂金山@真野は1542年が初採掘らしい。採掘については、石見銀山の山師を招請し本格的坑道ができたのは1595年で、それは越後商人外山茂右衛門による鶴子銀山@佐和田でのこととか。
有名な相川銀山は、この鶴子の山師が1601年に発見したようだ。ともあれ、徳川幕府により、金山・銀山が開発されたという状況と見てよさそう。「今昔物語集」の記載は余りに早すぎるが、おそらく砂金の存在が知られていたということだろう。

この譚では、山師の対象はあくまでも鉄である。
金峯神社@横山730年頃勧請[御祭神:金山彦守]が存在しているから、製鉄までの一貫生産地だった可能性が高い。山中の鉱山だったためか、遺跡はタタラではなく穴釜で、古代出雲方式を導入したのであろう。(安養寺@大和田山中鍛冶が沢、野坂、加茂歌代@井戸沢・穴釜)。ただ、砂鉄もあったようだ。(鍛冶屋@赤泊・徳和の西三川砂金山)

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